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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年9月号
自民党の歴史的な惨敗
自民党は七月の参院選挙で歴史的な大惨敗となり、連立与党の公明党と合わせても過半数に遠く及ばず、参院での与野党勢力が逆転した。特に二十九ある一人区で六勝二十三敗と議席を減らした。自民党の選挙地盤と言われてきた郡部や農村部における自民党支持層の離反が、自民党の惨敗を決定づけた。
自民党惨敗の主要な原因は、小泉、安倍と続く「改革政治」で切り捨てられてきた地方の住民、農民や中小零細の商工業者、「痛み」を押しつけられてきた低所得者の激しい怒りと反発である。
多国籍大企業の要求にそって、小泉、安倍が進めてきた「行財政改革」や「三位一体改革」は自治体財政を破たん状態にし、地方経済を疲弊させた。「社会保障制度改革」は福祉を破壊し、定率減税の廃止や地方税増税は低所得者の生活を直撃した。「労働規制改革」は労働条件が劣悪な低賃金労働者を急増させた。多国籍大企業が締結を急ぐ日豪EPA(経済連携協定)は日本農業を崩壊の危機に直面させることになる。多国籍大企業が空前の収益をあげ、大都市の富裕層がますます豊かになる一方で、国民大多数の生活はますます苦しくなり、貧富の格差、大都市と地方の格差が急速に拡大した。
このような「改革政治」に加えて、年金記録、閣僚の失言、政治とカネの問題があいつぎ、国民の不満と怒りが噴出したのである。だが、日本経団連の御手洗会長は直後の記者会見で次のように述べた。
「今回の参院選は、与党にとって大変厳しい結果となった。閣僚による失言問題、政治とカネの問題、特に年金記録問題が前面に出てしまい、本格的な政策論争が行なわれなかったことは非常に残念だ。・・・・今回の選挙で、現政権の政策・実績が否定されたわけではない。・・・・安倍内閣には引き続き、他国に引けをとらないスピードと勢いで、改革を進めていただきたい。参院第一党となった民主党には、責任政党として、政策を明確にし国政にあたってもらいたい」。
自民党惨敗の主要な原因は年金記録、閣僚の失言、政治と金の問題だとして、「改革政治」に対する国民の怒りをおおい隠し、改革の加速を与野党に求めた。主要マスコミも、この論調で世論を誘導した。多国籍大企業が実質的に政治を支配し、国民大多数を苦しめているのである。
安倍首相は求心力を失い、国会運営でも深刻な困難に直面することになった。参院で主導権を握った民主党は、衆院で可決した法案を参院で否決することもできるし、審議引き延ばしで廃案に追い込むこともできる。民主党はすでに、十一月一日で期限切れとなるテロ特措法の延長に反対することを明らかにした。
こうした中で、生活危機の打開を求める国民の中に、民主党への期待が広がった。民主党の小沢代表も、政権交代可能な二大政党制の確立が民主主義を実現する道であり、そのために政治生命をかける、と唱えてやまない。だが、国民の期待はむくわれるだろうか。二大政党制は国民大多数のための政治を実現するだろうか。
二大政党制への期待は幻想
政権交代可能な二大政党制は、財界の戦略的な要求である。
一九五五年の保守合同以来、大企業の利益を代弁し、基本的に国民大多数の利益と矛盾する自民党が単独政権を維持できたのは、次の要因があったからだ。第一に、経済成長の中で中小零細の商工業者や農民にもある程度の利益を配分することができた。第二に、政権に対する国民の不満と怒りが高まれば、タカ派→ハト派→タカ派といった自民党内での政権交代(振り子論)で国民の不満をそらすことができた。だが、アメリカが債務国に転落した八五年のプラザ合意以降、対日市場開放圧力が強まり、国際競争が激化する中で、大企業は中間層への利益配分を容認する余裕はなくなった。自民党政治そのものへの不満の高まりで、振り子論も機能しなくなった。
革新政権の登場や政治の不安定化を危惧した財界は、八九年に「政治改革フォーラム」、九二年に「民間政治臨調」を立ち上げ、マスコミ、学者、与野党の政治家、労組幹部をまきこんで、政権交代可能な二大政党制のための「政治改革」、そのための小選挙区制度導入の大キャンペーンを展開した。政権交代可能な二大政党制とは、アメリカの共和党と民主党のように基本的には財界の要求を代弁する二大政党間での政権交代で国民の不満をそらそうという策略である。小選挙区制なら二大政党以外の政党が国会に進出できず、どちらの党が政権をとっても財界の政治支配は安泰だ。
当時、自民党の中枢にあった小沢氏は、財界の戦略を実現するため、あえて自民党を割って新生党を結成した。以来、政権交代可能な二大政党制への小沢氏の信念は変わらず、昨年四月の民主党代表選挙では、もっぱらその信念を述べた。
小沢代表は二大政党制のために政権交代を最優先し、それまでは安倍内閣に対決姿勢をとるだろう。国民多数や労働組合を引きつけておくため、テロ特措法延長反対のように財界の意向に反することも、ある程度は言わざるを得ない。だが、多国籍大企業のための「改革政治」と対米従属のもとでの政治軍事大国化という政治方向を変わらない。小沢代表はいずれはばれる、矛盾した言動を余儀なくされている。それは、どちらも財界のための政党という、明確な対抗軸を対置できない二大政党制が内包している自己矛盾でもある。
九三年の細川政権でも、その後の村山政権でも、国民大多数のための政治にはならなかった。財界の戦略である政権交代可能な二大政党制への期待は幻想である。
国民にとっての展望
多国籍大企業が実質的に支配する政治を打ち破り、国民大多数のための政治を実現する展望はどこにあるのか。それは、財界やその政権を揺るがした私たち国民の経験の中にある。九五年の米兵の少女暴行に対する沖縄県民の島ぐるみの闘いは、日米両政府を揺るがした。八〇年代には、労働組合や中小零細の商工業者が手をつないで、一般消費税の導入を阻止した。六〇年の安保闘争と三池闘争もある。国会における闘いは、このような国民運動と結びついて初めて意味をもった。
全国に不満や怒りが満ちている今日、政治に対する不満や怒りを投票行動だけに終わらせず、団結した行動、大衆行動で表すこと、特に国民各層がばらばらではなく、お互いに支持・激励しあい、連合して国民運動、県民運動を発展させることこそ、展望を開くものではないだろうか。そのような闘いの萌芽は数々ある。
今年に入って、北海道、沖縄など全国各地で、農民が日豪EPAに反対して集会やデモを行った。沖縄の農民は一万人の大会を開いた。労働組合、中小商工団体がこれを支持し、共に闘ったならば、どうなっただろうか。労働組合は団結をかため、農民の闘いに連帯ストを打てる力をもつようにならなければならない。
沖縄県民は今月二十九日、沖縄戦における集団自決への軍の関与を否定した文科省の教科書検定に怒り、島ぐるみで「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を開く。県議会をはじめ県内の全市町村議会が検定撤回を求める決議を採択し、本土の地方議会でも同様の決議を採択するよう求めている。九五年の県民大会に匹敵する、あるいはそれを上回る闘いに発展する勢いで、安倍政権を痛打するに違いない。全国がこの闘いを支持し連帯して、それぞれの地方議会に検定撤回を求める決議を採択させなければならない。
国民各層が連合して、政府を揺るがす国民運動を発展させるならば、多国籍大企業の政治支配を打ち破り、国民大多数のための政治を実現する道が切り開かれるだろう。