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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年9月号

地方議員全国交流会における講演要旨(その1)

イラク派兵は国を亡ぼす

新潟県加茂市長・元防衛庁教育訓練局長 小池清彦


 三位一体改革、市町村合併も
 国を亡ぼし地方を亡ぼす


 私のテーマは、イラク問題が中心でございますが、市町村合併問題にも少しふれたいと思います。資料の「国を亡ぼし地方を亡ぼす市町村合併に反対する」、これは平成十四年十二月十日付で書かせていただいたものです。
 市町村合併問題とイラク派兵問題の根はまったく同じです。イラク派兵も、市町村合併や三位一体改革も、すべて全体主義・軍国主義の方向へ、没落に向かっていくものです。三位一体改革あるいは市町村合併は国を亡ぼすもので、これが実行されれば地方の民主主義は終わり、一国の民主主義もなくなります。平和主義もなくなってしまう。大変な危機です。
 三位一体改革には狭義の意味での三位一体改革と、広義の意味の三位一体改革があり、政府がやろうとしているのは広義の意味の三位一体改革です。「国から地方への補助金や交付税を減らして、同じ額を税源として地方に移譲する」と説明されています。もしそうなら、プラス、マイナス、ゼロで、やる意味がありません。実際は同額ではなく、地方交付税の大幅削減があります。

 地方交付税は最良の財政制度

 交付税とは何か、日本が世界に冠たる地方財政制度、世界最良の地方財政制度の根本です。日本の中で真に富める地域は太平洋ベルト地帯の大都市だけです。全国の税収の四割以上が東京からあがると言われています。大企業の本社をはじめいろいろなものが一極集中しているからです。全国の自治体にはあまりにも大きな貧富の差があります。そこで太平洋ベルト地帯の大都市からあがる大きな富を税金の形で吸い上げて、それを地方交付税の形で全国の自治体に分け与えてきました。これによって、全国は同じ生活をできて、日本は短時間の間に世界第二の経済大国になれたのです。
 加茂市だけでなく地方の市町村は全部、国からの地方交付税で生活しているのです。もし、太平洋ベルト地帯からあがる富をその地域の都市が全部消費していい、地方は地方であがる富を消費せよ、ということになれば大変です。加茂市の現在の一般会計予算は約百四十億円、約三十億円の利子補給部分を除くと実質的には約百十億円です。それに対して、加茂市の税収は約三十億円です。加茂市は三十億円の収入だけで生活せよというのは、戦争直後のような生活をせよということです。全国の大部分の地方が戦争直後の生活になります。一方、太平洋ベルト地域の大都市だけが王侯貴族のような生活をすることになります。それで日本はどうなるのか。自動車も売れませんから、トヨタもニッサンも困る。輸出だけではもちません。たちまち太平洋ベルト地帯ももたなくなり日本全体が没落する。そうならないように全国の富を全国に分配するすばらしい地方財政制度が、日本を支えてきたんです。

 横須賀方式と添田方式の闘い

 それを構造改革の名のもとに一気に破壊しようとしているのが小泉総理です。小泉総理は横須賀市ですから、総務省の官僚はこれを都市中心主義の「横須賀方式」と呼んでいます。それに対抗して頑張っているのが全国町村会です。野中先生は、全国町村会の副会長です。会長さんが福岡県添田町の山本文男町長です。官僚は小泉総理の「横須賀方式」に対して「添田方式」と呼んでいます。三位一体改革も市町村合併も、「横須賀方式」と「添田方式」のたたかいなんです。
 「横須賀方式」とは地方へのお金を徹底して削る。削減する理由は簡単です。七百二十兆円の財政赤字なんです。市町村合併も七百二十兆円という政府の財政赤字を減らすためにやるのです。

 合併すれば地方交付税は激減

 地方交付税には段階補正制度がありまして、小さな市町村ほどたくさんの地方交付税がくる。それで全国が平等の生活をできるのです。
 例えば、加茂市も含めた六市町村の合併話がありました。加茂市は応じませんでしたが、仮に六市町村が合併すると二十万都市になります。現在六市町村の地方交付税の合計は年間二百億円、近くにある二十万都市の長岡市は百億円です。六市町村が合併したとたんに交付税が二百億円から百億円に減る。需要には相乗効果がありますから二・五倍の需要がこの地域からなくなる。つまり合併すれば、年間二百五十億円の需要がこの地域からなくなる。とたんに地域はさびれます。

 多数の市町村は民主主義の基礎

 欧米の市町村の数をご存知でしょうか。ドイツの人口は八千二百万人で、市町村は一万二千以上あります。アメリカは人口二億八千万人で市町村は一万八千です。フランスは人口六千万人で市町村は三万七千です。市町村の規模は小さく、直接民主主義が十分加味された民主的な市町村制が行われて、それを基盤に民主主義が成り立っています。一方、人口一億二千七百万人の日本は市町村がわずか三千二百です。小泉さんはこれを三百以下にするという。
 人口五十一万人の新潟市が、周辺十二市町村を吸収して七十六万人の政令指定都市になる、という話が進んでいます。「新潟県の住民になりたいか、政令指定都市・新潟市の住民になりたいか」と問われたら、私は「新潟県の住民になりたい」と答えます。なぜ、そう答えるか。
 数年前に、新潟県が県立加茂病院の縮小・廃止方針を打ち出しました。私も市議会も立ち上がり、住民あげての大抵抗運動を展開し、縮小・廃止計画を阻止しました。新潟県ならば、その中に市町村長がおり、市町村議会があり、それが抵抗の核になります。ところが政令指定都市・新潟市になると、抵抗の核となる市町村がなくなります。
 原発闘争で有名な巻町では、原発反対でスクラムを組んでいた人たちの半分くらいが合併賛成に回ってしまい、合併反対の側は住民投票で負けてしまいました。政令指定都市・新潟市の一部になれば、巻原発ができる可能性があります。今までは巻町でしたから、原発反対の町長を選べばなんとか阻止できた。しかし、新潟市に合併されれば、巻町長そのものがなくなる。将来、巻原発ができる可能性があります。
 小泉さんの進める三位一体改革や市町村合併は、国を亡ぼす危険なものです。

 親日を反日にするイラク派兵

 まずイラクの戦いと何か。マホメットがアラビアに現れて以降、この地域では千数百年にわたり、キリスト教徒とイスラム教徒の間で熾烈なたたかいが繰り返されてきました。二十世紀になるとユダヤ教徒が参入してきました。「数千年前にわれわれの祖先がこの土地に住んでいた。だからここに住む権利がある」といって、そこに住んでいたパレスチナ人を追い出し、イスラエルを建国した。それ以来、追い出されたパレスチナ人は当然、熾烈なたたかいを展開する。パレスチナ紛争です。
 イラク戦争というのは、こうしたキリスト教徒とイスラム教徒の熾烈なたたかいの延長であり、パレスチナ紛争の延長でもある。私はそう考えています。本来、日本とは関係がありません。それなのに小泉総理は何を間違ったか、「テロは許さない」などといって踏み込んでいった。「九・一一」のとき確かに日本人の方も犠牲になられました。しかし、あのテロは日本に向けられたテロではありません。そのことを考えてみる必要があります。
 石破防衛庁長官がテレビで「いま自衛隊を出して協力しなかったら、今後イラクの石油はもらえなくなる」と発言しました。イラクが日本に対して、石油を止めたことがありますか。イラクには親日の人たちが多いことを石破さんは知らないのでしょうか。イラクの人たちは逆に、味方だと思っていた日本がアメリカの片棒をかついで自衛隊を出した、裏切られたと思います。自衛隊を出したために、石油をもらえなくなる可能性があります。

 戦闘行為のおかしな政府見解

 イラクは不正規軍によるゲリラ戦の戦場です。ところがイラク特措法上は、不正規軍によるゲリラ戦は戦闘行為ではないことになっています。イラク特措法第二条の3項に「戦闘行為が行われてない地域」で行うと書かれており、その戦闘行為とは「国際的な武力紛争の一環として行われる」戦闘行為と定義しています。政府の説明では、国際的な武力紛争とは国と国あるいは交戦団体との戦争です。ただし、交戦団体たりうるには相手方が承認しなければならないが、そんなことはめったにあり得ることではない。結局、国と国との戦闘だけが戦闘行為ということになります。
 国会でそういう議論がないので、私は「イラク特措法を廃案にすることを求める要望書」を全国会議員と全大臣に提出しました。すると、政府の説明が変わりました。イラク特措法にない「戦闘地域」「非戦闘地域」という言い方をはじめました。民主党の菅代表から「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か」と問われた小泉首相は、「私に分かるわけがないじゃないですか」という有名な答弁になりました。
 軍隊には正規軍と不正規軍の二通りあります。世界で行われている戦闘の中で、国と国、正規軍どうしの戦闘は今やほとんどなくなっています。ほとんどが、交戦団体とは認められていないゲリラ的な不正規軍との戦闘です。政府が主張するようにこれを戦闘行為でないと言えば、世界中のどこにも戦闘行為はないことになります。
 不正規軍は猛烈に強い。かつて中国にいろいろな王朝が出てきましたが、最初は不正規軍で、やがてその親玉が新しい王朝をつくりました。ナポレオンはスペインを征服したが、現地のゲリラが蜂起してナポレオンは敗退した。アメリカもベトナムで不正規軍・ゲリラに敗れて敗退した。ソ連軍もアフガニスタンでゲリラに敗れて敗退した。こうした歴史を無視して、不正規軍との戦闘が行われている所に自衛隊を出すことができるイラク特措法という法律をつくった。世界のあらゆる地域に自衛隊を出すことができる端緒をつくった。

 違反だらけのイラク派兵

 政府のこれまでの解釈では、海外派兵は憲法違反です。海外派兵の定義は、武力行使の目的をもって武装した部隊を海外に派遣することでした。イラクの場合はどうか。武装した自衛隊を派遣する。武力行使の目的をもっていく。明らかに憲法違反です。
 政府は、武力行使の目的ではない、かりに武力行使をする場合でも正当防衛だという。人類の歴史上、他国を征服する場合でも、正当防衛だといって征服してきたのが常です。正当防衛とは、撃たれたら撃ち返す、あるいは相手が撃たんとしているとき先んじてこれを撃つことです。まさに武力の行使です。武力の行使を前提として海外に自衛隊を派遣すること自体が憲法九条違反です。
 同時に自衛隊法違反でもある。自衛隊法には「自衛隊の使命は我が国の独立と平和を守ることにある」と書いてある。自衛隊員はそのために入隊している。「やがてイラクに行って命を落とすかも知れません」などと言って募集してはいません。イラクに行くなどというのは契約違反です。だから、イラク派兵は憲法違反であり、自衛隊法違反であり、契約違反であり、人権侵害です。
 箕輪登先生などが違憲訴訟を起こされていますが、どうなるでしょうか。裁判ですから勝ったり負けたりするでしょうが。最後に最高裁まで行ったら、いまの憲法解釈と同じになるのではないでしょうか。「統治行為だから」と棚上げにされる可能性があります。

 自衛隊員と家族は針のむしろ

 子どもの頃、出征兵士を日の丸の旗を振って駅まで見送りに行った覚えがあります。区長さんか誰かが激励のあいさつをする。これに応えて出征兵士が「元気で行って参ります」とあいさつする。しかし、自分が死ねば残された妻や子はどうなるのか、心の中はとても深刻だったと思います。あれと同じ光景が、自衛隊をイラクに派遣するなかで展開されました。自衛隊員二十四万人、家族も含めると百万人の人たちが、針のむしろにおかれている気持ちなのではないでしょうか。
 幸いに現在まで犠牲者は出ていません。何回か迫撃砲が撃ち込まれましたが外れていました。しかし、一つのテントに百人くらいで寝ているわけです。塹壕を掘って入っていなければ、迫撃砲弾があたると半径五十メートルくらいは全員即死する。寝ているところに撃ち込まれたら大変なことになります。

 兵站補給=戦闘行為はひた隠し

 イラク特措法第三条に自衛隊が行う行為は二つ書いてあります。一つは政府がさかんに宣伝している「人道復興支援活動」です。小泉首相は「自衛隊はイラクの復興支援活動に行く、人道支援だ」という。問題はもう一つの「安全確保支援活動」で、「イラク国内における安全及び安定を回復するために…中略…、国際連合加盟国が行うイラク国内における安全及び安定を回復する活動を支援するために我が国が実施する措置」と書いてある。「国際連合加盟国が行うイラク国内における安全及び安定を回復する活動」とは、米軍が行っている戦闘行為、あるいは米軍に協力している国々が行っている戦闘行為そのものです。そういう戦闘行為を「支援するために我が国が実施する措置」が安全確保支援活動です。戦闘行為そのものです。
 「安全確保支援活動」を主としてやっているのは航空自衛隊です。人員を運ぶ、物資を運ぶ、弾薬を運ぶなどの兵站補給です。戦争で一番重要なのは兵站補給です。戦争で一番大事なことを自衛隊はやっている。法律上は書いてあるのに、政府は国民にひた隠しにしている。

 近づく徴兵制の導入

 イラク派兵によって、海外派兵に風穴があきました。イラクだけでなく、いつでもどこにでも派兵できる恒久法をつくろうという動きもあります。今後はゲリラ戦の戦場にどんどん派兵するようになります。そうなると戦死者が出てきます。戦死者が出てくると、自衛隊入隊者は少なくなります。しかも少子化の時代ですから、自衛隊員の募集はいっそう困難になり、徴兵制の導入が問題になってきます。
 徴兵制は憲法で禁止されていませんから、国会で強行採決すればすぐに導入することができます。森内閣の時に、教育改革国民会議という首相の私的諮問機関ができました。この教育改革国民会議の中間答申には「小中学生は二週間、高校生は一カ月間、共同生活などによる奉仕活動を行う」とあります。さらに「満十八歳の国民すべてに一年間程度、農作業や森林の整備、高齢者介護などの奉仕活動を義務付けることを検討する」とうたっています。これは形を変えた徴兵制です。このまま行くと徴兵制は近いと思います。

 アメリカにもの言えぬ首相

 アーミテージ米国務副長官が、外務省の有馬大使に「お茶会をやっているのではない。ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と言ったそうです。イラクに軍靴つまり自衛隊を出せということです。
 これを聞いた小泉さんが震え上がったのか、あるいはチャンスと思って震え上がったふりをしたのか、私は両方だと思いますが、自衛隊派遣を決断した。こんな発言に対して「はい分かりました」ともみ手をしているようではダメです。「何を言っている。あなた方は過去に何をやったのか。原爆投下は人類史上最大のテロではないか」と怒鳴りつけ、毅然とはねつけるべきです。
 小泉首相系統の人間は「イラクに派兵してアメリカと仲良くしておかないと、いざという時にアメリカの助けを借りて北朝鮮と対決することができなくなる」と発言しています。自衛隊を人身御供に差し出しておかないとアメリカが助けてくれない、というわけです。北朝鮮と対決すべきだと強がりをいうくせに、何と意気地のない人間か。独力で祖国を守ろうという気概がまったくない。本当にひどい発言です。

 世界から非難されるとの暴論

 政府は、イラクに自衛隊を出さないと世界から非難され、孤児になると言っています。しかし、たとえば中国はカンボジアのPKOに一度出しただけで、それ以外に海外派兵などしていません。それに対して「中国はけしからん」とどこの国が非難していますか。
 外国人との接触で私が感じた外国人の日本・日本人に対するイメージは、「サムライ」、「神風」、「ヒロシマ」、「ナガサキ」の四つに集約されます。「サムライ」とは超人、「神風」とは自爆テロではなく、犠牲を恐れぬ現代のサムライという意味です。「ヒロシマ」「ナガサキ」とは被爆体験による平和愛好国民という意味です。
 日本は平和愛好国民として尊敬されているのに、海外に派兵できる普通の国になると言い出した。そうなってしまえば「日本は変わった」と見限られます。「自衛隊を派遣しなければ世界から非難される」というのはまったく逆の話です。

 憲法九条は国の宝

 戦争が終わったとき、私は小学三年でした。当時、日本は世界の四等国で、独立しておらず、完全な占領状態にありました。私の叔父も戦死しましたので、戦争の悲惨さが身にしみると同時に、子どもながらもくやしくてたまりませんでした。そこに憲法九条ができたものですから、これは大変だ、日本は憲法九条を改正して陸海空軍を持ち、再び繁栄する国になるべきだと思いました。ところが、幸か不幸か憲法と両立する形で陸海空の三軍ができました。私は、自衛隊は憲法と両立する軍隊だから憲法改正をする必要はないと思いました。
 憲法九条ができた当時、誰も気がつかなかった憲法の意義が、今や大きくクローズアップされてきています。この憲法九条があるがゆえに、朝鮮戦争に派兵せずにすんだ。平和憲法がなかったら、日本は朝鮮戦争に派兵させられた可能性が高いし、ベトナム戦争には間違いなく派兵させられていた。アメリカの後にくっついて、世界のあらゆる戦争に派兵させられていたに違いない。
 私がそれを身にしみて実感したのは湾岸戦争の時で、国連平和協力法案が国会に出てきました。防衛研究所長をやっていた私は、この法案に反対だと言って庁内を歩きました。事務次官にも「反対です」と言いました。政府部内は自衛隊を海外に出したくてしょうがなかったのですが、自衛隊内は慎重論が強かった。結果的に法案は廃案になりました。だから、憲法九条が国を守ると実感しました。憲法九条がなかったら、自衛隊は一気に湾岸戦争に送られていたでしょう。
 これからが私たちの永いたたかいになると思います。もし平和憲法が改正されれば、そのときは徴兵制も間違いなくしかれる。日本人は海外に連れて行かれて、血を流すことになる。そして再び惨禍が日本をおそうことになる。私たちは今、きわめて重要な時期にさしかかっていると思います。私も及ばすながら、皆さま方と一緒にたたかわせていただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。 (文責・編集部)