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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年6月号
広範な国民連合・福岡県世話人 宮田こずえ
皆さん、ご無沙汰しています。今私は、病気療養中ですが、無理のない範囲で地域での活動に関わっています。私の住む町は、昨年三月、近隣の三つの町が合併して、新しい二万六千人の町となりました。
新町長が「町民参加の町政」という政策を掲げていたこともあり、行政が町の総合プラン策定の審議委員を公募するということになり、私も応募し、審議委員になりました。昨年八月から策定の会議に参加しています。
北海道の夕張市が赤字再建団体になりましたが、私たちの町も旧産炭地で、旧三町とも赤字再建団体を経験したということもあり、何かにつけて、マスコミに取り上げられています。行財政改革の流れの中で、私たちの町も、「自己決定、自己責任」とか「できることは他人に依存せず、できないことはできる人や地域が補い、それでもできないことを行政が補う」という基本の考えで、町民と行政のあり方を今回の総合プランのたたき台では提起しています。まさに行政の責任放棄と、町民参加とは聞こえがよいのですが、実際は我慢を押し付け、「財政がきびしいのだから、協力しなさい」と新用語で「協働」という言葉が至る所に出てきます。
そんな議論の中、私は、審議委員会の中の教育、文化関係の部会に所属していますが、今年の一月に町の教育長を呼んで、レクチャーを受けていた時の話の中で、突如、給食センターの一本化の話が浮上しました。小学校と中学校ですが、現在旧二町では給食センター(小規模の親子方式)で旧一町は自校方式となっています。それを一箇所に統合し、二千五百人分の給食センターを五億円もかけて建設するというものでした。理由は「学校の建て替えを機に、隣接する給食センターを取り壊さなければならないこともあり、この機械に自発的に行革をする。人件費の削減になる。合併したから、一本化すべき。特例債も使える」とのことでした。合併協議の中にもこの件は議論されておらず、まして行革推進委員会も町民を参加させて町が発足させていますが、そこでも議論されていないことを教育委員会が勝手に行革と称して提案してきました。その時は、部会の審議委員の中の私も含め、何名かが反対の表明をしました。PTAが参加する給食委員会もかなり反対したとのことで、しばらくこの件は延期になるような話でした。
ところが二月のはじめ急に、私の所属する部会の部会長が「給食センターの件は、反対してももう駄目みたい」ということを、急に言い出しました。事実関係を調べようと、最初に町職労に話を聞きに言ったら「そんな話は知らない。自分も調べてみる」ということで、私は、友人と一緒に教育委員会の課長に直接、真意を確かめました。そうしたら、全く前回教育長が話した通りで、元々延期などしていない。二月半ばにPTAの幹部クラスに説明会を行い、三月に議会提案をするということで、反対しても、進めると、かなり強引でした。
時間もなく、このままでは、提案されてしまうということで、この情報を各方面に伝えました。友人と給食関係の全国的な情報を集め、反対運動を勝利させた市議の方のアドバイスなどもいただきました。県の女性センターの館長さんも、支援してくれ、アドバイスしてくれました。
新町長の選挙に関わった参謀クラスの方は「初めて聞いた。けしからん。自分は自校方式がよいと思うし、進めてきた。自分からも町長、また直接教育課長に話をする」と言ってくれました。町職労は自分たちのことでもあり、町長と交渉をすると言っていました。私の所属する部会の部会長は山の手の小規模小学校のPTA会長ですが、はじめはあきらめ気味でしたが、よくよく話をすると反対のようでした。自校方式をとっていた小学校のPTAの会長さんが反対運動をするということで、私たちも当然共に声を上げようということで、話し合っていました。最初は旧三町では、自校式をとっている所とセンター方式のところで温度差があり、PTAがまとまるのはむずかしいと見られていました。しかし、説明会での教育委員会での強引なやり方に、PTAの会長達が怒り、その場で、反対する保護者の会を立ち上げ、すべての会長名が記載された給食センター一本化反対の署名活動を行うことになりました。それからは審議会の部会長でもあるPTA会長さんとは頻繁にメールを交換し、情報を共有しました。
私の住む旧町はセンター方式を取っていることもあり、PTAの会長以外の役員は批判的ですらありました。PTAには頼れず、私の周りの保護者の方、商工会、農協、町職などに署名を依頼し、短期間で集約しました。全体的に好意的で、商工会もとっても反応がよく「土建屋の思惑もあると思うが、食品などの納入業者の利権もあるのでは」と言っていました。
短期間でかなりの署名も集まる中、これから企業周りでもしようかと友人と話し合っていた矢先に、急きょ、教育委員会のほうから、提案を取り下げるという情報が入りました。提案が取り下げられたことを受け、署名は町長説明会で町長に見せるということで、議会には提案しませんでした。
反対運動の中心となったPTA会長は「合併反対ではボロ負けしたけど、今度は勝った」と嬉しそうでした。署名活動から一週間ぐらいで、教育委員会が提案を取り下げたということは、町民の反応に驚き、選挙前の三月議会での議論に持ち込ませたくなかったのかも知れません。
四千名以上の折角集めた署名を議会提案すべきだったのではという意見もありました。この運動に関わった人たちが、この件に町長がどういう答弁をするのか確認しようと言うことで、私を含め、多数の人たちが議会を傍聴しました。町長は議員の質問に明確に現状維持を表明しました。この傍聴の中で、私の町の旧隣町(合併して同じ町)の女性と知り合いました。この女性は「町民が立ち上がったことがうれしいし、希望が見えた」と言っていました。
旧三町では、住民の闘いの歴史など違いがありますが、今回、給食センター統一反対の運動では、共に力を合わせて、声をあげ、勝利しました。議会も住民の闘いに影響され、議事が活発だったように思えました。今年四月合併後初の、選挙で三十九人立候補して二十名当選の激戦が闘われました。今回給食センター反対に関わった真面目な議員が数名落選しました。落選した男性議員の連合いさんは「議会には頼れない、これからは住民運動だ」と意気軒昂です。
なんでも行革と言えば、町民が素直に応じると思った行政の思惑を、住民は今回の闘いで、思い切り噴き飛ばしました。町民の意識も少しずつですが、変化し、自分自身の力を信じ、町民が力を合わせて、闘うことに目覚めつつあります。最近でも不正農道工事に抗議し、三名の農民が監査請求を起こしました。
今回の事を契機に、女性を中心に行政に騙されないためにも、もっと町のことを勉強しようという機運が起こり、勉強会の会を立ち上げ、すでに二回勉強会を行っています。また町がおかしな動きをしたら、声をあげるためにも、頭脳に磨きをかけています。