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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年6月号
立命館大学助教授 森 裕之
世界に冠たる地方交付税制度
日本には地方交付税交付金制度があります。国から都道府県や市町村へ財源を保障する制度であり、日本の自治体を支えてきた根幹の制度です。日本のどこに住んでいても、等しく教育を受け、福祉サービスを受け、上下水道、道路も普通にある。こういったことが出来るのは、地方交付税が存在しているからです。つまり、私たち国民が安心して暮らせるための仕組みです。
日本の地方交付税制度は世界に冠たる精緻な制度といえます。自治体がやっている行政サービスは様々な種類があります。教育、福祉、公共事業、しかも、その中身はバラバラです。その実態がどれだけ経費を必要とするかということを全部算出しています。例えば小学校がその自治体にいくつあり、学級数はいくらあるか、さらには小学生が何人いるか、それぞれに応じて計算して当該自治体に配分してあります。単純な計算で補足できないもの例えば過疎地に多い、スクールバスとスクールボート等の経費は学級の数とか子どもの数では捕捉できません。それについても補正係数をかけることによってきめ細かくカバーしています。
また、山陰・北陸地方では除雪にものすごく経費がかかり光熱費もかかります。そういった経費についても補正係数をかけます。例えば、長野県の栄村は一年間の一般財源の規模は大体二十億円弱で、そのうち国から貰える除雪費等にあたる経費、これは補正係数によってだいたい二億円くらいと、非常にきめ細かくカバーされていることが分かります。
国は毎年度地方財政計画を作ります。これは国が全国の自治体の標準的な歳入と歳出額を計算したものです。歳出は給与費、人件費、一般経費であったり、投資的経費つまり公共事業であったり、借金の返済等々、一方で自治体の歳入は大きく四つ税金と補助金、国庫支出金、地方交付税と地方債です。支出の中には補助金で行われるべきもの、例えば生活保護費、学校の先生の給料等があります。また、公共事業については、財源のかなりの部分を地方債つまり借金でまかないます。そうした使い道が決まっている補助金や借金を特定財源といいます。
自治体がやるべきと国が認める支出の特定財源以外の一般財源で措置されるべきものが基準財政需要額です。ところが、これに対して、都道府県では東京を除いて税収の割合はどの自治体も少ない。だからそれを埋めるために地方交付税で自治体の財源を保障しなければなりません。これが日本の地方財政の基本的な仕組みで、これがあるから、どの自治体も標準的なサービスをまかなうことが出来る仕組みになっています。
ところがアメリカの場合はそういったものが存在していませんから、課税は自由ですが、増税に、住民がノーというと自治体は支出を減らす以外に方法がない。そうすると、例えば学校の先生や警察のリストラ、また場合によっては刑務所の受刑者の待遇が変わったり、そこまでして財源を削らないと成りたたない事態が生まれます。
百害あって一利なしの
「三位一体の改革」
一九八〇年代後半ぐらいから地方分権を進めていかなければならないという議論が盛り上がってまいりました。国会で一九九三年六月に地方分権の推進に関する衆参両院決議が全会一致で決議され、一九九九年に地方分権一括法が制定され、二〇〇〇年の四月施行されました。
一九九五年、沖縄の少女が米兵に暴行されるという事件がありました。その時に、当時の大田知事は県民の意向を受けて機関委任事務としての基地の使用延長事務をやらなかった。そのために国から裁判に訴えられて、結局は負けることになります。この後、国がこのような自治体の長等の予算の権限を持った人を国の機関だと見なし、国の事務をさせる機関委任事務をなくした。ところが地方財政についての改革は積み残し全然なされませんでした。
二〇〇一年に省庁の改変、省庁縦割りを克服するという名目で経済財政諮問会議が作られ、国の運用方針を作っていく大きな権限が与えられました。当初、経済財政諮問会議は一つが金融危機への対応と経済の再生、もう一つが財政の再建を大きな課題としました。つまり、九〇年代に膨大な公共事業をやり、歴史上無かった規模で膨れ上がった国債、地方債をここで何とかしなければならないというのが、経済財政諮問会議が掲げた二つ目の課題でした。国側からは財政再建のために、この財源を「分権化」するという考え方が起こってきました。
それが小泉改革のもとで作られた「三位一体の改革」では補助金を減らして自治体が自由に使える地方税と地方交付税に構成をシフトさせる。それによって自治体が国の意向に左右されずに行政活動をすることが出来るようにしようというのが理念として出されました。ところが実際は自治体が自由に使える財源を増やしますという理念がどこか飛んでしまい、財源を召し上げるだけの改革になってしまいました。具体的には税源が三兆円移譲されたが、補助金は四・四兆円削られた。しかも、地方交付税は三・四兆円も削減されトータルで四・八兆円も財源がとられてしまった。二つ目には自己決定権の拡充も全くなかった。
なぜ、自由度が上がらなかったかというと、削られたものが全部義務的なものだけだったからです。例えば、義務教育費の国庫負担金、また保育所の運営費とか国民健康保険など国が制度設計をしているもの、また、義務教育費国庫負担金は小中学校の教職員の給料に対して二分の一を保障するというものですけれども、こういったものの補助率を三分の一に下げた。補助率が下がった分、これは地方交付税で算入されますが、自治体が負担しなければいけないので自由度は全く上がっていません。結局、「三位一体の改革」とは、百害あって一利なしの改革だったと言えるわけです。
新型交付税導入による
地方交付税制度の解体
「三位一体の改革」が終わった直後から新しい動きが矢継ぎ早に出てきました。一つは竹中前総務大臣が作った私的懇談会「二十一世紀ビジョン懇談会」、二つ目が経済財政諮問会議の歳入・歳出一体改革。三つ目が地方六団体が作った新地方分権検討委員会、そうして総務省が作った「分権改革プログラム」です。この動きは地方交付制度制度そのものを破壊する動きになっています。
まず、「二十一世紀ビジョン懇談会」の最終報告では、一つは新分権一括法を三年後に作る。二つ目が地方債の完全自由化、今までの地方債は国の許可制でした。それを、完全に自由化し、自治体が個別の金融機関と話し合って発行条件を決め利率等を決めて、外資まではいる動きになってきています。
例えば大阪市が発行する市場公募債は利率が高く、条件が悪い。いま、市場で取引されているのは主に都道府県と政令市の地方債です。一般の市町村ではおそらく、地方債を発行出来ない自治体が出てきます。優良な地方自治体は都市銀行から借りられるけれども、財政力の弱い自治体は消費者金融から借りないといけないということになります。これはアメリカがモデルです。三つ目がいわゆる破綻法制とか財政再建化法とかいわれれるものです。あと、交付税改革として、交付税の算定基準の簡便化、道州制が掲げられたわけです。
経済財政諮問会議でも、不交付団体の比率を引き上げるといっています。それは大きく二つのやり方があります。一つは税収を増やすということです。ところが日本の場合は地方自治体が独自に税をとるという仕組みではなくて、国は税源移譲を行うことによってそれをやらなければならない。その地方自治体の税収がその基準財政需要額を上回れば、地方交付税に頼らない不交付団体となります。
しかし、経済財政諮問会議・国が想定しているのは国が見積る必要な経費を人為的に減らし、相対的にその自治体の税金部分を多くすることであって、実際に支出している金額は変わりませんから、結局自治体は一般財源・交付税を減らされるだけということになります。その中身として掲げられているのが、竹中総務相が言っていた交付税の配分方法を人口面積など簡便な基準に切り替える新型交付税です。「過去の基準財政需要額を抑制」とはっきり言っています。財務省も同じ事を言っています。地方六団体の方ではそのことがよく分かっているから「地方税の充実強化により」地方税を増やすことによって、不交付団体を増やすべきだと、対抗しています。
新型交付税の内容
総務省が出した案は今後三年間で五兆円の見直です。「新型交付税」は人口と面積で配分し、「包括算定経費」と呼ばれています。ただ、これと同時に「地域振興費」という費目が設けられました。これが実はみそで、新型交付税はこれが平成十八年度つまり、新型交付税が導入される前の交付税と今年度のを比べると、算定項目が大きく減っています。この「新型交付税」である「包括的算定経費」に、投資的経費つまり、公共事業の部分をも、道路と港だけは残し、人口と面積だけで配分する形に変えてしまいました。
例えば企画振興費というのは農村振興の経費で、農村部ほど手厚く与えられる経費であり、その算出は第一次産業の従事者が多い、また、若者の定住率の悪い自治体ほど手厚いわけです。つまり、過疎にならないように措置されていた経費が企画振興費です。これらが人口と面積であらわされる新型交付税へ移行することになり、それと同時に地域振興費が新たに創設されました。
包括的算定経費は人口と面積だけでこれを算出しますから、人口が少ない自治体、面積が小さい自治体はやっていけず、財政がすぐに破綻します。だから、国は人口が少なくなるほど地方交付税を加算してやるという形で新型交付税に修正を加えました。もう一つは面積、市町村の場合は人口で配分するもの一〇に対し面積で配分するものが一、都道府県は人口で配分が三に対し面積が一なんですが、面積といっても土地の利用形態によって市町村では、宅地を一としたら、田畑は〇・九、森林が〇・二五、その他は〇・一八という形です。つまり、面積が大きくても人が住んでいなければ交付税は少ない。新型交付税に面積を入れるというのは北海道対策だと言われています。
新型交付税では、いくら補正をかけても、破綻する自治体が出てきますから、地域振興費を作って措置しました。それに僻地、寒冷地、合併したところ、基地があるところ云々、こういったものを入れていきますから、地域振興費というのはものすごく複雑になりました。
新型交付税の特徴というのはむしろ旧型だということです。段階補正や口や土地の利用形態による補正を行う地域振興費というものを作って各自治体の基準財政需要額が変化しないように措置した。国が人口と面積だけで交付税を配分した簡素化は結局は非現実的だったということです。出来ないことを無理にやったがために、非常に複雑怪奇な地域振興費という別の無理を作らざるをえなかった。
地方交付税の簡素化で格差拡大
今後地方交付税の簡素化が進んだらどういうことになるか。長野県の下條村(人口約四千人)、阿智村(人口六千五百人)と大阪市、豊中市、枚方市、新型交付税の対象として企画振興費とその他の諸経費に完全に人口と面積だけで補正係数をかけずに簡素化された場合どうなるか。下條村でマイナス一四・八%、阿智村でマイナス七・六%、大阪はゼロ。実は大阪市は生活保護世帯が多いから地方交付税に頼っています。豊中、枚方はむしろ増えます。つまり、新型交付税の導入によって財政力の弱い自治体ほど財源が減って、財政力の強いところほど増えてしまうという結果が起こります。自治体間の格差は拡大し、教育・福祉・保健衛生など自治体への影響は深刻になります。どこに住んでいても同じサービスを受けられると言うこの国の形が壊れてしまいます。
私は今の地方交付税制度は基本的に残すべきだと思っています。旧来の地方交付税の算定が複雑なのは悪いことではなく、それだけきめ細かく算定しているということはその自治体に応じた財政事情を補足してやっていることであり、むしろ非常にすぐれたことです。
安倍政権下ですすむ地方破壊
地方交付制度の再評価を
最近、安倍政権は「頑張る地方応援プログラム」という交付税三千億円で措置し、(今年度は二千七百億円)「頑張った地方自治体」に交付税を増やすとしています。「頑張る」指標は行政改革、農業、製造品出荷額、事業所の数、出生率が上がった、転入者が増えた、小売り業の年間商品販売額が増えた、若者の就業率が増えた、ゴミ処理量が減った自治体についてはご褒美として地方交付税をあげますということです。
例えば、先ほど紹介した下條村、ここは出生率が二・一二あり、日本のスウェーデンと言われています。ここは確かに若者の定住を増やして出生率を上げる努力をしています。その横に泰阜村という村があります。ここは高齢者福祉で大変有名な村です。ここは診療所を核にして在宅福祉を昔から非常に手厚くやって来ました。我々はこの施策について優劣をつけるのかどうか、自治体の意志として少子化対策をとる自治体があってもいいし、自治体の意志として高齢者福祉を重視する自治体があってもいいのです。泰阜村の高齢者福祉はけしからん、下條村の少子化対策は非常に優れているから下條村に交付税を上げると国が差別して自治体が民主的に決めた施策を差別して誘導する、それも補助金でなくて、地方交付税でやるということは地方交付税の意味を全く理解していない、格差を助長する最悪の施策だと思います。
「ふるさと納税」も最悪の制度です。「ふるさと」の定義も曖昧ですが、例えば我々はある田舎地域で生まれ育ち東京に行き、東京で働いて税金を納めています。どの田舎でお世話になったから直接どこどこの地域に渡すという制度がない代わりに社会的に措置する制度が地方交付税制度なのです。社会全体として再配分し税収の少ない自治体の面倒を支えてきたわけです。年金でもそうです。自分の親にお金を渡す制度でなくて、社会全体で勤労者とリタイア組という形を設けて年金で所得移転を行ってきたわけです。これを自分の親だけをやりましょうといったら年金制度は要らない。これと同じ事で、「ふるさと納税」をやるということは、それによって自治体間の競争が煽られます。こういう制度は止めるべきです。
「ふるさと納税」とか簡素な「新型交付税」だとか「頑張る地方応援プログラム」とかそういうキャッチフレーズに惑わされずに、是非とも地方財政制度とはどういう仕組みか、この国の形を作っている地方財政制度の仕組みと実際果たしている機能というものを再評価することが必要だと思います。もちろん、国や自治体の無駄というものをちゃんと精査してどういう風に変えましょうと言う提言は欠かせません。それによって自治体が自分たちで統治するという能力が必要です。
地方交付税制度の趣旨をよく考え、地方財政の制度をこれ以上破壊させない運動がいまこそ必要になっていると思います。
(五月二十五日、大阪での公開学習会「新型交付税を考える」での講演要旨・文責編集部)