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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2005年4月号
戦後六十年
重大な転換に直面している日本
戦後六十年の日本は今、重大な転換をしようとしている。平和憲法下の日本と違った形になる危険性が強くなっている。アメリカとの2プラス2協議で、台湾問題まで日米共通の戦略目標にした。こうなると、アジアにおける日本のあり方そのものも変わってしまう。太平洋戦争の悲惨な経験から何ら教訓を得ていない国に戻ってしまうのではないか。それだけはやめてくれ。今、私はそう思っている。
戦争を始めるのも人間なら
戦争を止めるのも人間
日本の世論は、流れに逆らっても仕方がないという感じが強すぎる。戦争を始めるのも人間なら、戦争を止めるのも人間だ。それを明確に持つ必要がある。私たちはもっと積極的に発言すべきだと思う。
私のことを理想主義だと言う人もいるが、私は世界から紛争がなくなるという意味で平和主義を主張しているわけではない。それぞれの国は、民族も違い、宗教も違い、利害の対立がある。一つの国の中でも、例えばアフリカでは部族間の争いが絶えない。それが近い将来、なくなるだろうとは考えられない。だから、紛争が起きることを前提に、それを戦争にしないためにどうするか。その方法を考えないといけないし、考えられると思っている。
その最たるものが日本の憲法だ。紛争はいたるところで起こるが、それを外交で解決して戦争にしない、というのが憲法の精神だ。経済で世界二位の大国である日本は、戦争をしないことを国是とし、六十年間、国策の発動として外国人を一人も殺していない。この事実は世界に誇れることで、国際社会の模範だ。
自衛隊も憲法に忠実で、節度ある活動をしてきた。だから、中国も今までは自衛隊があること自体には何も言わなかった。そういう実績を日本は築きあげてきた。
しかし、海外に派兵するとなれば別だ。国際的に軍と見なされる。紛争で一方だけが一〇〇%正しいということはないから、自衛隊が一方に味方すれば、他方の勢力から敵軍と見なされ、殺すか殺されるかということになる。かつて日本軍が侵略したアジアの国は、中国も韓国も北朝鮮も、東南アジア諸国も、自衛隊に不安を感じ、決して受け入れないだろう。
だから、私は国際開発センターの仕事で、絶対に目線を上に上げるな、政府が正しくて反乱軍がどうだとか、反乱軍が成功すれば今度はそっちに味方するとか、そんなことはよせ、と言っている。そこの住民を飢餓などの苦しみから救済する。本当に気の毒だと思う人を救う。それが開発の基本だ。
紛争を戦争にしたい
アメリカの軍産複合体
しかし、戦争に持っていきたいと思っている勢力もある。たとえば、国民の不満、不平を国内政治として解決できなくなると、国民の目を外へ向けさせるのが政治の常套手段だ。国を愛するというのはどこの国でも一緒だが、それを排他的なナショナリズムへ誘導していくのは、政治の力であり、それを裏で支えているのが軍産複合体だ。
アメリカのブッシュ政権を支えているのは、航空機など軍需に密接に結びついている産業であり、軍需と深いつながりがある石油、情報通信、自動車の資本だ。金融資本までそこに再編されている。このような軍需関連産業がアメリカ経済で主要な位置を占めているので、その浮沈がアメリカ経済の浮沈につながる。例えば、アメリカの軍産複合体にとって、台湾は最大のマーケットだ。台湾問題の緊張があるおかげで、在庫の処分ができる。
アフリカには紛争がたくさんあるが、それが戦争になっているところは、石油、希少金属やダイヤモンドなどの資源が出るところで、軍産複合体が大きな役割を果たしている。イラクは言うまでもなく、スーダンやリビアなども石油がらみだ。資源が出ないところは勝手に喧嘩しろと放置される。
市場主義とかグローバリズムという言葉も、アメリカの戦略用語だと見ておかなければいけない。アメリカが不利になることを推進するはずがない。日本にもそれで有利になる人たちがおり、彼らはそれを推進しようとする。
グローバリズムにのり
財界トップを握った勝ち組
戦後の日本は、平和憲法のもとで、軍需とは関係せずに、世界第二の経済大国を築いてきた。しかし、アメリカのグローバリズムにのって世界企業になった自動車や情報通信などの大企業は、アメリカの軍需産業と頻繁に交流し、アメリカを最大の市場としている。だから、アメリカの軍産複合体と利害が一致し、強い者やカネのある者が勝ちという価値観でも一致している。
こうした企業が日本経済の勝ち組となり、財界のトップにあがるようになった。そして、武器輸出三原則の緩和を提言し、憲法九条を改正して集団的自衛権の行使を明記するよう求める報告書をまとめた。彼らは、自分たちのビジネスチャンスを拡大するために、国のあり方に手をつけようとしている。私は同じ経済界の一員として、彼らの無節操ぶりが恥ずかしい。
言うまでもなく国家は国民のものであり、企業のものではない。ましてや、ひと握りの勝ち組経営者のものではない。政治というのは、あくまで市民社会の論理によってなされるべきで、企業社会の論理を使ってはいけない。これは鉄則だと思う。財界は節度を心得るべきだ。
アメリカは戦争をしている国
甘く見てはいけない
アメリカは今、イラク戦争など「テロとの戦い」と言って、戦争をしている国だ。戦争しているときは、勝つための論理がすべてに優先し、価値観の序列が全く変わってしまう。イラクに若干でも正義があるとか、そんなことは言えるはずがない。それを認めたら戦争で勝てない。勝つためには何をしてもいい。人を殺してもいい。拷問してもいい。医学でも何でも、あらゆる学問を動員する。外交も国際社会のプラスになるかどうかではなく、勝つための外交になる。勝つために国連をどう利用するか、同盟国をどう利用するか。それに専念する。
国際金融の中心になる世界銀行の総裁にまで、イラク戦争の張本人を推薦したように、アメリカはもうなりふりに構ってはいられない。日本を国連の安保常任理事国に推薦するのも、国際社会のプラスになるから推薦するのではない。日本がアメリカから離れないようにするためだ。戦争をしているアメリカから推薦されて常任理事国なるのは、名誉でも何でもない。
日本は経済界も政界も、アメリカが戦争しているということを甘く見過ぎている。アメリカの戦争は、必ず勝つだろう、負けることはないだろうと見ている。戦争をやりながら、経済もどんどんやっていくだろうと、楽観している。これは大間違いだ。アメリカにそんな余裕はなく、国民にものすごい犠牲を強いている。前線の兵士を十カ月で交替するというシフトもとれない。あれだけ優遇した海外派遣手当を出しても、兵士を応募でまかなうことが困難になっている。こんなことがいつまで続くんだという焦りを持っている。だから勝つために何でも利用する。アメリカが戦争しているということに関する認識が、全体として弱すぎるのではないか。甘く見過ぎている。
ただ、アメリカが十九世紀、二十世紀を通じて、世界のデモクラシーのある種の模範だったのは間違いなく、かつての日本のようにキリスト教原理主義で一本にまとまってやれるような国ではない。それが一縷の望みだ。ベトナム戦争の時がそうだった。世界をめちゃくちゃにしてやっと戦争をやめる形にはならないだろうと思う。
この危険な時期になぜ改憲か
怒りを感じる
アメリカが戦争している国である上に、さらにリスキーなことに、日本から一番近い韓国に米陸軍の精鋭部隊を展開している。沖縄には、世界のどこにでもいつでも飛んでいける海兵隊を配備している。沖縄の米軍基地は、アメリカの海外基地としては最大の基地だと思う。そういう北東アジアで、政冷経熱と言われるように、日中関係は経済交流が進んではいても政治は冷えきり、とげとげしくなっている。
そんな状況の時に、武器輸出三原則を緩め、台湾問題や北朝鮮問題を日米共通の戦略目標にした。国の形を決める憲法をいじり、集団的自衛権を行使できるようにしようとしている。くりかえすが、アメリカは戦争をしている国であり、勝つためには何でも利用する。まして、日米安保条約を結んでいる日本に、どうぞ自由にお国がらをお決めなさい、などということはありえない。そんな時に、なぜ憲法をいじり、集団的自衛権の行使を禁止している憲法の歯止めをはずそうとするのか。アメリカが戦争している国であり、日本を利用しようとしていることを知った上でやっているのか。私は怒りに近い感じを覚える。
韓国の盧武鉉さんの発言が伝えられているが、彼はアメリカが戦争をしており、韓国をどう利用しようとしているかを知っている。日本の動きが、アメリカの国益にあわせて、憲法を改正し、自衛隊を米国の戦略に組み込みやすくするものだということも知っている。その上で、こういう発言をしたのだと思う。
竹島問題に限って言うと、私はあまり知識がないのだが、日露戦争中の一九〇五年頃、朝鮮を併合するかどうかという問題を論議している矢先に、独島は慶尚北道だと向こうが言い、こちらは島根県だと言う。朝鮮を併合しようとする中では、どっちだって一緒じゃないかという感じだった。だから、これは長い間紛争の対象になるだろうと思う。
私は先日、中国で唐家センと何時間も話をすることができた。彼らもアメリカが戦争していること、台湾がどう使われているかをよく知っている。日本がどう見るか、韓国がどう見るかにも気を配っていた。北朝鮮問題も考えているが、一番意識しているのは日本だった。日本はアメリカ一辺倒だ、一体いつ変わるのか、という感じで見ている。
軍産複合体は少数派
発言封じる財界ヒエラルキー
日本は軍需とはほとんど関係なく世界第二位の経済大国になったから、経済界で軍産複合体は少数派だ。たとえば、サービス産業の人たちは武器三原則なんて関係ないと見ている。軍産複合体が権力構造に食い込むことによって、日本の行き方がまったく変わると言うと、全員がノーだ。
しかし、日本の産業の一部にすぎない勝ち組の経営者がトップに上がったので、経団連や経済同友会があんな発言をする。他の経営者は賛成しているのでなく、反対できない立場にあるのだ。会社を預かっている現役の社長たちが集まっている経団連や経済同友会は、一人一票ではない。社長たちは何千何万の社員を抱えている。財界トップと利害関係のある会社の社長は、彼らのいうことに反対だと思っても、自分の会社の社員の顔が浮かぶ。マスコミがもっと突っ込んでものを書いてくれれば、どちらが正しいのかと議論できるけれども、そうじゃない。そういうヒエラルキーができあがっている。
私などは最初、「異端」だと言われた。しかし、異端でないと思っている人はまわりにいくらでもいる。自分では言えないが、もっと言ってくれという人が多い。私自身も、現役の社長に言えとは言えない。私が代わり言おうということになる。
私の場合は、企業のトップを離れている。国際開発センターの会長をしているが、これは現世紀の課題たる貧困を世界からなくすべく低開発国の住民を支援をするところだから、憲法九条を持っている日本が一番やりやすい。私が平和憲法を守るといっても、仕事をする人たちの励みにこそなれ、仕事ができなくなるという問題は起こらない。そういう恵まれた立場の中にいるだけに、私は発言しなければならないと思っている。
小選挙区制導入の過ち
贖罪が私を駆り立てる
私には、もう一つ、一種の贖罪の気持ちがある。今の日本は、国会で三分の一が憲法改正に反対するというのが難しい状況になっている。そうなった前提には、細川内閣のときの小選挙区制導入がある。当時、私は小選挙区制に賛成の立場だった。よもや、二大政党の政治でこういう状態になるとは思わなかった。
当時、中選挙区制のもとでの政財界の癒着、あまりにも乱脈な自民党の汚職で、政治を変えたいという国民の要求が表面に出てきて、細川さんが五十五年体制を崩した。その上、細川さんは総理就任後の記者会見で「アジアに対する侵略行為」という言葉を使って詫びた。自民党の時代には全くなかったことだ。そういう意味で、私は細川内閣に大きな期待をかけ、その政治改革の基本になる小選挙区制を推進した。
私は今、ものすごく悔やんでいる。だから、既定路線のように動き出している今の政治の流れの中で、何とかこの動きを止めなければならない。それは違うと言わなければいけない。贖罪の気持ちと、戦争を止めるのは人間だという思いが、内側から私を突き上げている。
平和憲法を守り
紛争を戦争にさせない
紛争はなくならないにしても、それを戦争にするかどうかは人間がやることだから、私は戦争が起きるのはやむを得ないとは言わない。紛争を戦争にする人間がいるから戦争になる。その動きを批判し、止めなければならない。少なくとも平和憲法が厳然としてある。国家公務員たるものはそれに従わなければいけない。憲法を変えさえしなければ、日本が戦争に巻き込まれることだけは絶対にあり得ない。戦争にしたい勢力がどれだけ強くなろうとも、平和憲法があるかぎり、戦争はやれない。
戦争は殺人の合法化だ。敵の兵隊にも味方の兵隊にも、女房や子どももおれば、両親や一族もおる。それを殺してもいいのか。現在の戦争は銃後の国民の命も奪う。紛争を戦争にさせない。それは、人間として最も考えなければいけないことだ。
(文責・編集部)
しながわ・まさじ
東京大学法学部卒、日本興亜損保(旧日本火災海上保険)の社長、会長を経て、相談役。経済同友会副代表幹事、専務理事を経て、終身幹事。双日株式会社監査役。国際開発センター会長。