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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年6月号

川辺川利水訴訟―平成の農民一揆

「ダムの水はいらない」原告農民が勝訴

訴訟団長 梅山究


 熊本県に計画中の川辺川ダムの水を利用する土地改良事業の是非が争われた川辺川利水訴訟で五月十六日、福岡高裁は「用排水と区画整理事業については、三分の二以上の同意に達していない」と原告勝訴の判決を命じた。原告農家が「ダムの水はいらない」とダムの利水事業の事実上の中止を求めた裁判。訴訟団長の梅山究さんに聞いた。

 「五木の子守歌」で知られる五木村を水没させる川辺川ダムの計画が発表されて三十五年以上です。川辺川土地改良事業が発表されたのが一九八四年(昭和五十九年)です。事業の中身は、かんがい用の用排水、土地改良、区画整理です。この土地改良事業が十年後の一九九四年、農業情勢が変化、開発不可能な土地も含まれていたなどの議論があり計画が縮小・変更されました。
 農水省の変更計画に対して、わわれわれは将来的な負担がかかることや、経営実態にも影響が出るなど異議申し立てを行ってきました。ところが、農水省はわれわれの要求を無視し、却下しました。「農民の意見など聞く耳もたない」という態度だったので、それならと訴訟になりました。一九九六年に八百六十人で訴訟団を結成し裁判が始まりました。
 二〇〇〇年の地裁判決は、われわれ農民の敗訴でした。地裁は「少々の間違いがあっても違法ではない」と行政の裁量の範囲を幅広く解釈しました。この判決に納得できず、福岡高裁に控訴しました。
 裁判の争点は、農民の同意が三分の二以上あるかどうかでした。農水省側は七割の同意があると豪語していました。しかし、われわれは三分の二は絶対にあるはずがないという確信がありました。行政の同意の取り方がいかにデタラメか、現場の実態を体験したり、見聞きしていました。同意取得時点で既に死亡していた「死者の同意」、住所・氏名や事業区分欄が記されていない「白紙同意」、事業変更計画の公告前に集めた「公告前署名」、担当者による「代筆」、受益者負担は不要などと誤った説明を受けた「錯誤の同意」などの実態を知っていたからです。
 だから当初から、私は「この裁判で負ける理由はない」という確信があり、その確信があったから闘えました。それが福岡高裁で立証され、われわれの勝訴となりました。
 われわれ農民が訴訟を起こさなければ、農水省の主張どおり、「農民の同意があった」とうやむやにされ、事業が強行されることになったと思います。そういう意味からしても、訴訟を通じて行政のデタラメなやり方を公の場に引きずり出した成果は大きいのではないか。
 国は上告を断念しましたが、利水事業は必要だという。しかし、農民は「ダムの水はいらない」と言っている。原告団は補助参加を含めると二千人を超え、対象農家の半数をこえました。もし、川辺川ダムの水を使って新たな計画を進めるならば、農民の答えはやはり「ノー」です。
 農民は当事者なのに、行政は「よらしむべし、知らしむべからず」で事を運ぼうとした。ダムを造らんがために、農民が必要としないダムの水を押し売りしたのではないか。
 川辺川ダムが必要であるという理由について国は、発電用や農業用の利水と、洪水防止の治水だと言い続けてきました。今回の判決で農業用の利水は否定されました。洪水防止の治水についても、河川改修や堤防の補修で洪水は防ぐことができます。したがって、膨大なお金をかけて川辺川ダムをつくる必要性はないと私どもは確信しています。(文責編集部)


◆国営川辺川土地改良事業
 国土交通省(旧建設省)が計画している川辺川ダムを水源とする農水省の利水事業。熊本県の一市五町村(人吉、相良、山江、錦、あさぎり、多良木)の農地にダムから農業用水を引き、農地造成や区画整理も行う。農水省は一九八四年に計画を発表したが、農業情勢の変化で九四年に計画を縮小し、対象農家四千人から同意を取り直し、変更計画を決定した。総事業費は三百七十五億円。これに対して、対象農家が異議を申し立てたが、農水相に棄却されたため、処分の取消を求め熊本地裁に提訴。

◆書き換えられた同意書
 二〇〇二年五月の福岡高裁による現地調査。ある自治体の同意取得担当者の尋問で、原告側は同意書のコピーを示した。そこには、一行に二名の署名があり、片方に消したような跡がある。説明を求めると、「分かりません」と答えるだけ。
 このため原告側は、検証するために同意署名原本の提出を要求。国側は拒否したが、小林克己裁判長の強い意向で、やむなく提出した。
 提訴から七年目で初めて提示された原本。原告側は、これまで証拠として出されていたコピーと照合した結果、原本の延べ百九十八人分に、砂消しゴムや修正液で書き換えた跡が見つかった。

◆大きく揺らぐダムの必要性
 川辺川ダムは、洪水を防ぐ「治水」とダムを水がめに農地改良する「利水」が主要な目的である。しかし、洪水防止の治水は、河川工事や堤防工事などで洪水防止は可能という議論が高まっている。さらに今回、原告農家が「ダムの水はいらない」とダムの利水事業の事実上の中止を求めた裁判で勝訴した。ダム建設に必要な漁業権の強制収用をめぐって現在、県収用委員会で審理中だが、治水と利水という川辺川ダムの建設目的が大きく揺らいでいる。


川辺川利水訴訟の動き

1966年7月 建設省が川辺川ダム計画発表
1968年9月 農水省が川辺川ダムからの利水構想発表
1984年7月 土地改良事業の当初計画が確定
1994年2月 変更計画の概要を公告、同意取得始まる
   12月 変更計画に対し、1168人が異議申し立て
1996年3月 農水相が1139人の異議申し立てを棄却
   6月 棄却処分取り消しを求め、農家866人が熊本地裁に提訴
2000年9月 熊本地裁判決、原告農家の請求を棄却。
      農家760人が福岡高裁に控訴
2001年3月 控訴審初の進行協議で、福岡高裁が原告
      に一審で未調査の約2000人の調査要請
   5月 控訴審第1回口頭弁論。原告側が農家の
      同意調査開始
   9月 原告側が「同意率は約6割」とする調査
      結果を提出
2002年5月 福岡高裁が人吉市などで現地調査。
      同意取得担当者の尋問も実施
   7月 同意署名原本に砂消しゴムなどによる書
      き換え発覚。高裁が原本を留置
2003年5月 控訴審判決、一審判決を取り消し、原告
      農家が勝訴。被告の国は上告断念