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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2006年3月号

小泉政権の医療改革の欺まん

熊本県保険医協会名誉会長  宇野 昭彦


米国のグローバリズムと社会保障制度破壊の流れ

 連日のようにいろいろな事件が報道され、刑事、民事を問わず、一般の理解をこえる事件が世間にあふれてきて、医師仲間のきわめて体制的な連中の中からも、これは個々の問題ではなく、世の中がおかしいのではないか。日本という国の形が変わりつつあるのではないか。といった不安な声が聞こえてくるようになりました。
 小泉政権が高らかにうたいあげ、かつて国民の大半が支持した構造改革路線の欺まん性に、心ある市民は今さらながら気づき始めたということでしょう。
 もともと、小泉政権のいう構造改革は、経済のグローバリゼーションに対応するものとしてスタートしました。経済のグローバル化の中で、日本の企業も、国境を超えた国際企業となり、その体質に合った社会制度への変革を求めてきたわけで、古来からの「村社会」的システムでは国際競争に耐えられないと考えたのでしょう。
 しかし、東西冷戦後のグローバリゼーションは、グローバルとはいいながら、しょせんアメリカン・グローバリズムであって、それは経済の分野にとどまることなく、アメリカ的な市場万能主義や、個人の自由と自助努力、オープンな競争社会などを必要以上に強調し、小さな政府とか、当然それに抵抗する福祉国家体制を批判する姿勢に及んだのでありましょう。
 当初より小泉首相は、「聖域なき構造改革」と叫んでいましたが、当然彼の心の内では「福祉・医療」もその中に入れていたのでしょう。人間にとって「人間の尊厳」こそ絶対の聖域であり、福祉、医療を含めた社会保障は、その聖域を守る社会的な砦なのです。
 第二次世界大戦後に、西欧諸国で確立した福祉国家体制は、一九六〇年代の経済成長を背景に発展を続け、諸国家間に福祉拡充に対する一種の合意をつくり出したほどでした。しかし、七三年のオイルショック以来の不況によって、長期的な経済の停滞と、失業の増大に悩まされ、各国とも財政危機がもたらされ、差はあるものの福祉体制に対する見直しの気運が生まれてきました。とくにイギリスは、NHSサービスの徹底ぶり(揺りかごから墓場まで)などの問題があり、とくに厳しく福祉関係の労働者を中心とする激しい労使交渉、ストライキなどによって、福祉のイメージが損なわれ、サッチャー政権の成立となり、鉄の宰相によって「小さな政府」「官から民へ」の政策が確立していったのです。
 もっとも議会制民主主義をとる現代社会では、選挙で勝利を得るため政党間で、社会サービスの過剰な拡大を公約する傾向があり、官僚はまた、物の値段を考えず、また競争の制約から無縁な仕事を行う官僚制の下で、その無理な公約も無抵抗に引き受けるばかりか、内在的に、拡大させる傾向も考えられるし、ある分野ではそれなりに民間開放が望まれることもあるでしよう。

医療は市場原理になじまない

 しかし、ここではっきりさせておかなければならいないことは、もともと医療の分野には通常の市場原理はなじまないという点です。経済学的にまた社会学的に、いくつかの点があげられていますが、まず情報の非対象性という点です。これは専門知識の格差が大きいということです。筆者の属する耳鼻咽喉科についていえば、大学六年の後、研修医期間を過ぎて、大学付属病院またはそれに準ずる病院(各県で指定)で、耳鼻咽喉科の専属医師として七年間研修して、日本耳鼻咽喉科学会認定専門医の受験資格が取れることになっています。二番目は需要構造の特殊性があげられます。医療に対する要求は、人間存在に直接結びつく生命、健康、苦痛などに関するもので、単に物が欲しいという次元とは異なるということです。三番目は平等の原則です。死に瀕している人、苦痛にあえいでいる人を前にしては、その社会的地位、貧富などによって差をつけることはできないということです。次に上げられるのは、医療は一般の経済原則では処理できないということです。一例をあげれば、地域によっては救急の医療部門を設けることが経済的にマイナスになると分かっていても、あえて設置するなど、つまり一般的な損得勘定のらち外にある仕事もやらねばならないということです。

国民犠牲と公的医療制度の破壊

 政府は昨年十二月に、〇六年四月の診療報酬改定については三・一六%引き下げると発表しました。これは過去最大の引き下げであり、医療に与える影響の大きさを考えざるを得ません。診療報酬の引き下げは、医療制度改革大綱の中の医療費適正化対策の一環ではありますが、これは官邸の主導で決まったとの下馬評がもっぱらです。
 政府は今回の大綱で「経済財政との均衡のとれた」「医療制度を将来にわたり持続可能」にするためのものであるといっていますが、いかにも、現在の医療費が高額すぎて、それでは将来にわたって維持できないし、大きく財政を圧迫しているのだといわんばかりの主張ですが、これにはそれこそ大きな欺まんがあるのです。
 現在医療制度が抱えている財政問題は、その大きな原因の一つが国庫負担の強引な削減にあるということです。日本の医療費は国際的にみても、例えばGDPに対する割合など先進諸国の中でも最下位に属するもので決して高額に過ぎるものではありません。
 しかし、「大綱」が意図するのは、医療や年金に対するさらなる公的給付の抑制と、それをカバーする増税です。また民間保険など、医療市場を拡大し、日米の企業に提供しようとするものです。さらに医療保険の伸びを「経済財政と均衡」させるとして、患者負担増と、診療報酬の引き下げや、生活習慣病対策、平均在院日数の短縮などを推進しようとしています。さらに、公的医療保険を地方の都道府県単位に再編統合し、医療保険給付費と保険料が連動する仕組みも導入する方針です。これは受診治療の抑制であり、かえって症状を悪化させ高医療費を招くおそれがあります。また国が責任をもつべき国民の健康、医療への責任と負担とを、地方自治体に押しつけることは安易に容認できるものではありません。これは、地域間のいろいろな格差を招くことになり、混乱をもたらすものと考えられます。
 改革の中でも、とりわけ高齢者への負担が厳しく、これは団塊世代を意識したものと思われますが、自己責任を強調し、ますます医療機関へのアクセスをより困難なものにしようとしているとしか思われません。
 平成十二年(二〇〇〇年)におけるWHOの医療実態調査(百九十カ国)の結果、日本は「健康達成度総合評価」で第一位を確保しましたが、この「小泉改革」が実現すれば、その地位が守られるのか、はなはだ危ぶまれるものがあります。
 今、真に危惧されるのは、小泉政権の政治的スタンスです。それは国民には斜に構え、アメリカばかり重視する姿勢です。医療制度改革にしても、大いにアメリカの影響を受けていると思われますが、アメリカの医療が大局的にいかに惨めなものであるか(医療保険料が高く四千六百万人が無保険者など)を知る我々にとり、改革がこのままの方向に進むときの混乱を思い慄然たらざるを得ません。
 政治家も、国民の生命、健康に対し、新しい真の哲学を持てるよう真剣に模索し悩んで下さい。