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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年8月号
片岡 健
一九三七年、日中全面戦争の発端となった盧溝橋事件から満七十年となる七月七日、「七・七盧溝橋事件から七十年、日中国交正常化三十五年記念/講演と交流の集い」が開かれた。主催はNPO法人東京都日中友好協会(共催=社団法人日中友好協会、協力=梅窓院)。会場は港区南青山にある梅窓院祖師堂、定数は三百名だが、定刻を少しまわったころにはほとんど満席になった。
まず主催者を代表して貫洞哲夫東京都日中会長が「憲法九条をめぐる議論や、教科書問題に表われた沖縄戦における住民の集団自決の問題、また最近アメリカの下院で決議された従軍慰安婦についての日本軍の関与の問題など、いま日本は中国や世界の人々から厳しい目で見られています。この集会で、私たちが再び隣の国を侵略する道を歩まないためにはどうしたらよいか、一人一人が考えるよすがにしてほしい」と挨拶された。
中国大使館の孫美嬌参事官のメッセージのあと、社団法人日中友好協会名誉顧問の野中広務さんの講演にうつった。
野中さんはこれまで政府や自民党の要職にあった時代に、何人かの中国首脳と率直に言いたいことを言い合い、腹を割って付き合ったことで信頼関係を築いてこられたエピソードを紹介されたあと、本題の七・七盧溝橋事件の話にうつった。
話は一気に核心に。「七・七を考えるときには、日本がその六年前に起こした満州事変を考えなくてはいけない。あのとき日本は中国の東北地方に傀儡満州国を作り、東京にあった関東軍司令部を満州国にもっていった。いま同じような状況が米軍再編にも見られている。日本の首都圏である座間に米軍第一司令部がやってきて、そこに自衛隊の司令部が寄りあい、しかも必要とする費用三兆円はすべて日本側が負担するという、こんなおかしな話があるだろうか」と熱弁をふるわれた。
聴衆のなかに土井たか子さんが見えていたが、そのことにふれ、五十五年体制のころの国会審議では野党の案も穏やかに議論して意見の一致点を見つける努力がなされたが、いまの国会は議論の内実がまったく無い。修正をしないでがむしゃらに強行採決をする。参議院選挙の見せ場をつくるためにやられている、こんなことをやっていたら、この国はアメリカの五十一番目の州どころか属国になってしまうと、警鐘を鳴らされた。
また、日本の政治家として初めて南京大虐殺紀念館に行かれ、盧溝橋の抗日戦争紀念館には二度も足を運ばれたという野中さんは、戦争から帰ってきた兵隊が「女性や子どものなかに便衣隊(平服の中国兵)が潜んでいる」と上官から命令されて南京虐殺に手をそめたことを白状して、彼はふるえてその場に立っていられなかったという話や、将校と兵隊ではまったく立場が違い、一人の女性が五十人の兵隊の相手をさせられたという従軍慰安所での実話を聞いた話におよんだ。
非常に多くの犠牲の上に今日の平和があることを考え、「いまわれわれの周辺には深刻な平和を脅かし、国の存立に関わるような動きがあることをご理解いただき、お互いにふたたび戦争をしない日本を構築することを誓い合うこと、それが七・七の七十年の節目を迎えたわれわれの良心でなければならない」と話を結ばれた。会場は万雷の拍手に包まれた。
松岡農水相が現職大臣でありながら赤坂の衆議院宿舎での自殺のことや、久間防衛大臣の原爆投下の発言をめぐる辞職についても、野中さんは独自の解釈を展開されたが、マスコミ報道をそのまま鵜呑みにしない野中さんのニュースの行間を読み取る態度の鋭さに、感心もさせられ、教えられることが多かった。