国民連合とは代表世話人月刊「日本の進路」地方議員版討論の広場トップ


自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年6月号

花岡事件から六十年目の今年

NPO花岡平和記念会副理事長  谷地田 恒夫


 「花岡事件」から六十年を迎える今年は戦後六十年であり、抗日戦争勝利六十年である。そして、花岡受難者連誼会の鹿島に対する三項目要求(謝罪・記念館建設・賠償)交渉で、鹿島が強制連行・強制労働の事実と責任を認めて謝罪し、早期解決を約束した共同発表から十五年目の年であり、二十世紀最後の年十一月の鹿島との花岡和解から、五年目の節目の年でもある。
 このような年に、羽織袴で靖国参拝する小泉首相がテレビでよく放映される。中国での反日デモや、小泉首相の靖国参拝発言、呉儀副首相の会談取りやめて帰国した背景をめぐって、マスメディアの中国に非があるかのような報道と相まっての出来事である。アジアに背を向け、アメリカ追従一辺倒の小泉政権を批判することなく、マスメディア自らの自己規制による偏向報道は、時代がタイムスリップした感がある。
 今年一月、ベルリンで行われたドイツ政府主催の「アウシュビッツ強制収容所解放六十周年記念式典」での、シュレイダー首相の挨拶や、一九八五年ドイツ敗戦四十周年に連邦議会で行った、ワイツゼッカー演説の、ドイツ贖罪に対する誠実で格調高い反省の叫びに比べ、まったく相反する小泉をはじめとするこの国の政治家の発言と行動に、この国がどこに向かい、何をなそうとしているのかを思う時、目の前が真っ暗になる。
 「花岡事件」六十周年の今年、「花岡事件」及び花岡和解の歴史的意義を理解し、次の世代に伝えることを目的に、北京・中国紅十字会賓館で記念の諸活動が六月二十九日から七月二日まで開催される。メインは三十日の追悼会であるが、この追悼会では花岡現地で行われる大館市主催の慰霊式をライブ中継し、北京での生存者・遺族と花岡現地の参列者が一体となって行われる画期的な行事となる予定である。
 追悼式には、「強制連行を考える会」の人たちなど、花岡受難者連誼会の運動を支援し共闘してきた人たちが参列する。NPO花岡平和祈念会からも五名がこの行動に参加する。また、現地花岡での慰霊式にも連誼会の代表が来日し参列する。
 NPO花岡平和祈念会は、鹿島との花岡和解の三項目要求のうち、謝罪と賠償については解決を見たが、記念館建設については取り残されたので、花岡現地に地元の人達の手で記念館を建設しようという目的で設立されたNPO法人である。NPO花岡平和記念会の代表は、北京での追悼会で記念館建設の第一歩を踏み出したことを報告する。強制労働の現場花岡川に隣接する土地を、記念館建設予定地として購入することが内定していることと、来年には記念館建設が実現できることを報告する。
 花岡和解の翌年「花岡平和友好基金運営委員会」が発足し、訪日団の派遣、受難者の調査、補償金と育英資金の受け渡しを行い、受難者の調査では五百八十名の生存者・遺族を捜し出している。運営委員会の任務は訪日団の派遣と中国での記念館建設にしぼられているらしい。しかし、花岡受難者連誼会のこれからの運動は、各地の強制労働の現場ごとに結成されている連誼会との共同行動を広げ、戦後補償運動をとりくむことである。そしてその運動を、日本でも広範な運動として共闘していかなければならない。私たちもその運動に参加していく。
【花岡事件とは】
 一九四二年十一月、労働力不足を解消するため東条内閣は「華人労務者内地移入の件」という閣議決定で中国人強制連行を国策として遂行。秋田県北秋田郡花岡町にあった花岡鉱業所(藤田組、現在の同和鉱業)の土木部門を請け負っていたのが当事の鹿島組で、九百八十六名の中国人が強制連行され、苦役を強いられた。過酷な労働と虐待に耐えかね、四五年六月三十日、一斉蜂起が起こったが憲兵隊や警察などに鎮圧され、この時の虐待で百人以上が虐殺された。強制連行者のうち四百十八名が犠牲となった。