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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年8月号

集団自決への軍の関与を否定した検定撤回を
島ぐるみの県民大会へ動き出した沖縄

琉球大学教授  高嶋 伸欣


 文科省は三月三十日、来年度から使われる高校二年生用の歴史教科書の検定結果を発表し、沖縄戦集団自決について「軍の関与」を削除させる検定意見が出されていたことが明らかになりました。沖縄や北海道の地方紙は「沖縄戦の事実を否定」、「歴史を曲げる検定」と報道しました。
 このような検定意見を出した理由について、文科省は「軍は集団自決を命令していないという意見が強くなってきたから」と説明しています。その根拠として、集団自決があった慶良間諸島の座間味島で隊長をしていた元陸軍少佐が、大江健三郎氏と岩波書店を提訴したことをあげ、「提訴も一つの要素。本人は『命令を出していない』と証言している」と述べています。
 しかし、当時、座間味には六百人くらいの日本軍が駐屯しており、住民の家に分宿していました。住民は、分宿していた日本兵から「米軍が上陸してきたら玉砕だ」と教育されていた、と証言しています。日本軍による誘導・強制は明らかです。元隊長が住民の前で「玉砕せよ」と演説したかどうかが問題ではないのです。
 また、文科省の教科書検定基準の中に「未確定の時事的事象について断定的な記述をしない」という項目があります。当時の文部省はこれを根拠に、「まだ裁判は確定していない」として、ロッキード事件で田中元首相を批判する記述を差し替えさせました。この検定基準にてらせば、裁判中の元隊長の証言を根拠に、「軍の関与」を削除させるのは無理があります。さらに、集団自決が起きたのは、元隊長がいた座間味島だけではありません。本島や久米島、伊江島でも起きているのです。
 真の理由は別にあると思います。考えられる理由は、安倍内閣の登場と教育基本法の改定(改悪)です。この裁判の弁護団の稲田朋美弁護士は、安倍氏の肝いりで衆議院議員になりました。彼女が働きかけた可能性もあります。
 検定基準には、この他に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」(近隣条項)や「著作物、史料などを引用する場合には、評価の定まったものを用いること」などがあります。私たちは、「沖縄条項」も検定基準に加えるべきだと考えています。集団自決を体験した沖縄県民にとって、日本軍が圧力をかけたり誘導して集団自決に追い込んだのは、まぎれもない事実であり、軍の関与を否定する検定は絶対に許せないからです。

 沖縄の全議会が意見書採択

 私も関わっている「沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」は、四月十六日の記者会見で、文科省に検定意見の撤回を申し入れることを発表しました。一九八一年に、文部省が世論の批判などを受けて、検定で削除した公害企業名を復活させたことを紹介し、「沖縄の世論がまとまれば撤回は可能だ」と訴えて、検定撤回を求める県民運動を呼びかけました。
 その後、いろいろな団体が文科省の検定に抗議し、撤回を求める運動が高まりました。六月九日には、六十三団体による実行委員会主催で「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!沖縄県民大会」が開かれ、三千五百人が参加しました。
 地方議会も動き出しました。糸満市議会や那覇市議会が、検定に抗議し撤回を求める意見書を採択しました。最終的に、沖縄の四十一市町村議会すべてが意見書を採択しました。沖縄県議会は自民党が多数派で、当初は意見書採択は見送りという雰囲気でしたが、自民党県議の支援者たちが「文科省の検定は絶対に許せない」と突き上げました。目前に参院選挙があり、来年六月は県議選ということもあり、自民党県議も意見書採択に動き出し、六月二十二日、県議会も意見書を採択しました。
 その日の内に、自民党県議の代表が上京して、文科省に申し入れました。しかし、文科省の対応はきわめて冷淡で、大臣も次官も会わず、布村審議官が「事務レベルでは対応できず、要請には応じられません」と応えました。七月四日には、沖縄の地方六団体(県、県議会、市長会、市議会議長会、町村長会、町村議長会)の代表が上京しました。この時も、文科省で対応したのは布村審議官で、受付横の小さな部屋で、「教科書検定調査審議会が決めたことだから口出しできない」と応えました。「到底容認できない」。代表団は激しく怒りました。
 七月六日、県議会文教厚生委員会の全員が、「集団自決」の現場である渡嘉敷島と座間味島を視察しました。体験者は視察団に、「米軍上陸直前に、日本軍は役場を通じて手りゅう弾を二発ずつ手渡した。一発は米軍用、もう一発は自決用だった」、「日本軍の指示、誘導、命令がなければ集団自決は絶対になかった」と証言しました。また、日本軍の命令を示す新証言も明らかになりました。元隊長は裁判で「助役が命令を出した」と証言していますが、座間味村の当時の助役が「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と話していたことが、助役の妹二人の証言で明らかになりました。
 県議会は七月十一日、再び、検定意見の撤回と記述の回復を求める意見書を全会一致で採択しました。採択に際しての仲里県議会議長(自民党)の発言は、「検定結果は死者を冒とくしている。歴史の事実を否定すると戦争への道を歩んでしまう。歴史の事実をわい曲することは、祖父、父、弟を沖縄戦で失った者として許すことはできない」と怒りに満ちたものでした。意見書は、「県議会と四十一市町村議会すべてで意見書が採択されたことは、県民の総意である。それを拒否する文科省の回答は到底容認できない」と述べています。歴史認識にとどまらず、安倍内閣の沖縄軽視に対する怒りへ発展しています。
 参院選に突入しても、運動は中休みになりませんでした。県子ども会育成連絡協議会、県婦人連合会、県PTA連合会の三団体が、県内の幅広い団体に呼びかけて実行委員会をつくり、検定撤回と記述の回復を求める超党派の県民大会の計画を発表しました。子ども会会長は「軍命があったのは明らかなのに、教科書から削除するのは許し難い。県民の総意で抗議の意思を突きつけたい」と述べています。参院選後には、知事や県議会議長にも参加を呼びかけ、一九九五年の少女暴行事件に抗議した県民大会のように、島ぐるみの県民大会に発展する状況です。八月末か九月に、県民大会が開かれると思います。

 安部内閣の「恐ろしい国」

 検定意見の撤回、記述の回復を求める沖縄の要求に対して、伊吹文科大臣や塩崎官房長官などは「中立公正な教科書調査審議会が決定したことなので口出しできない」と発言しています。教科書検定は、各教科書会社から提出された教科書を教科書調査審議会が審議し、問題があれば検定意見を出す、という仕組みになっているのは確かです。しかし、実際に文科省の調査官が検定意見の原案を作り、その原案に審議委員から意見が出ることはめったにありません。私たちが、審議会に出された原案を情報公開させて調べてみたら、原案がそのまま審議会の結論になっていました。
 一九八〇年の教科書問題以降、小川文部大臣(一九八二年)や森文部大臣(一九八四年)は国会で、「沖縄戦における旧日本軍の住民虐殺等に関する記述については、十分に沖縄県民の感情に配慮しつつ客観的な記述になるように検定を行う」と答弁しています。この点を記者に指摘された伊吹文科大臣は「小川さんも森さんおかしいんじゃないか。私は政治家だから審議会という中立公正の専門家が客観的学術的に判断したものをひっくり返すことはできない」と発言しています。伊吹文科大臣らの発言は逃げ口上でしかなく、まったくでたらめなものです。
 実際に検定を行っている歴代の調査官は、戦前戦中に皇国史観を主導した平泉東京帝国大学教授の門下生でつくる「朱光会」の人脈をくむ人物で受け継がれています。そういう調査官が、元隊長の裁判や安倍内閣の誕生、憲法改定も日程に入ってきたという状況で、安部首相や伊吹文科大臣らの意向をくみ、日本軍のイメージ悪化につながる沖縄戦の記述を消そうと考えたのだと思います。
 沖縄タイムスの編集局長や社長を歴任した新川明さんが、七月九日の東京新聞に「問われる本土日本の想像力―沖縄からのシグナル」という文書を書いています。新川さんはこの文書で、今回の文科省による教科書検定、基地建設での海上自衛隊投入の背景には、「戦後レジームからの脱却」をかかげた安倍内閣の登場があり、安倍内閣が向かおうとしている「恐ろしい国」の姿がいま沖縄で現れてきていると指摘しています。
 日本軍は沖縄戦で何をしたか。軍隊は住民を守らなかった。逆に、壕から住民を追い出し、食料を強奪し、究極の形は「住民虐殺」としてあらわれた。そして今、住民を集団自決に追い込んだ軍の誘導・強制という歴史をわい曲し、県民が反対している基地建設に自衛隊を投入した。その先にあるのは、「美しい国」ではなく「恐ろしい国」としか言えない。沖縄の人たちの気持ちがまとめて書かれてあります。
 本土の人たちはこれにどう応えるのでしょうか。沖縄の人々と共に声をあげ、全国的な運動で、歴史をわい曲する検定の撤回と記述の回復に、安部内閣を追い込むべきではないでしょうか。

 検定の撤回と記述の回復

 検定の撤回と記述の回復がなければ、沖縄県民の怒りはおさまらないと思います。県民大会が開かれる状況になれば、伊吹大臣の辞任要求も出てくると思います。こうした歴史わい曲が二度と起こらぬように、検定基準に「沖縄条項」を設けるべきだと思います。
 一九八二年の教科書問題では、歴史教科書検定基準に「近隣諸国」条項を設けさせ、軍による住民虐殺の記述を復活させた前例があります。文科省もメンツがあるので検定撤回とは言えないでしょうが、執筆者が正誤訂正という形で原文に近い表現に戻したいと言えば、文科省側も「渡りに船」で、応じるのではないでしようか。私たちは、県民大会の直後くらいに、執筆者から「正誤訂正」を出してもらおうということで相談しています。
 全部で十四冊ある高校歴史教科書のうち、軍の関与による集団自決を記述したものは七冊しかありません。ですから、残りの七冊についても、執筆者に書いてもらうよう要請したいと考えています。これも正誤訂正の手続きで可能だと思います。沖縄県民がこれほど一致団結して中央政府を揺さぶるのは画期的なことですから、検定撤回を勝ちとれば、これこそ主権在民・民主主義だと、公民の教科書に書いてもらうよう要請したいと思います。さらに将来的には、文科省が教科書調査審議会に介入できないように、審議会を第三者機関にすべきだと思います。
 八万五千人が結集した一九九五年の県民大会は多くの人たちが体験しています。本当に超党派で、県経営者団体も含めて県内のあるゆる団体が結集しました。当時の大田知事、県経営者団体の稲嶺氏も参加しました。高校生もまとまって参加しました。今回もそういう取り組みになればと願っています。  (文責編集部)