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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年7月号
同志社大学教授・元三菱総研ロンドン所長 浜 のり子
世界に依存するアメリカ
私は、いまの世界を多極化しているとは思っておらず、無極時代、ドル支配が終わった後の世界と認識しています。もちろん、今なおドル支配の時代だと思っている人々もいます。その筆頭がブッシュであり、二人目がイラク戦争にいち早く賛成した小泉純一郎、そしてイギリスのブレアだと思います。
ドル支配が終止符をうったのは一九七一年八月十五日で、アメリカはドルと金の交換停止を宣言しました。それまでは、金一オンス=三五ドルでドルと金を交換できた。ドルを基準に、一ドル=三六〇円という固定相場制でした。だから、ドルは基軸通貨として認識されていたわけです。しかし、この日を境にドルは金と交換できなくなり、固定相場制も崩れました。
いかにハイテクのラップトップでも、バッテリーが切れると動かない。これと同じように、どの国も独自の電源がなく、たえずバッテリー切れを恐れ、他国をバッテリーとして頼まなければ暮らしていけないのが、無極時代です。金・ドル交換停止以前は、ドルとアメリカが戦後世界の電源の役割を果たし、アメリカという電源につながってさえいれば、それなり暮らせる時代でした。今やグローバル時代を構成するすべての国々や経済圏は、誰も独自の電源につながっていない。その中で、バッテリー依存症が最も激しいのがアメリカです。そのアメリカに組み込まれているバッテリーは日本製で、最近は中国製にも依存しています。
アメリカは、政府も家計も企業も買いすぎ、大幅な輸入超過で、赤字がどんどんたまっています。その赤字の面倒をみているのが日本です。日本はドル買いの介入資金も含め、アメリカに資金を流して、借金の穴埋めをしているわけです。依存される側の日本や中国も、アメリカの買いすぎに依存して経済を回しています。お互いに相手をバッテリーにして、相手に依存しなければ経済活動を続けていけない。これが世界経済の実態です。アメリカの一人勝ち、アメリカ一極集中などというのは誤りです。多極時代でさえもない。これが、ドル支配が終わった、無極時代になったと言う意味です。
それでは、EUが新たな軸としてアメリカに対抗する存在感をもてるのか。ユーロ支配が来るのか。これは容易なことでなく、二つのことに合格しなければなりません。
第一に、お仕着せワンサイズ主義から脱却できるか。例えば、欧州中央銀行が決める金利が、ユーロ圏(EU加盟国中の十二カ国)を支配しています。財政赤字がGDPの三%をこえてはいけないという決定が、EU全体(二十五カ国)を拘束しています。金融制度や租税制度、技術基準なども一本化すべきだと、均一化の論理が働いています。背の高い人も低い人も、ワンサイズの洋服をお仕着せられる状況です。しかし、痛みを伴うお仕着せワンサイズでは、豊かな多様性が芽吹かず、外に対して豊かな発想力をもってみることはできません。ここから脱却しない限り、EUはアメリカに対抗する存在として力強く自己展開していくことはできないと思います。
第二に、進化は深化をこえられるか。EUは今年五月一日、新たに十カ国を迎えました。これらの国々の多くは旧ソ連圏で、経済体質も戦後の歴史もまるで違います。EUはこれをきっかけに、多様性を受け止められる存在へ進化していけるのか。それとも、痛みを伴う不合理なお仕着せワンサイズに東欧の仲間を押し込めていくのか。
この二つに合格すれば、EUは存在感を増すでしょうが、不合格となれば、分裂と衝突に満ちた存在になる可能性があります。
経済のアジア化、ローカル化へ
無極時代は弱者の持たれあいの世界で、弱者のつぶしあいに転化する恐れを内包しています。為替市場では、アメリカが日本や中国を非難し、日本はアメリカが悪いと言えず、ドル買い介入をする。ヨーロッパはアメリカやアジアを非難する。つぶしあいの姿がすでに見えています。通商関係でも、鉄鋼をめぐってアメリカが欧州や日本と対立する。欧州はアメリカの遺伝子操作食品を、日本は中国のシイタケを輸入しないと言う。弱者の持たれあいが、つぶしあいに変わる瀬戸際にきています。
こういう中で、日本がまともな存在になるために、二つのことが起こらなければいけないと思います。第一は、日本経済のアジア化です。日本がアジアに門戸を開放し、日本のイニシアティブでアジア、特に中国との一体化を進めることです。いま以上に中国の安い物が日本に流れ込み、生産拠点が中国に移転して一層空洞化するわけですから、これは大変な問題です。しかし、それを十分にふまえた上で、「保護は救済につながらず」という歴史の教訓に学ぶべきです。戦後のアメリカは、日本との貿易摩擦で輸入課徴金制度や輸入数量規制を行い、日本も自主規制しました。しかし、保護措置で守られた産業や企業や産地は自らの競争力、生産性、創造性を失い、救済されるどころか敗北に至りました。
第二は日本経済のローカル化です。地域社会、地域経済がそれぞれ独自の力、独自の創造性を発揮して、内にあっても堅固を競い、外に向かってもたくましくアジア化を進めていかなければなりません。戦後の日本は、全国均一の国土開発によって、貯蓄規模では世界一のリッチな国になりました。しかし、その中で忘れ去られてきた内なる多様性、地域というものが前面に出てこないと、日本もお仕着せワンサイズの中で窒息死するところにきています。
例えば、イギリスのサッチャー改革は経済の活性化で大きな成果をあげました。しかし、労働組合つぶしや労働福祉の抹殺という面に加えて、中央集権的な改革であったため、地域社会、地域経済に壊滅的な打撃を与えました。先週、イギリスに行きましたが、ロンドンは物価もホテルも非常に高く、ロンドンへの一極集中、土地バブルで景気が成り立っています。ところが地方都市に行くと、まさに「シャッター通り」です。ロンドンの失業率は三%なのに、バーミンガムやマンチェスターは二〇%でした。サッチャー改革による地域つぶしは、経済全体の構造を歪め、脆弱な経済状態をもたらしてしまいました。
地域の主体性、自由な自己展開が認められるほど、日本への愛着も増し、帰属意識は強まるものです。豊かな個性で多様に自己展開しながら、強い帰属意識をもつ地域群によって構成されている日本こそ、世界にとっても魅力的で、存在感のある国と映るのではないでしょうか。
私は「ミネルヴァのフクロウは黄昏どきに飛び立つ」という言葉を心に刻んでいます。ミネルヴァはギリシャ神話に登場する知恵の女神で、他の神々や人間に用がある時は、使者としてフクロウを向かわせます。この言葉は哲学者のヘーゲルが言った言葉で、マルクスもこれを引用しています。一つの時代が黄昏を迎えると、その時代を規定していた考え方、哲学、社会経済システムも役割を終え、次の時代を規定する新しい考え方、哲学、社会経済システムが到来して、夜明けを呼ぶ。そういう形で人類の歴史は前へ前へと進んでいくということを、彼らは言いたかったわけです。
弱者の持たれあいが弱者のつぶし合いに転化するのか、それともそれを免れるのか、われわれはそういう岐路に立っています。古い時代の古い知恵、中央集権的でお仕着せワンサイズの知恵が黄昏どきを迎えている中で、新しい知恵の到来を告げるミネルヴァのフクロウが飛び立とうと身構えている。古い知恵がいいとフクロウの飛び立ちをおさえれば、黄昏の次に来るのは夜明けではなく永遠の暗闇です。ミネルヴァのフクロウを飛び立たせていただきたい。無極時代から力強く脱却する方向に進むことを切望します。(文責・編集部)