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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年3月号
(資料)「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」日曜版(1月7日)より
スーパーノート
偽ドル札の秘密
クラウス・W・ベンダー
原文(Das Geheimnis der gefalschten Dollarnoten)はここをクリック
インターポール(国際刑事警察機構)にとって、スーパーノート問題は最優先課題である。二十年近くにわたって、精巧なニセ百ドル札が大量に出まわっているが、インターポールの捜査にもかかわらず、その出所が見つかっていないからだ。
二〇〇五年三月、インターポールはいわゆる「オレンジ警戒」を発した。「オレンジ警戒」で、インターポール加盟国は特別な脅威状況と通告される。二〇〇六年七月末、インターポールは各国の中央銀行、捜査当局、セキュリティ印刷業界による「スーパーノート危機対策会議」を開催した。
アメリカ人は、犯人が米国の敵で共産主義独裁の北朝鮮であると、信じている。しかし、この一日の会議の結果、このような考えに対する強い疑念が支配的になった。さらに悪いことには、このうわさを主張しているアメリカ自身が、偽造の背後にいる可能性が強まったことだ。
鞄に多額の札束を持つ外交官
一九八九年にマニラの銀行で最初のニセ百ドル札が発見されてから、騒ぎが大きくなった。紙幣印刷の専門家による視覚検査や触手検査―普通の市民がやれる最も主要な信ぴょう検査―によっても、このニセ百ドル札と本物とを識別できなかった。それで捜査官たちは、この偽造に敬意を表して「スーパーノート」と名づけた。
その当時、イラン、シリア、レバノンのヒズボラ、旧東ドイツを含む国々が疑われた。ワシントンはそれを思い出すことを喜ばない。なぜなら、今では北朝鮮に違いないと確信しているからである。
状況証拠として、北朝鮮の外交官や外交官パスポートを持ったビジネスマンがこの数年、多額のスーパーノートを持って捕まったことが役に立った。脱北者はニセ金づくりは国ぐるみだと言った。しかし、供述の信頼性には疑問が残る。
米国メディアの自主規制
主な証言はモスクワの元北朝鮮大使館員で、彼は一九九八年にロシアのウラジオストックで、三万ドルのスーパーノートを所持して逮捕された。彼は二〇〇三年に西側へ寝返って、ニセ金づくりは独裁者・金正日の私腹を肥やすためで、自分は個人的に関わり、スーパーノートの作成に責任を持っていた、と証言した。
それ以来ワシントンの人間は、金正日がスーパーノートでフランス製のコニャック、ミサイル、核兵器計画の資金を調達するだけでなく、破たんした経済システムを崩壊から救うために偽造をやっている、と信じてきた。アメリカは、北朝鮮で毎年二億五千万ドルのスーパーノートが印刷されて流通している、と主張した。疑うことは許されない。全米のメディアは、この問題だらけのトピックには口をつぐんできた。
綿は米国の南部州産
紙幣の印刷は極めて複雑で、技術的な冒険である。素人が、スーパーノートと言われるほどの質を持つニセ金を作るのに必要な専門的技術を想像するのは難しい。スーパーノートに使われる用紙は、長網抄紙機(フォードリニア・マシン)と言われる機械で、正確に綿七五%、リンネル二五%の比率で作られている。アメリカ人だけがこうやって作っている。
スーパーノートには本物と同じように、微細な文字で「USA100」と刷られた極めて細いポリエステルの糸がすき込まれているだけでなく、グラデュエーションの透かしもある。だから、偽造者にとって少なくとも一台の紙製造機が必要である。それに加えて、紙専門家の物理化学的な分析は、使われている綿がアメリカの南部州産と結論づけている。もちろん、この綿は市場で自由に手に入れることができる。
彫刻凹版印刷による最初の偽造
第二次世界大戦中にナチ・ドイツが行ったイギリスのポンド紙幣の偽造を除いて、紙幣偽造の長い歴史の中で、彫刻凹版印刷による偽造は一度もなかった。しかし、スーパーノートはインクの盛り上がりが完璧にわかる、インタグリオ彫刻凹版印刷によるものだ。だから、そのようなスーパーノートを印刷するためには、インタグリオ彫刻凹版印刷機が必要だ。これを製造しているのはドイツのヴェルツブルグにあるKBAジオリ社(前DLRジオリ社)だけで、アメリカの財務省印刷局は長年にわたってこの印刷機でドル紙幣を印刷してきた。
この特殊な印刷機は、公開の市場で手に入れることはできない。中古機械の販売でさえ、インターポールに報告されるのが通例である。北朝鮮は、一九七〇年代にKBA社で製造された普通印刷機を所有している。しかし、専門家の情報によると、その印刷機は改造しなければスーパーノートを印刷できないし、交換部品がないため、ずっと停止状態にある。今は、中国が隣国のために紙幣を印刷しているらしい。
厳重に安全管理された工場のセキュリティ・インク
一九九〇年代に北朝鮮がKBAジオリ社から最新の印刷機を秘密に購入したという主張は作り事である。平壌はヨーロッパで新しい印刷機を購入しようとしてきたが、今までのところ成功していない。古い普通印刷機の代金を全部払っていないためである。
さらに、犯罪科学研究所の分析で、スーパーノートに使われているセキュリティ・インクは、本物のドル札に使われているインクと完全に一致していることが明らかになった。光の入射角によって色が変わる高価なOVIインクに対応し、ドル札は青銅の緑色から黒色に変わる。トップ・シークレットのOVIインクはスイスのローザンヌにあるシックパ社だけで製造されている。このインクを使っているのはFRBだけで、米国のハイ・セキュリティ工場の中でアメリカ人の免許所有者によって配合される。このことは米ドルに使われている全てのセキュリティ・インクに適用される。
それにしても、製造過程における厳しい管理にもかかかわらず、少量の特別インクが盗まれる可能性は排除できない。しかし、いかにして大量生産に必要な量が気づかれずに持ち出されるか、いかにして厳重にガードされた国境を越えて国外に運ばれるか。それを問うことは興味深い。しかし、北朝鮮がかつてシックパ社の顧客だったことは事実だ。
スーパーノートが本物のインクで印刷されているかどうかを、シックパ社は簡単に検証できる。秘密のタグ(荷札)システムで、正確な製造日までさかのぼってセキュリティ・インクを追跡調査できるからだ。アメリカが最大の顧客だから、シックパ社はコメントを拒否してきた。
平壌の関与
FRBと財務省印刷局が一九九六年以後に発行している新ドル札については、さらに奇妙なことがある。新ドル札に加えられたどんな変更も、偽造者はただちにスーパーノートに反映させている。現在、少なくとも十九版のスーパーノートが確認されているが、いずれも全く完璧だ。新札にはわずか四万二千分の一インチ(一インチは二十四・五ミリ)の大きさの微少な印刷が隠されているが、スーパーノートを拡大鏡で見ると、本物と寸分の狂いもない。偽造者はこれほどの専門家をどこで見つけのだろうか?
「平壌の関与」と「米国に対する経済戦争」という米国の主張はほとんど信じがたい。不思議なことに、偽造者は新札に使われている赤外線反応セキュリテイ・インクの技術を修得しているはずなのに、どんな紙幣検査システムでも直ちにニセ物とわかるような、ばかげたことをしている。米国では、スーパーノートはチャンスがない。それだけでなく、五十ドル札は百ドル札よりも大量に使われているにもかかわらず、犯人が百ドル・スーパーノートよりも完璧に偽造される五十ドル・スーパーノートを流通させていないのも不審なことである。
もうからない投資―印刷機
もし、北朝鮮がスーパーノートの偽造によって経済的利益を追求しているのならば、スーパーノートは投資失敗の典型と言えよう。偽造通貨対策に責任をもつ米国諜報機関の資料によれば、それが見つかってからの十七年間に押収されたスーパーノートは五千万ドルにすぎない。しかし、金正日は五千万ドル以下で偽造に必要な印刷機を買うことはできない。
ヨーロッパでは、銀行の自動検査によって、偽札は日常的に流通から排除されており、スーパーノートの出所が東アジアだと確認できた偽造通貨捜査官は一人もいない。スーパーノートの出所はほとんど中東、東アフリカ、そしてロシアだと考えられている。
偽札はおそらく、武器売却の代金として、これらの国々から北朝鮮に流れ込んだと思われる。日本はこれまで、北朝鮮と貿易関係を持っていたが、日本の警察は長年にわたって、スーパーノートの増加を確認することはできなかった。まったくその逆だった。
CIAの秘密印刷所
韓国警察は、ソウルで何度か、北朝鮮との国境に近い中国の都市、瀋陽や丹東から来た人間の所持品から多額のニセ札が見つかったと発表した。しかし、韓国警察によれば、多額のスーパーノートを所持した北朝鮮外交官を拘束した最後は、何年も前のことだった。
だから、北朝鮮に対する米国の非難は、根拠が非常に薄弱だ。今では振り子がもどり、この数年間、高セキュリティ印刷業界の代表者や偽造捜査官の間で、秘密の印刷所でスーパーノートを印刷しているのはアメリカのCIAだといううわさが広まっている。その印刷所はワシントンの北の都市にあり、そこにスーパーノートを印刷するのに必要な印刷機がすえられている、と言われている。
CIAは偽造紙幣によって、国際的な紛争地域における秘密工作の資金を自前で調達できるし、それはアメリカ議会の監督下におかれない。ニセ金づくりは、簡単に不倶戴天の敵である平壌の仕業にすることができる。
いわゆる「明白な証拠」
十五年間、スーパーノートに関心を持っていたのはニセ金捜査官だけだった。しかし、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、はじめて公式に平壌を非難することによって、この問題を朝鮮半島政策の土台にした。ワシントンは安全保障を理由に証拠の開示を拒否しながら、いわゆる「明白な証拠」を気ままに使った。
そのような主張は賞味期限切れである。さもなくば、大衆は二〇〇三年にイラク戦争に導いた時とそっくりだと見る。アメリカはあの時、イラクが大量破壊兵器を持っている「明白な証拠」があると言って、侵略を正当化した。後に、アメリカは「明白な証拠」が間違いだったことを認めざるを得なかった。