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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年8月号
元防衛庁官房長 竹岡 勝美
第一次防衛計画の大綱(昭和五二年度以降)
昭和五十一年一月、私を警察から防衛庁人事教育局長に出向させたのは、当時の防衛事務次官久保卓也氏であった。彼は私の旧制高校、警察の先輩であったが、防衛庁勤務が長く、その俊才とハト派姿勢から野党側からも好評であり、「防衛庁のプリンス」と謳われていた。昭和二十九年に発足した防衛庁、自衛隊はそれなりに成長してきたが、昭和五十年頃には、「一体何時まで防衛費を増やし続けるのか。せめて平和時の限界ぐらいは示したらどうか」等々の批判の声が折からの田中角栄内閣周辺からも起こった。久保氏は防衛局長当時からこの問題に取り組み、坂田道太長官の下、防衛事務次官として初めての「防衛計画の大綱」を策定し、発表した。
陸上自衛隊 定員 十八万人
十三個師団 二個混成団
一個団ごとの特科団、空挺団、 ヘリコプター団
八個の低空高射群
千両(門)の戦車 大砲等
海上自衛隊 定員 約五万人弱
六十隻の護衛艦(米空母をソ連潜水艦からの護衛が主目的)
十六隻の潜水艦
対潜航空機部隊十六個
自衛艦隊(四個護衛隊群)
(地方)護衛隊十個隊
掃海部隊二個群
航空自衛隊 定員 約五万人弱
レーダーサイト二十八個所
要撃戦闘機部隊十個
支援戦闘機部隊三個
航空輸送部隊三個
高空高射ミサイル部隊六個
作戦用航空機約四百三十機
この大綱を「平和時の基盤的防衛力」とし、「限定的かつ小規模な侵略」については、原則として独力で排除することとし、これ以上の侵略については、米国からの協力をまってこれを排除するとした。当時は三木内閣であり、この防衛予算の規模も当分の間GNP一%の枠内とするとされた(この枠は中曽根内閣時代に二年間超えたが、それ以外は今も守られている)。
第二次防衛計画の大綱(平成八年度以降)
一九八五年、ソ連にゴルバチョフ書記長が出現し、米ソ両国の一万基の長距離核弾道ミサイルが対峙している限り人類滅亡の危機が避けられないとして、(ソ連国内のチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けた)「不信から信頼」「対決から対話」に向かう「人類共通の安全保障」「欧州共通の家」を構築しようと、当時ソ連を「悪魔の帝国」と敵視していたレーガン大統領をジュネーブ、レイキャビクと会談に誘い、ついに両国の中距離核ミサイルを三年間の相互査察を伴って全廃した。このゴルバチョフの「新思考外交」がついに冷戦を終結させた。ゴルバチョフはレーガンとともにマルタで「冷戦終結」を世界に宣言し、東西欧州諸国の首脳はパリに会して「不戦宣言」に調印した。
ソ連の脅威が消失するという、この唯一の仮想敵の平和への急変に応じて、第一次の大綱を廃して二十年ぶりに平成七年十一月、閣議決定を経て、標記の「平成八年度以降の第二次防衛計画の大綱」が策定された。私は冷戦終結で唯一の仮想敵ソ連が喪失したので、自衛隊はもとより沖縄の在日米軍の思い切った縮減を希求した。しかし、陸上自衛隊の定員二万人減、一千両(門)の戦車、大砲は百両(門)減。海上自衛隊は護衛艦が十隻減、対潜哨戒機五十機減。二個掃海隊群が一個群に、護衛艦(地方隊)は十から七個隊に。航空自衛隊は作戦用航空機三十機減。「冷戦の終結に伴い、圧倒的な軍事力を背景とする東西間の軍事的対峙の構造は消滅し、世界的な規模の武力紛争が生起する可能性は遠のいている」としながらも、「国際情勢は以前として不透明、不確実な要素をはらんでいる」と警告する一方、「我が国の安全保障と防衛の基本方針」の一項を特記して「我が国は、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、節度ある防衛力を整備してきたところであり、このような我が国の防衛の基本方針は、引き続きこれを堅持するものとする」と結んでいる。
第三次防衛計画の大綱(平成一七年度以降)
平成十三年(二〇〇一年)九月十一日、ニューヨーク、ワシントンで、米国の長年のイスラエル寄りの反アラブ政策に反対して、イスラム原理主義者による超高層ビル群及び米国防総省への乗客ごとの民間旅客機三機の自爆テロが発生した。「戦争だ」と激怒したブッシュ大統領は、アフガニスタンのタリバン政権、次いでイラクのフセイン政権打倒のため侵攻した。小泉政府は米艦艇等への給油のため海上自衛隊の給油艦と護衛艦をアラビア海に派遣し、イラクにも人道支援として武力行使を禁じつつ軽武装の陸上自衛隊員を派遣した。米国はフセイン政権を瓦解させ、海外に亡命していたシーア派人民で偽政府を作らせ、フセイン大統領を不法にも絞首刑に処した。捕まえたテロリストを「捕虜」と扱わず拷問で苦しめている。この米国の不法な一方的な侵略と占領にイラク軍民はレジスタンス(テロ)で果敢にも抵抗し、これに周辺のイスラム原理主義者も自爆等で今も支援している。
事件発生から六年、今も米国は十万人の軍隊で占領を続け、三千六百人が戦死し、二十兆円の巨費を費消している。イラク軍民の死者は十万人を超えよう。この米国のイラク侵略を「正義の戦争」と過褒しているのはブッシュ米政権とネオコン、ブレア首相、そして日本の保守政権だけではないか。この世界の急変により、防衛庁は新たに第三次の「平成十七年度以降に係わる防衛計画の大綱」を閣議決定の上、策定した。「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、国際テロ組織の活動等の新たな脅威」を挙げ、北朝鮮や中国への警戒に厳しく言及。特に新たに米国の誘因もあって「弾道ミサイル防衛システム」の採用を強弁している。一方「我が国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下した」として第二次の大綱よりも陸上自衛隊定員は五千人減、戦車、大砲はそれぞれ三百両(門)減、海上自衛隊は護衛艦(地方隊)、潜水艦部隊それぞれ二個隊減、護衛艦三隻減、対潜哨戒機二十機減、航空自衛隊戦闘機四十機減。この間有事三法(国民保護法も含む)が立法され、在日米軍と自衛隊が「再編」されて、その協調が一層強められようとしている。
この大綱についての「内閣官房長官談話」でも「日本国憲法の下に、これまで我が国がとってきた防衛の基本方針については、引き続きこれを堅持する」と、第二次大綱と同様に確約している。この「防衛の基本方針」とは、「名次官」と謳われた秋山昌広氏(平成九年七月〜十年十一月)が「文民統制、専守防衛、海外派兵の禁止、非核三原則」を挙げ、「『不変』であるべき」と断じている。わずか二年前に閣議決定して「今後も堅持する」と世界に発表した「防衛の基本方針」を何故安倍内閣では「専守防衛」「海外派兵の禁止」を廃し、「集団的自衛権の行使」で歪める必要があるのか。何故、米軍の戦争に参戦させ、若い自衛隊員が殺されても良いとするのか。私が解せぬのは、安倍首相が集団的自衛権行使の実現を議するために設置した「私的諮問機関」に、第二次大綱が施行されていた時の統幕議長と防衛事務次官という制私服のトップが二人参加されていることである。共に入隊時には憲法遵守を誓い、在任中は最高地位にあって「防衛の基本方針」を定めた大綱、特に専守防衛、海外での武力行使禁止に忠実であるように部下に訓辞されたはずである。まさか武人が節を曲げられるはずはないと思うのだが。