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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2006年10月号
広範な国民連合全国世話人 石川 元平
米軍基地と沖縄知事選
日本防衛のため「捨て石」にされ、多くの住民が犠牲になった沖縄戦を体験した県民は米軍基地に反対し、平和な沖縄をめざして闘ってきました。米軍支配下で、初めて県民意思が問われたのは一九六八年の主席(県知事)公選です。
当時、県内のあらゆる団体が参加して作られた「祖国復帰協議会」の運動方針が「即時、無条件、全面返還」でした。その方針を屋良朝苗・革新統一候補は、選挙公約の中心にかかげました。つまり、「核も基地もない、平和な沖縄」です。
一九六九年の佐藤・ニクソン会談の合意は「核抜き本土並み返還」でした。しかし、生物兵器や化学兵器も含めて、「核」は隠されていました。また沖縄の基地縮小は実現せず、「本土並み」になったのは、日米安保条約の即時適用と自衛隊の配備でした。いまだに米軍基地の七五%が沖縄に集中するなど県民要求は、ことごとく裏切られてきました。
屋良県政と平良県政の革新の県政の後、一九七八年十二月から西銘保守県政が三期続き、九〇年十二月から大田革新県政が二期、九八年十二月から稲嶺保守県政が二期。県知事選の度に米軍基地問題が常に大きな争点として闘われました。
一九九五年に米兵による少女暴行事件が起こり、沖縄本島の県民大会に八万五千人、八重山など含めると九万人以上の県民が立ち上がりました。その時に採択された決議は「被害者に対する謝罪と賠償」だけでなく、「基地の整理縮小、撤去」と「日米地位協定の抜本見直し」です。
また米軍用地使用を拒否する地主に続いて、当時の大田知事も代理署名を拒否をしました。そこで政府は、地主や県知事が拒否しても首相が代理署名すれば軍用地を継続して使用できるように米軍用地特措法を改悪しました。
この時の島ぐるみの闘いは日米政府を震撼させました。基地の整理縮小、地位協定の抜本改定という県民要求に対して、日米政府は九六年四月、「普天間返還」を発表しましたが、県内移設が前提というごまかしでした。この橋本・クリントン会談で日米安保共同宣言が出され、日米安保がアジア太平洋地域に拡大するという「安保再定義」が行われました。県民要求はまた裏切られました。
日本政府は、基地に反対する大田県政に対して、沖縄に対する援助を全て凍結をしました。そして九・二%という他県の二倍程度の高失業率を大田県政のせいにしました。また沖縄県政で革新の側にいた公明党が、中央政治での自公体制を反映して九八年の県知事選で保守の稲嶺候補を支持しました。こうして九八年に稲嶺保守県政が誕生しました。
稲嶺県政の八年間
米軍基地を容認し、日本政府の経済振興に頼るというのが歴代の保守県政の姿勢です。稲嶺県政も同様でした。しかも稲嶺県政は、歴代保守県政の中でも初めて新たな基地建設を容認しました。つまり普天間基地の県内移設、名護の辺野古「沖合埋め立て案」を容認し、「軍民共用化」「米軍の使用期限は十五年」です。
しかし、「米軍の使用期限十五年」問題は、日米政府からまったく無視されてきました。そして、昨年十月末の日米再編の中間報告で完全に消されました。何よりも辺野古沖合埋め立ては県民の実力闘争によって阻止され、作れませんでした。そこで日米両政府は、辺野古「沖合埋め立て案」をあきらめ、辺野古・大浦湾への「V字型沿岸案」で合意し、閣議決定しました。
それでも県民大多数は一貫して普天間基地の県内移設に反対です。何度も行われた世論調査で県民の八割以上が県内移設に反対、賛成はわずか六%程度にすぎません。ところで米軍再編の動きが出ても、県の最高責任者である知事は全く主体的な意思表示ができませんでした。そして選挙公約の「沖合埋め立て案」は日米政府の最終合意で反故にされました。
もう一つの選挙公約は、大田県政の失政だと批判した高失業率の解決など経済問題でした。基地を容認して経済の活性化・振興を図るという政策は、アメリカの直接支配の時代からの保守県政の一貫した政策です。大田県政の失政と批判したのに稲嶺県政でも失業率は他県の二倍で改善されていません。一人当たりの県民所得は、全国平均の約七割、東京と比べると半分にも達しません。基地に依存する限り、沖縄の地域経済の発展や県民生活の向上はない、半世紀以上にわたる基地の島・沖縄の実態が物語っています。
稲嶺県政の選挙公約は、基地問題でも経済政策でも実現せず、解決へ向けてのきっかけも作れませんでした。そういう状況の中で、県議会でも「選挙公約はどうなったのか」と追及され、稲嶺氏自身が三選の意欲をなくしました。
米軍再編で進む沖縄の基地強化
「名護・辺野古への県内移設」は県民の身体を張った闘いで一歩も進みませんでした。一方で、危険な普天間飛行場の閉鎖・返還という県民要求が無視され続ける中で、二〇〇四年八月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落事故を起こしました。九月に三万人が参加した「宜野湾市民大会」を開き、「普天間の即時閉鎖・返還」の要求を突きつけました。
地元沖縄の頭越しに進む米軍再編に反対して、今年三月五日には三万五千人が参加した辺野古沿岸部への新基地建設に反対する「県民総決起大会」を開き、改めて「普天間基地の即時閉鎖・早期返還」などを日米政府に要求しました。にもかかわらず、日米政府は県民の頭越しに、「V字型新基地建設」に血道を上げています。
一方、日本政府は、沖縄の海兵隊八千人のグアム移転で、沖縄の負担は大幅に軽減すると言っています。しかし、「沖縄の負担軽減」はごまかしです。たとえ実現しても七五%の米軍基地が、七〇%にしかなりません。実際は基地の機能強化が進んでいます。
例えばパトリオット・ミサイル(PAC3)の配備問題。PAC3は戦地における兵器で、大気圏を飛んでくるミサイルをイージス艦で察知して撃ち落とす。イージス艦で撃ち落とせなかったものを、十キロ前後の中で迎撃するという。しかも、米軍は百発百中ではないから多く配備すると言っています。発射台四基とミサイル二十四発が嘉手納基地に強行搬入されました。さらに来年三月までに追加され、全部で発射台二十四基、ミサイル百四十四発になります。その兵員が六百人、家族も含めて千五百人が増強になります。
パトリオット配備は、朝鮮半島を口実にしていますが、米軍再編の本当のねらいは中国です。昨年二月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同声明では、中国敵視を打ち出しています。朝鮮も仮想敵国にしていますが、本当の仮想敵国は中国です。当面、朝鮮を口実にしたほうが有事法制など軍事大国化を進めやすいからです。有事法制がほぼ仕上がり、憲法改悪に先駆けて「戦える国民」づくりのために教育基本法の改悪をめざしています。
宮古・先島地域に自衛隊を五万五千人配備する計画があります。その先がけが下地島民間空港への自衛隊五百人の駐留計画です。下地島空港については、屋良県政と日本政府との間で、軍事使用はしないという「覚え書き」があります。にもかかわらず、最近の国会では「それ(覚え書き)に拘束されない」という政府答弁が繰り返されています。また米軍による下地島空港の強制使用が繰り返されています。フィリピンでの演習に行く途中の給油が口実ですが、既成事実を積み重ねています。
名護の「V字型」新基地は順調にいっても最低八年かかります。それまで住宅密集地の「最も危険な基地」普天間を継続使用するというのが日米の合意です。八年たつと現在の老朽化したヘリがどうなるのか。六年後の二〇一二年にはオスプレイの配備が計画されています。オスプレイはヘリコプターのように垂直に離発着できる戦闘機ですが、米国本土でも何度も墜落事故を起こしています。また嘉手納基地の爆音が最近ひどくなっています。垂直離発着機ハリアーの爆音を聞きましたが、すさまじい爆音です。まさに戦時体制だということを強く感じます。
米軍再編による日米軍事一体化、共同使用の動きであり、沖縄を対中国の基地として強化しようという米国追随の危険な動きです。沖縄戦に続いて、沖縄がまたまた「捨て石」にされるという認識を多くの県民が持ちはじめています。
米軍再編に対する県民投票
米軍再編による基地強化が進んでいる中で闘われるのが今回の県知事選挙です。稲嶺知事の後継・保守の仲井真候補(自民と公明)と、革新の糸数候補(社民党、社会大衆党、民主党、共産党、自由連合)で、十一月十九日投票の県知事選が争われます。
糸数候補の政策は、五党と糸数候補が確認した五つの政策が基本です。「米軍再編による基地機能強化と沿岸案、新基地建設を許さず、基地の整理・縮小、撤去をめざす。また日米地位協定の抜本的な改定を求める」「基地に頼らない自立した産業・経済の振興」などです。
稲嶺知事の後継の仲井真候補は、八割の県民が普天間の県内移設反対なので、「V字型沿岸案」には反対と言わざるをえない。「暫定ヘリポートを整備し、移設問題は三年以内の解決をめざす」と玉虫色でごまかしています。しかし、保守県政が求める振興策は米軍再編の出来高払いです。つまり、普天間の県内移設が進まなければ、振興策も進みません。経済政策では、「失業率を半分に」と言っています。この問題も大きな争点です。
県政の課題は山積していますから、基地問題を中心にしないと県民意志を束ねることは難しくなります。日本政府と保守県政がこの間やってきた振興策という欺まんに巻き込まれてはなりません。とくに米軍再編が進む中で行われる知事選ですから、米軍再編に対する「県民投票」という意義を持たせて、判断を求める選挙にしなければいけないと思います。
(談・文責編集部)