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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2004年5月号
松山大学法学部教授・現代法 田村譲
日中戦争開始後に発生した国内の労働力不足を解消するため、日本政府は一九四二年十一月、中国人労働者を国内に移す政策を閣議決定した。それに従い、四五年五月までに三万八千九百三十五人が日本国内に連行された。彼らは、炭鉱や建設現場など百三十五の事業所で労働させられ、六千八百三十人が死亡した。いわゆる強制連行による強制労働である。
政府は半強制的な連行があったことまでは認めているが、連行された個人や遺族に対する賠償・補償問題は日中政府間で決着済みとして、これを拒絶している。それゆえ賠償・補償問題の解決は、司法の場でなされなければならず、現在まで十二件の提訴がなされた。しかし、これまで賠償を認めたのはわずか三件(国の責任は二件)だけである。
今回の新潟地裁の判決は、第一に、国と会社側の、不法行為から二十年で請求権が消滅する「除斥期間」の主張を容認しつつ、国側が主張した四十七年の国家賠償法施行前は国の行為について個人は賠償請求できないとする「国家無答責」を排斥した。第二に、国と会社は「労働者に極めて不十分な食事、衣料しか与えず、宿舎に布団・暖房はなく、入浴もさせなかった。訓練なしに危険な労務をさせ、日常的に暴力で監督した」との事実を認定した。第三に、「人としての尊厳を保ちながら安全に生活・労働できる程度」の安全配慮義務を怠ったと断定した。さらに第四に、被告側の消滅時効の援用を「国と会社は戦後、強制連行の全ぼうを把握していたのに隠すなど不誠実で、実質的に提訴を妨害した。信義に反する権利濫用」として退けた。
その上で、国と会社に連帯して総額八千八百万円(一人当たり八百万円)を支払うよう命じた。判旨は極めて明快で、説得力を持って国の責任を認めた画期的な判決と評価できる。のみならず、民主主義の原点である「正義」を守る最後の砦が司法であることを、改めて確認できる、多くの人々に希望を与えた意義ある判決といえる。司法の役割を忘却して、政治権力に迎合する判決が多い中での価値ある判決でもある。勇気ある裁判官に敬意を表したい。
国と会社は判決を謙虚に受け止め、控訴という愚策による金と時間とエネルギーの無駄使いを絶対に避けなければならない。それが、過去の誤った侵略戦争で、多くの善良な他国民に筆舌し難い苦難を与え、かつ自国民に惨憺たる状況をもたらした事実を反省した上で平和憲法を制定した国の責務であり、会社の社会的責任である。
だが、靖国神社への参拝を違憲と断じる司法の判断を「おかしな判決」としかコメントできない、かつアメリカに無批判的に追従し、平和憲法を踏みにじったうえでの大儀なきイラク派兵と憲法九条の改正に狂奔する小泉内閣や政権与党に、それを期待すること事態愚かである。苛酷な労働と悲惨な労働条件よって多大な利益を獲得しておきながら、何らの反省や贖罪を行わない企業に、その社会的責任を云々することもむなしい。
これが、偽らざる現代日本の悲しい現実の一つである。今こそ我々は、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理」と宣言する日本国憲法の精神をかみしめ、二十一世紀にふさわしい政権を誕生させねばならない。
そのための運動に邁進しなければならないのである。「われらとわれらの子孫のために!!」