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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年9月号

地方議員全国交流会における講演要旨(その2)

三位一体改革、市町村合併を問う

全国町村会副会長・京都府園部町長  野中一二三


 平成七年に「地方分権推進法」が成立してから十年が経過しようとしています。いま、三位一体改革や町村合併が盛んに論じられておりますが、地方分権が進んだのかと言えば、私は否と答えたい。多くの市町村はここ五、六年、大変苦労して財政再建のために事業見直しなどのスリム化を進めてきました。しかし、国や府県はどうか。進んでいないと思います。
 私に与えられたテーマは「三位一体改革、市町村合併を問う」ですが、基本的なことは小池先生が述べられたので、私は小さな町での自主的な努力を紹介し、そこから国のあり方についても、少しばかりもの申したいと思います。

 農協組合長と町長

 昭和五十四年四月、何の学歴もない私がひょんなことから町長になりました。当時、町政は財政破綻で大変混乱していました。農協組合長として農協の建て直しをしたあとで、町長候補に引っぱり出されました。ただし、農協の理事会から兼務でない限り立候補は認めないと条件をつけられました。それで、町長当選後しばらくは、町長と農協組合長を兼務していました。農協へ朝七時半に入り、そして役場には八時に入る。それが習慣になりました。三年前に農協組合長は辞めてからは、七時四十分に役場に入っています。業務が始まる八時三十分までに、前日までの決済をすべて終えて各担当課に返します。金曜日に出張した場合は土日のうちに、平日出張の場合は夜に帰ってから役場へ行って決済します。

 日の当たらぬ所に日を当てる

 私は日の当たらない周辺に日を当てていくことを行政の基本にしてきました。農村の基盤整備、道路網、利排水、これを端からやることを徹底してきました。町の中心部と違って、周辺部は意識的に手を加えないと改善が進まない。端からやれば用地買収が安くできる利点もあります。道路整備では生活道路をそのままにして、通過道路を田圃の真ん中に作りました。園部町には農地が千ヘクタール、宅地が千ヘクタール、山林が八千ヘクタールありますが、まず農地と宅地をきちんと整備してきました。

 財政再建は町長が先頭に立つ

 財政再建のために最初に手をつけたのは公用車の廃止です。初登庁日に公用車は処分し、運転手には役場内の仕事をしてもらいました。以来二十六年間、自分で自家用車を運転しています。まず自分たちをたださなければ財政再建はできません。そこで、町長、助役、収入役の歳費一〇%、管理職手当三%をカットする条例改正を議会に提案しました。職員は減俸するわけにはいかないので一年間の定期昇給ストップを提案しました。職員組合との交渉では、私が百七十三人全員と団体交渉して納得してもらいました。理事者が表に出て交渉することが大事です。だめだったら辞表を出せばいいのです。
 次は役場の物品購入です。一年間にかなりの額の物品購入をしているが、ほとんど点検されていない。そこで「町民の税金で買うのだから町内で買うこと」、「徹底して値切ること」を指示しました。売買という字は「四」で買って「十一」で売ると書き、七つが利益だと教えています。値切られて損をするなら売らなければいい。それでも売るというのは、利益があるということです。行政が厳しくなれば、商売人も仕入の厳しさを身につけます。
 B&G財団が競艇の利益を市町村に配分してプールや体育館を建てるという制度ができ、園部町は最初に手をあげました。用地は地元が準備するという条件がありましたが、財政難で用地の確保ができない。役場の横に小麦山という十ヘクタールの国有地がありました。昔のお殿様の土地でした。その一部を多目的公園に使わせてもらいたいと国にお願いしたら、国の方は大蔵省が「そんな無茶な話は認められない」の一点張りです。そこで、私は京都の財務局に行って申し上げました。「国有地は国民のものであり、地元町民のものではないのか。その一角を地元町民のために有効利用するのがいけないと言うのなら、明日にも東京に持って帰ってくれ」と。結局、国有地の一角を利用させていただけることになりました。

 日本人の主食、お米を大切に

 園部町では、昭和五十八年から小学校の学校給食をすべて米飯にしました。それまで米飯は週二回程度で、文部省や農水省の指導で古米や古々米を使っていました。それを知って驚き、すぐにやめさせました。以降、農薬や化学肥料を使っていない地元の米を優先して使い、五つの小学校全部の教室に炊飯器を入れて炊きあがる様子を子供たちにみせること、そして一つの釜の飯をみんなで分けて食べることを実行しています。おかずは最初の五年間は家庭から持参してもらいましたが、今は給食センターから配送しています。次の世代をになう子どもたちに、日本のお米の大切さとおいしさをきちんと教えていかないとだめです。
 戦後の食糧不足の時代に、アメリカは親切ごかしに日本人にパン食とミルク類を食べさせました。実はアメリカの小麦を日本に買わせるための政策で、以降、日本人の食生活はパン食とミルク類に切り替えられ、アメリカに食べ物を乗っ取られました。お米が日本の主食であることを自覚して、せめて一日に一食から二食はお米を食べよう。朝はご飯と味噌汁と漬物を食べよう。そう言いたい。お米の消費が伸びれば農村も助かります。パンを食べ、コーヒーを飲むのが文化的だというのはおかしい。国全体のことを何も考えていない。このことを十分考えてほしいと思います。
 下水処理もよそと違ったやり方で進めました。平成四年から平成十一年までの七年間で町内六千戸の全家庭に下水処理を完備しました。周辺の町では一戸の負担金は百万〜百五十万円でしたが、園部町は四十万円にしました。そのかわり、事業の認可と同時に全戸に前納してもらいました。全集落がまとめて農協や銀行から借り入れる仕組みにし、すぐ払えない家庭も引け目を感じないですむようにしました。すぐに払える家庭は翌日返済してもよい。もう一つは、地域全体の円満性も考え、事業開始から完成するまでに引越や死亡があっても前納金を返さないことにしました。

 生活を見直し、リサイクルを

 平成五年には「生活を見直し町を美しくする条例」を作りました。徹底したリサイクル活動の条例です。毎月八日がリサイクルの日になっています。各家庭は再利用できるものを分別し、各地域の環境推進委員が「資源の館」に持ち寄る。それを業者に引き取ってもらう。廃品として捨てればゴミですが、このリサイクル活動で一年間に七、八千万円のお金になります。
 園部町の分別は徹底しているので再利用しやすいと業者の評判がよい。分別は子どもからお年寄りにまで徹底しました。例えば「飲み終わった時に、缶を握ってつぶれればアルミ、つぶれなければスチール。各家庭に二つの箱を起き、分別して下さい」、「グラスについで牛乳パックが空になった時に、すぐ水を入れて洗って下さい」と。資源を大切にする教育を家庭や学校などで徹底しました。
 「女性の館」という女性専用の館を作っています。女性陣が自分たちの箪笥の中に眠っている着物を持ち寄って、小物などを作る作業場です。自分たちが持ち寄るので、材料費はかかりません。いろんなものが出来ます。売上げは多いときには月二、三十万円になります。これも再利用、リサイクルの一つです。

 子宝条例、すこやか学園

 子どもとお年寄りに対する対策は行政の基本です。子どもは宝です。ところが、日本の行政には子どもに対する施策がきわめて少ない。園部町は「子宝条例」を作りました。
 園部町に三年以上住んでいれば、出産時に第一子に五万円、第二子に十万円、第三子に三十万円の「子宝祝金」を出します。満五歳まで月額で第一子に三千円、第二子に四千円、第三子以上には六千円の「すこやか手当」を出します。いま子どもに対する虐待などがありますが、財政的な負担も大きく作用しています。だから、安心して子育てができるようにすることは大切です。
 月に一回、前月に生まれた子どもの親御さんに来ていただいて祝金と認定書を渡します。認定書にはすこやか手当を支給しますので大事に育てて下さい、と書いてあります。そして、「親子の絆を大切にし、一日一回、必ず子どもを力一杯抱きしめて、あなたは私の子どもよ、元気に育ってね、と語りかけてください」とお願いしています。
 子どもが病気になった場合、医療費の助成も大事です。親の負担は一カ月二百円、それ以外は町が全額負担します。当初は六歳まででしたが、現在は高校卒業までの制度にしました。
 「すこやか学園」制度も作っています。幼稚園に入るまで保育所に行かない子の親離れのために、幼稚園の横に「すこやか学園」をつくり、三歳児の一年間、週二日ですが、親と子どもが一緒に来てもらえるようにしました。また、親の負担を軽減するため、幼稚園が終わった後、保育所に戻せるようにしています。

 ふれあい介護制度

 園部町は国に逆らって、家族介護に支給できる「ふれあい介護制度」をつくっています。地域の施設介護はいいけれども、施設が満杯でどうにもならない状態がどこにもある。だから、それ以前に家族が介護ができるシステムをということです。その場合に大切なことは、家族介護で生活に支障をきたすようにしないことです。まず、町民に三十時間ほどの介護研修をしていただいて、平成七〜九年の三年間で八百人余りのホームヘルパーをつくりました。そして、園部町が平成九年につくった福祉シルバー人材センターという財団法人にヘルパーの資格をとった人を全員登録しました。介護の必要なお年寄りが出た場合、福祉シルバー人材センターに申請してもらいます。認定機関がたまたま認定したヘルパーが家族でも法律違反にはなりません。現在、約百二十人がふれ合い介護で家族介護をしています。
 ただし、八百人余りの資格を持つ人がいても、そこから外れる人もいるわけです。具合が急に悪くなったりして、家族に資格を持つ人がいない場合もある。そこで、資格がないけれども家族介護をしている家族に月三万円の手当を出す制度を作り、その間にできるだけ早く資格をとってもらうようにしています。
 介護保険料は、全国的には所得に応じて五段階、二百五十万円以上の所得がある人は基準額の一・五倍になっています。しかし、園部町は六段階です。園部町で五百万円以上の所得のある人を調べたら一二、三%います。そこで五百万円以上の人には二倍の保険料をもらう。そうすることで低所得者の保険料を安くする。保険料が無料だと肩身の狭い思いをしますから、安くしても無料にはせず、遠慮しないで介護を受けられるシステムにしました。いま月額保険料は、基準額が全国平均で三千四百円ですが、園部町は二千九百円で、最低は基準額の四分の一(七百二十五円)、最高は二倍(五千八百円)の六段階になっています。園部町の保険料が安くて済むのは、家族介護で支えているからです。全国でも六段階制をやっている市町村は少なかったのですが、三年目の今年は三百四十に増えました。

 農地、山林を荒廃から守る

 いま私の町で最大の計画は、農地と山林の保全対策です。農村部も燃料がプロパンガスに代わってから山に入らなくなりました。だから山が荒れ、山に実のなるものがなくなり、鳥獣が山から出てきて農地を荒らすようになった。やはり山に入り、下刈りをして、実のなる木をはやしてやる。それをこれから五年、十年かけてやる必要があります。そのモデルとして一カ所選んで取り組んでみたい。山の裾と農地の間に、十メートルずつお茶、梅、栗を植える。お茶と梅と栗を三段階にして実のなるものを作って売っていく。中高年の人たちに、お茶や梅や栗を育ててもらって、同時に少しでも所得につながっていくような施策を実現したい。そうやって、農村を次の世代が守ってくれる条件を整備しようと思っています。
 農地も同様です。せっかく基盤整備しても、このまま放置していたら三年か五年すると、今の六十代、七十代の人は農作業ができないようになり、農地は荒れて手がつけられないようになります。だから地域で農地を守ることが大事です。園部町では農業者を徹底して育ててきました。農業者や請負耕作者という人たちがそれぞれの集落で農業を守ってくれるシステムを、この四、五年の間に作りあげたいと思います。

 米国に毅然ともの言える国を

 国に対しては申し上げておきたいことがあります。平成十三年九月十一日にアメリカで同時テロが発生しました。あの事件は、あまりにもごう慢になったアメリカに対して、「アメリカよ、目覚めよ」という警告だったと思います。アメリカだけが正義で、アメリカに逆らう者は悪だという錯覚がアメリカにはあります。日本には、そんなアメリカの言うことを聞いておればいいという風潮さえあります。小池先生もおっしゃったように、アメリカに毅然とものを言える人が総理になってもらわないと、日本は大変なことになる。私たちは思い切ってアメリカを批判すべきだと思います。
 クリントン大統領が約束した京都の議定書を、後任のブッシュ大統領は守ろうとしていません。こんな馬鹿なことがありますか。前任者が約束したことはちゃんと継承すべきです。ブッシュ大統領は、アフリカで開かれた会議でも、人種差別問題で反対しました。また、アフガニスタンやイラクの問題では、小池先生からいろいろお話がありました。罪もない子どもやお年寄り、女性たちが犠牲になっている現実は耐えられません。日本はこれらのことについて、正面からものを言わなければならないと私は思います。
 ところが小泉さんではそれができない。小泉さんの家は、お祖父さん、お父さん、そして小泉さんと、国会議員しかも大臣が三代続いている。こんな家庭で育った人に、私たち貧乏人の痛みが分かりますか。何の苦労もなしに国会議員になった人だから、人の痛みは何も分からない。平気でいろんな発言ができる。私たちは力を合わせて、小泉内閣打倒の声を上げる必要があると思います。これからの国民のために、私たちは何をなすべきか。当面は小泉さんに総理大臣をやめてもらう以外ない、というのが私の実感です。
 何はともあれ、過疎を過疎にしないで、農村にもう一度人が住めるように、そして若者が定住できるようにしたい。どんな農村であっても人が住み、そして地域を盛り上げることができるように、みんなが努力をしよう。今回の全国交流会が、そんな申し合わせができる集まりであってほしいと願っています。ご清聴ありがとうございました。(文責・編集部)