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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年5月号
(1)背景の情勢
4月13日に統一地方選前半戦(知事選、県議選、政令市議選)、27日に後半戦(市区町村長選、市区町村議選)の投開票が行われた。国政に準ずる全国規模の選挙は、どんな環境のもとで行われたのか。
第一に、深刻な経済危機である。3月期決算の基準となる3月31日の株価は7972円に急落し、8000円台を割った。所有株の減損処理により、銀行や電機などは3月期決算の予想を大幅な赤字に修正を余儀なくされた。自民党は4月2日、アメリカにあわせて自ら導入した時価会計制度の凍結法案を国会に提出する方針を決めた。株価は投票日直前の11日には7816円、25日には7699円に落ち込み、バブル後の最安値を更新した。株安、金融不安、デフレが長期化し、その結果、倒産、リストラ、失業が中小企業の経営や国民のくらしを直撃する深刻な事態である。その上、4月からは医療費の3割負担、年金額の減額、介護保険料の引き上げ、失業手当の引き下げ、生活保護費の引き下げなど、国民の負担増や給付カットの実施が始まる。そんな惨たんたる経済、国民に犠牲をおしつける政治のもとでの地方選挙であった。
第二に、地方自治体の深刻な財政危機に加え、小泉改革による地方自治制度そのものの改変、リストラである。小泉内閣は「地方分権改革」の美名のもとに、実際は財政再建のため、地方自治体への交付税や補助金の大幅削減をはかっている。小規模な市町村を切り捨て、市町村数を現在の3分の1にするため、アメとムチによる「平成の大合併」が進行中である。はたして住民自治や住民サービスが保障されるのか。政府による地方自治体への攻撃が強まるなかでの地方選挙でもあった。
第三に、アメリカのイラク侵略戦争である。小泉内閣はこの残酷で不法な戦争を支持し、その対米従属ぶりを世界にさらした。海外派兵の機会もうかがいながら、イラク戦後の米軍政に政府の要員を派遣した。小泉内閣のこのような選択が、地方選挙にどのように反映するのかも注目された。
(2)低い投票率
結果はどうなったか。今回の選挙の特徴の第一は、低い投票率である。前半戦の知事選(10都道県)が52.6%、県議選(44道府県)が52.5%、後半戦の市長選(109市)が57.0%で、いずれも過去最低となった。
投票率は都市部になるほど低く、知事選では東京が全国最低の44.9%だった。神奈川では激戦となったため、前回より投票率が上がったが、それでも48.4%にとどまった。東京、神奈川、京都、大阪、福岡などの大都市圏は政治に敏感で、革新勢力が自治体を握ったこともある。都市部になるほど投票率が低いということは、低投票率が政治に対する無関心のあらわれではないことを示している。
深刻な経済危機のもとで、多くの国民が政治の現状に不満を強めている。それにもかかわらず、なぜ半数近くの有権者が棄権したのか。どの政党、どの候補者にも期待できない、投票しても政治は変わらないと感じたからであろう。過去最低の投票率は、有権者の政党不信、政治不信のあらわれである。
投票率が低ければ、住民の支持が少なくても当選できる。東京の石原氏は、300万票、70%の得票率で圧勝したが、絶対得票率(有権者総数に対する得票率)は31.6%である。都民の約7割は石原氏を支持する投票行動を行わなかった。神奈川の松沢氏にいたっては、絶対得票率はわずか15.8%にすぎず、神奈川と同じように激戦となった北海道で敗れた鉢呂氏の絶対得票率16.7%よりも低い。松沢氏は6分の1にも満たない住民の支持で、神奈川の県政を握ったのである。
(3)政党隠し
第二の特徴は、今回の知事選で、政党の推薦・支持を拒否して無党派を標ぼうする候補者があいついだことである。
ただし、その実態はどうかと言えば、都知事選で再選された石原氏は自民党や公明党の推薦を拒否しながら、陰では「人手が必要だ。協力してほしい」と自民党に要請し、さらに応援に際しては自民党名を言わないようにとクギを刺した。神奈川県知事選で当選した松沢氏も、民主党や自由党の推薦を拒否しながら、民主党に支援を要請した。
このような政党隠しも含めて、無党派候補の増加は、有権者の政党不信に対応したものである。棄権した有権者だけでなく、投票した有権者の中でも政党への不信がひろがっていることのあらわれである。与野党の相乗り候補も、前回の10人から福岡県と福井県の2人に激減した。
後半戦の市長選でもこの傾向が顕著になった。当選者のうちで政党の推薦・支持を受けなかった割合は、前回の40.2%(49人)から52.8%(65人)に急増し、過半数を超えた。知事選と同様、政党の推薦・支持を拒否しながら、実際にはその政党の支援を受ける政党隠しも少なくなかった。与野党相乗りの市長当選者の割合も、前回の42.6%(52人)から21.1%(26人)に半減した。
(4)争点隠し
第三の特徴は、深刻な経済危機、政府による地方自治体への攻撃、イラク戦争という環境のもとで闘われた統一地方選挙にもかかわらず、いくつかの例外を除けば、何が争点なのかが明確にされなかったことである。深刻な経済危機や地方自治体の危機にどう対処するのか、限られた財源や人員をどの方面に投入するのか。イラク戦争を支持するのか支持しないのか。有権者から見れば、どの候補も似たようなことを言っており、どの点で対立しているのか違いがわからない。
地方には、農業、工業、商業、サービス業があり、大企業、中小企業、零細企業がある。企業家もいれば、労働者、農民、自営業者もいる。金持ちもいれば貧乏人もいる。利害は一様ではない。それぞれの候補者も、知事や市長に当選して政権を握れば、限られた財源、人員をどの方面に投入し、主要にどの部分の利益を優先するのか、選択せざるを得ない。つきつめれば、その地方の経済で支配的な力を持つ大企業の利益を優先するのか、大企業の利益に反しても労働者、農民、中小商工業者の利益を優先するのか、ということである。どの部分にもまんべんなくなどということは不可能であり、異なった選択、異なった政策がある。
それにもかかわらず、争点が鮮明にならなかった原因の一つは、票を獲得するのにつごうの悪いことはあいまいにする、争点隠しが行われたからである。たとえば、福岡県の麻生知事は大企業の側にたって、新福岡空港構想を推進してきたが、選挙で対立候補の今里氏の批判に直面すると、「新空港にこだわっているわけではない」と争点化を避けた。アメリカのイラク侵略、政府の対応を支持していても、「支持する」などと立場を明らかにした候補者は一人もいない。争点隠しは政党隠しと同様に、候補者が自分の真の姿を隠し、これまでの政治に対する大衆の不満や批判を直接受けないようにするための策略である。この点ではマスコミにも一端の責任がある。
もう一つの原因は、野党のふがいなさである。大企業の利益を優先する既存の政治権力を批判し、これに果敢に挑戦する政治行動をとってこなかった。「地方政治には保守も革新もない」と言い、首長選で与野党相乗りが常態化してきた。争点が鮮明になるわけがない。地方政治で何が争われているのか、野党の側の勉強不足、政策能力の欠如もある。
このような候補者や政党の側の対応も、政党や政治に対する有権者の不信を加速した。政党不信、政治不信は地下の政治的マグマである。マグマはたまって限界に達すれば、地上に噴出して爆発する。政治的マグマもさらに強まれば、いずれ地上に噴出して爆発的な力となる。
(5)石原都政は要注意
政党隠し、争点隠し、そして野党のふがいなさの結果、大衆の不満や政治的要求はそらされ、知事選で地方政治における権力の移動は起こらなかった。神奈川県では自民党が敗れたが、当選した松沢氏は石原知事との連携を強調し、小泉首相は早くから松沢氏を支持していた。大企業から県民大多数の方向へ権力が移動したわけではない。
県議選では自民党、民主党、公明党、自由党が若干の議席を増やし、社民党が議席を減らし、共産党が大幅に後退した。後半の市議選では無所属が全体の3分の2を占め、公明党と自由党が微増し、自民党、民主党、社民党、共産党が議席を減らした。議席の面でも政権の移動は見られなかった。
だが、こうしたことの中にも、政治の現状打開を強く求める国民の政治意識の反映を見ることができる。石原知事が圧勝したのは、大銀行への課税を強化し(後に裁判で敗訴)、横田基地返還を主張し(後に軍民共用に転換)、野党ばりに国との対決姿勢を打ち出したからである。深刻な経営危機に直面している中小企業を意識した政策も打ち出した。当選後の第一声は「今まで以上に過激にやる」「国をこづきまわす」であった。こうして、現状打開を求める都民の政治意識を巧みに吸収したのである。「自民党をぶっつぶす」と言って国民の支持を得た小泉首相の政治手法とよく似ている。ヒットラーが登場した時の手法も想起させる。
その前途は、国民の求める現状打開とは似て非なるものである。国民の支持を得て、小泉首相が実際にぶっつぶしてきたのは国民の暮らしであった。同じように、「第三国人」発言など民族排外主義の言辞を弄する石原知事が「過激にやる」のは、多国籍企業のための政治、弱者切り捨ての政治である。
(6)希望、変化のきざし
都知事選では逆のあらわれ方となったが、後半の市長選では争点を明確にして果敢に闘い、住民大多数の方へ政権を移動させたところもあらわれた。
沖縄の宜野湾市長選では、社民党、社会大衆党、共産党、民主党の推薦を受けた伊波洋一県議が米軍の普天間基地返還問題で名護市移設反対をかかげ、自民党、公明党、保守新党が推薦し、稲嶺知事がフル稼働で応援する対立候補を破った。県内移設阻止へ新たな橋頭堡が築かれ、稲嶺県政の誕生以来敗退を続けてきた沖縄の革新勢力にとって、反転攻勢の転機となるかもしれない重要な勝利となった。
神奈川の平塚市長選では、大蔵律子元市議が平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、大磯町、二宮町の三市三町を合併して政令指定都市をつくるという湘南市構想の白紙撤回をかかげて闘い、この構想を推進してきた現職市長を破って当選した。
大阪の高石市長選では、阪口伸六元市議が堺市との合併反対を真っ正面にかかげて闘い、与野党相乗りの現職市長に対して、その2倍の票を獲得して圧勝した。同時に行われた合併の是非を問う住民投票でも、合併反対票が賛成票を上まわり、合併構想を打ち破った。
ちなみに、広範な国民連合はこれまで上記の方々の協力を得て、『日本の進路』に登場していただいた。地方議員版2000年5月号(伊波洋一氏)、同2002年8月号(大蔵律子氏)、月刊2002年12月号(阪口伸六氏)をご覧いただきたい。
また、県議選、市議選で女性の当選者が過去最多の記録を更新したことも、変化を求める国民意識のあらわれである。
野党、革新勢力が、住民大多数の側に立ち、大企業の利益を優先する政治に反対して、それにふさわしい要求、政策をかかげ、争点を明確にして果敢に闘えば、特に首長選挙では広い戦線を形成して闘えば、大きく前進できる情勢である。この危機の時代にふさわしく、政治の現状打開を求める国民の期待に応えて攻勢的に闘うのかどうか、野党、革新勢力はその真価を問われている。