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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年11月号
広範な国民連合・大阪代表世話人、弁護士 冠木 克彦
驕る小泉への最初の冷水と
小泉のアナーキーな抵抗
大阪高裁の九月三十日付、違憲判決は司法の良心を国内外に示した。小泉首相のこれまでの靖国参拝の強行は、正に中国や韓国・北朝鮮等近隣アジア諸国に対して、侵略を正当化する行為として激しい反発を引き起こし、中国の胡錦濤国家主席は「目にしたくない」とまで表現し、この状態が続けば、日本の国民を含めて国際的恥さらしとなるところ、かろうじて、一国家機関がこの危機を救ったというべきであろう。
と、ここまで書いたところで、十月十七日小泉は靖国参拝を強行し恥の上塗りをした。ただ、これは恥だけでなく、小泉がいよいよ「コイズミットラー」になってきたということだろう。違憲でも堂々と行為を重ねれば、文句をいわなくなるザマーミロというわけだ。
しかし、もはやゴリ押しの通る時代ではない。国内外の総反撃にみまわれ小泉は立ち往生せざるを得なくなるだろう。
台湾人の霊は引き裂かれたまま
しかし、百八十八人の原告のうち百十六人が台湾人というこの訴訟で、判決後「タイアル族」の台湾立法院議員高金素梅氏は「日本人は勝ったといっても台湾人の魂はかえらない」と悲痛なる心情を表明した。これは、靖国に台湾人戦死者が上祀されている事自体の根本的矛盾を明らかにした。考えてみれば、侵略してきた国の軍人にとられ、そして、祖国を侵略したその国の侵略者をまつっている宗教施設に霊を納められ、その霊に拝礼しなければならないとされた台湾人の心は、正に、真っ二つに張り裂けんばかりではないか。真に侵略を反省するのであれば、希望に基づいて、靖国から霊を取り戻す権利を認めるべきであろう。
台湾人の本訴訟での請求は慰謝料請求であった。日本人の慰謝料請求については、各新聞が解説しているように、昔の津地鎮祭最高裁判決におけるいわゆる「目的効果基準」によって宗教活動かどうかで宗教活動と認定した上で、さらに各個人の信教の自由を侵害したか否かで判断し、本件では「侵害していない」として棄却したが、問題は台湾人に対してもこの同じ論理で正当化されるのかが論議されるべきである。
各メディアは台湾人の特殊性を何も指摘せず
一、憲法第二十条の政教分離原則に従って、本判決は、小泉の首相としての行為を認定し、国家の宗教活動であって、靖国神社という特定宗教を援助助長する行為として違憲と判断した。この判断は高裁段階で初めてであるという意味で画期的であり、かつ、現状況下で他の裁判所が司法の役割を放棄して自己保身にまわる中、勇気ある判決である。
しかし、本来であれば日本人の原告に対しても慰謝料が認められるべきである。
二、しかし、より強い根拠から台湾人には当然に慰謝料が認められるべきであった。前二項で指摘したように、台湾人の心は靖国にまつられている事自体でその心は真っ二つに引き裂かれており、その状況は靖国から霊を取り戻すまで続かざるをえない。自らの祖国を侵略した国のその侵略を正当化する国家神道の神社に霊をもっていかれているという事自体、慰謝料の発生原因であるが、その事の上に、総理大臣が拝礼するというこの「目にもしたくない」行為の苦痛を台湾人には認めても当然ではなかったか。
三、各メディアも解説もこの点にまったくふれていないのは、世の中全体として、日本の帝国主義的侵略に対する批判が甘くなっていること、この事はすなわち、与党ばかりでなく野党も含めて、侵略やファシズムに対する危機意識や批判が甘くなっていることの証拠として、私たちは重大な警戒心をもって対応していくべきであろう。