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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年4月号

各地の動き

埼玉/宮崎/長崎


「NO WAR」の声ひびく
五百人のデモ   埼玉



 二月十五日に拡大世話人会をやりました。自営業者の方からは家を担保にしてもなお銀行が貸し渋った体験、失業者の方からはハローワークに足繁く通ってもなかなか仕事が無い厳しい状況が報告されました。「国民連合・埼玉」は中小零細企業者や失業者の人達と連帯して闘って行くことを確認しました。
 また、アメリカのイラク攻撃に反対する緊急デモを、査察報告が出た直後の三月二日にやることを決めました。賛同人の長内経男さんらが呼びかけて取り組みが始まりました。緊急でしたので、統一スローガンや統一ビラは作らず「イラク攻撃に反対」を一致点として確認をし、インターネットなどで一斉に呼びかけました。参加団体がそれぞれにビラやプラカードを作りリレートークとデモをやることになりました。
 二日の当日、浦和駅前は年配の方から子供まで(犬一匹の特別参加もありました)三百五十人の人でいっぱいになりました。十五人がリレートークをやり、国民連合・埼玉からは奥田代表世話人が「アメリカは世界支配の一環としてイラク攻撃をしている。私たちはこれに反対すると同時に、アメリカに追随し戦争に加担をする日本政府に反対しよう。自主・平和・民主のための闘いで平和な日本を実現しよう」とあいさつしました。
 いよいよデモに出発。ブッシュ大統領の顔のみこし、色とりどりの風船、のりのいい音楽、太鼓、プラカードなど思い思いのパフォーマンスで「イラクの人々を殺すな」と浦和駅周辺をデモ行進。街頭の人達の飛び入り参加やリレートークには間に合わなかったが、せめてデモには参加したいと言って駆けつけてきた人たちで最後は五百人近くに膨れ上がっていました(写真上)。
 埼玉で五百人近いデモというのは本当に久しぶりのことです。予想以上に集まったのは、多くの人々がアメリカのイラク攻撃に対する怒り、アメリカに追随し積極的に戦争に加担する日本政府への怒りでいっぱいで、チャンスさえあれば行動しようと思っていたからだろう。(国民連合・埼玉事務局)


広範な住民連合  宮崎
第四回総会を終えて


 一九九九年三月に発足した平和・民主・共生のための住民連合も、三月一日で四年目を迎えた。国内では有事法制も整い、住基ネットで管理され、思想的には教科書問題に象徴されるようなナショナリズム台頭の動きが活発化し、いよいよ危険な情況が醸造されつつあるなか、どうしたら平和・民主・共生の理念が生かされるのか、模索しつづけた四年間であったように思う。第四回総会も緊迫した世界情勢を受け、中心となった議論はアメリカの「新帝国主義」であった。とくに、総会後の懇親会においては強い危機感を感じるイラク攻撃と日本政府の対応に批判が集まった。
 本会は活動していくに当たり、取り組む課題の内容と構造を分かりやすく学習していくことを考え、部会制をとっている。会員がそれぞれ部会を選択し、協議して学習会のテーマや講師を決め、全体に呼びかけて学習会等を実施している。
 「平和部会」の基本姿勢は、沖縄の視点から平和を考えるということから、伊江島など観光コースにない戦跡の旅がかなった。また、パレスチナの歴史の学習やノーム・チョムスキーのビデオ学習など、アメリカの覇権主義を取り上げている。
 「民主部会」は、二年ほど選挙制度に取り組み、形にして提案することができた。今は小泉構造改革の内容として、規制緩和の問題と市町村合併の問題を洗い出そうとしている。「共生部会」は、環境・福祉の二分野に分け、環境破壊や高齢者介護など、自然と人間・人間と人間の共生を考え、隔月に学習会を計画、実施している。
 各部会の学習会は活発に行われているが、なかなか運動として形にするまでには至っていないのが現状である。また会員数の増加も難しく、若い年齢層に広がらない焦りもある。いずれにしても、会員同士の信頼に基づき、自由で闊達な論議の場が創出されることで、やわらかな社会をめざす動きが広がることを期待したい。(広範な住民連合事務局)


学習会「今日の国際情勢と日朝関係」   長崎

 三月八日、朝鮮総聯長崎県委員会の金清吉委員長を講師にお迎えして、標記の学習会を開きました。氏のお話のあらましは次の通りです。
 朝鮮半島の二十一世紀は戦争と破壊の世紀であった。独立後も過去の清算が済まされないまま冷戦構造の中に組み込まれ、分断の歴史がまだ続いている。
 八〇年代後半、東欧社会主義圏が崩壊した。わが国の貿易相手国の八割がこれらの国々であったので、経済的にも大打撃を受けた。会社なら連鎖倒産するところだが社会主義国として踏ん張った。九〇年代にはいるとアメリカ帝国主義は核疑惑をでっちあげて、北朝鮮に対する孤立、圧搾策動を始めた。一九九四年に国父金日成主席が逝去。一九九五年から三年間は大水害、大干ばつにみまわれ、建国以来一番苦しい時期だった。
 これらを克服し、二〇〇〇年六月には南北首脳会談が実現、六・一五宣言を発表することができた。つづいて十月、朝米共同コミュニケを発表し国交正常化をはっきりとうたった。ところがブッシュ政権が登場し、クリントン大統領が積み上げてきたことを反古にした。
 北朝鮮は二十一世紀になってからEU連合と条約を結ぶなどして、現在百五十四カ国と国交がある。G8の中で国交がないのはアメリカと日本だけだ。南北の統一も着々と進んでいる。しかし統一の鍵を握っているのも、日朝関係の鍵を握っているのもアメリカだ。
 日朝国交正常化は在日の三世、四世にとって重要な問題だ。正常化されないといろいろな差別は解消されない。二〇〇二年のピョンヤン宣言で光が見えたかに思えたが、拉致問題だけが極大化し前より悪くなった。これは、南北関係、日朝関係が進むのを望まないアメリカの意思が働いている。イラク攻撃をしたいアメリカは、大量破壊兵器を持つ国をたたくべき、という世界世論を作らなければならないからだ。こういった問題が解決しないと北朝鮮の経済的発展は実現できない。
 この後、参加者から質問が出された。(1)一九六〇年代の帰国事業、(2)拉致問題、(3)指導者の個人崇拝、(4)NPT条約脱退などについて質問が出され、金氏からお話があった。金氏のお話は一〇〇%賛同できるとは言えませんが、有意義なお話でした。
 また参加者から「日本政府はアメリカから迎撃ミサイルシステムを買うことに決め、現在持っているイージス艦を改修して搭載する。来年から長崎のドックで作ることになるだろう。ノドンを想定している」という報告がありました。(広範な国民連合・長崎事務局)