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『日本の進路』地方議員版41号(2008年11月発行)

銚子市立総合病院休止問題 公的医療を守れ
病院を休止した市長をリコール!11月22日より署名スタート

「日本の進路」編集部




  10月23日、岡野市長リコール決起集会が千葉県銚子市市民センターで開催された。(写真)
この決起集会が「何とかしよう銚子市政」市民の会(「市民の会」)の設立総会となり、銚子市立総合病院を休止した岡野俊昭市長に対するリコール運動(*注)が事実上スタートした。
 決起集会には銚子市立病院の存続を願う市民600名が結集した。会場は公的医療・市立病院の存続を願う必死の思いの市民で満席となり、ロビーまで溢れた。
 銚子立総合病院は許可病床数393床。歴史は古く、1950年銚子市立診療所としてスタートし翌年「銚子市立病院」と改称。結核病床40床設置。1957年には精神神経料病床106床設置。その後一般病棟も増床し、1984年には「銚子市立総合病院」と改称。総合病院として市の中核病院としての役割を担って来た。日大、千葉大から医師派遣を受けていた。1996年からオーダーリングシステムを導入し「変革期」を迎えるが、11月結核病棟休止。2007年1月産婦人科の産科を休止し婦人科のみとなる。そして7月7日、岡野市長は9月末日で病院休止を決定。この市長提案に対して8月22日臨時市議会では加瀬庫蔵市議、石上允康議員等が反対討論を行ったが、12対13、1票差で病院休止の市長案が可決された。
 7月の「休止」発表当時は159人の入院患者がいた。通院していた患者にはあて先空白の紹介状が渡された。隣接市にある国保旭中央病院(956床)には8月末までに、この宛先空白の紹介状を携えた患者約220人が「医療難民」となって訪れた。
 岡野俊昭市長は元中学校長。2006年7月の市長選で無所属で立候補し、銚子市立総合病院の存続を公約に掲げて13,235票を獲得し、野平匡邦(まさくに)前市長12,756票を破り初当選した。
 リコール決起集会では経過報告を加瀬庫蔵・銚子市議が行った。加瀬市議は「休止」が発表される前は市議会議長を務めていたが、議長職では市民運動の行動が制約されるとして8月臨時市議会に辞表を提出。いまは「市民の会」事務局長として市民運動の先頭に立つ。加瀬氏は「再開の目途が立たないまま病院が休止したために、転院した患者さんが環境の変化で容態が悪化し12日で亡くなった」、「銚子市は全国のお医者さんから信頼を失いました。しかし、信頼を失ったのは銚子市民ではなく岡野市長です」、「私たち市民が本当に公的医療を望んでいるんだということを市長リコールを通じて全国に発信しようではありませんか」と訴えた。次いで「市民本位の民主的な銚子市政の回復と公的医療の再生を図り、安心・安全なまちづくりに寄与することを目的とする」「市民の会」の結成を提起。全員の拍手のもとで確認され、代表に茂木薫氏が選出された。
 茂木代表は「私たちが選んだ市長だから、どっかで聞いていただけるのではないかという気持ちがあったが市民の声は全く届かない」、「もう今の岡野市長は信頼できない。そういう人達の気持ちを代弁する形でリコール運動を行いたい」、「(製造者は)その製品が欠陥だということが分かった場合にはリコールしなければならない。だから、われわれは市長が欠陥商品であるということを明らかにし、回収する手を打ちましょう」と訴えた。
 次いで松井稔医師が激励の挨拶に立った。松井医師は「市民の会」の前身とも言える「公的医療を守る市民の集い」にも参加してきた。10月6日より国保成東病院(千葉県山武市)に内科医として勤務しているが、この決起集会に駆けつけた。松井医師は「市長の権力の大きさということを今回は思い知りました。本当に誰がどう言っても病院はなくなりました。医者がいないからなくなったと言われますが、正直言って医者は怒っています。10数人の常勤医師が頑張って最後まで勤務していました。それを医師がやめるといったからやめざるを得なかったと言われると怒り心頭です。最後まで頑張ると言った医師の首を切ったわけですから、事実と違います。それだけは現場にいた医者として全国に言いたい」、「市長が『迫害されている』などと言うようになったらちょっと危ない。このまま続けていただくと市民が誰も幸せになれません。『ドクターストップ』ということで市長を辞めさせることに皆さん力を貸していただきたい」、「これだけの市民が集まっているわけですから、ここにこそ民主主義の本来の意義があると思います。市民の期待に応える人(市長)が必ず出てくると私は信じています。ですから自信を持って運動を進めて頂きたいと思います」と激励の挨拶を行った。
 次いで、近隣の匝瑳市民病院の医療相談室に勤務する勝浦佳子氏が連帯の挨拶を行った。勝浦氏は匝瑳市民病院も危機的な状況であるが「旭中央病院を拠点とした銚子市、東庄町、匝瑳市の三つの自治体病院IHN(統合ヘルスケアネットワーク)方式再編ネットワーク構想」への危惧と「この背景には国の規制緩和、医療構造改革、それから昨年12月に総務省が発表した公立病院改革ガイドラインがある」と訴えた。その後「無責任国家と住民自治」と題して竹内謙氏(元鎌倉市長、早稲田大学大学院客員教授)による基調講演が行われた。

「第1回銚子市病院事業あり方検討委員会」への疑問

 リコール決起集会4日後の10月27日、「第1回銚子市病院事業あり方検討委員会」が開催された。市が公開しているこの検討委員会議事録を読むと様々な疑問点が浮上してくる。検討委員は伊藤恒敏(東北大学院教授)、西田在賢(静岡県立大学大学院教授)、伊良部徳次(旭中央病院副委員長)、間山春樹(銚子市医師会長)、山本尚子(千葉県健康福祉部理事)、渡辺良人(千葉科学大学事務局長)の6氏である。委員長には伊藤氏が就任した。伊藤教授は「私は(昨年)2月14日に銚子で講演したときも(中略)病院のサイズを小さくした上で経営改善を図らないとだめだと申し上げた」、「3月にコンサルタントによる調査報告書が出て、ダウンサイズしないといけないと言われているのに、その手が打たれなかった」、「昨年の11月に改善計画を見せていただいて、私があまり知らない状況でも、非常に楽観的な改善計画だった」、「4月以降は明らかに死ぬ運命(廃院)でしかなかった」と市側に説明を求めた。
 それに対して市側は鷺山隆志総務企画部長が「18年4月時点では常勤医師が35名。その後、18年度の9月以降、急に医師の退職・引揚げが加速し、勤務医も不足している中で、当時一般会計が非常に資金不足で病院を助ける余力がまったくなく、結果的には19年の3月に水道事業会計から資金不足に対応するために7億円の長期貸付を受けた」と経過を報告。また「自治体病院協議会・小山田会長から『早急にあり方検討会を立ち上げて、まず公設公営で生き残る道を早急に模索したほうがいい』というアドバイスがあり、病院もそのつもりでいた」、「病院も非常に危機意識を感じ、早急に改善を図ろうと病院内部で検討し、19年10月に経営改善の5カ年計画を作った。その5カ年計画の中で、20年度以降、入院単価の引き上げや回復期リハビリテーションの設置等もろもろの改善をして、何とか公設公営で、また一定の繰入額の範囲内で病院を存続できるという説明がされた」と、一年前には「公設公営」を堅持して努力が行われていたことを明らかにした。
 まず大きな疑問は、伊藤教授は今年4月に「死ぬしかなかった(閉院)」と決めつけているが、果たして事実なのか。加瀬市議はリコール決起集会の経過報告の中で「(今年)9月30日で首切られたドクターが12名です。市長は内科の医者1名、外科の医者1名しかいなくなったから病院を休止したといっていますが、常勤の医師が12名、非常勤のドクターがついこの間まで22名いました。34名のドクターが現実にいたわけです。看護師さん91名、すべての医療スタッフ189名が無惨に首を切られました」と、病院が閉鎖せざるを得ない状況でなかったことを訴えている。また、伊藤教授は「病院経営健全化計画」は楽天的と決めつけたが、はたしてそうであろうか。マスコミや業界紙は「光見えた、市民の寄付で応援」(朝日新聞2007年6月22日)、「内科系の入院再開、医師確保にめど」(読売新聞2007年6月28日)、「閉鎖を懸念されていたが、危機を脱した」(医療タイムス2008年3月10日)と、銚子市立総合病院の努力を評価する報道をしている。自治体病院協議会、自治労などの労働組合、そして市民の中から1000万円の寄付が寄せられるなど公立病院を何としても存続したいという声と運動が高まり、マスコミも具体的な効果を認めていたのである。
 次の疑問点は、伊藤教授はコンサルタント会社もダウンサイズをいっているのになぜ従わなかったのかと市側を問いつめていることである。なぜそうまで決めつけるのか、伊藤教授の立位置の問題にも疑問を感じるのである。
 「光見えて」来たときに市長はコンサルタント会社「日本経済研究所」に委託して報告を出すのであるが、この「日本経済研究所」とはいかなるものか。代表は吉野良彦氏で元大蔵相官僚、1992年に日本開発銀行総裁就任。1993年の細川内閣の下では首相の私的諮問機関・経済改革研究会(座長・平岩外四、通称・平岩研究会)委員であった人物である。理事長は大川澄人氏で日本政策投資銀行顧問(前副総裁)である。23人の理事の中に規制改革会議の議長である草刈隆郎氏がいる。同氏は日本郵船株式会社代表取蹄役社長、日本経団連副会長、福田内閣の諮問機関「規制改革・民間開放推進会議」議長であった。こういう役員構成を見ると、このコンサルタント会社「日本経済研究所」の性格は自ずから明らかである。「公設公営」で銚子市立総合病院が正常化されたら、アメリカ型医療を目指す「小泉改革」=経営形態の民営化を目指す「医療改革」にとっては都合が悪いのである。
 とまれ、コンサルタント会社への委託を提案したのは国か第3者か分からないが、はっきりしているのは岡野市長が自らの公約を踏みにじり、市民の期待を裏切ったことである。市長が毅然としておればこういう外部コンサルタント会社の入り込む余地はなかったであろう。この6人の委員のうち欠席した西田在賢氏はアメリカ型医療を目指す「マネジドケア医療革命」を提唱している人物である。2001年李啓充・ハーバード大学医学部助教授は日本医師会未来医師会ビジョン委員会で行った講演「米国マネジドケアの失敗から何を学ぶか」の中で市場原理による医療の弊害を訴えたがその批判の対象になった人物であることを参考に、付記しておく。検討委員会では46000人の病院存続の請願が出ているにも関わらず緊急に市民のアンケート調査を行うというが、その真意は何なのか。伊藤委員長自ら認める「やらないよりはやった方がいい」程度のアリバイ的なアンケート調査には恣意的なものを感じざるを得ない。 

旭中央病院の公設民営化の動きも連動?
 
 リコール決起集会で勝浦氏が連帯挨拶で触れた旭中央病院を中核とする「自治体病院IHN方式再編ネットワーク」構想は、銚子市総合病院の休止問題とも連動しているように思える。旭市では10月「総合病院国保旭中央病院の経営形態等に関する検討委員会」が立ち上がっている。その検討委員会は10名の委員で構成され、委員長は樋口幸一(総務省地方公営企業体等経営アドバイザー)、同職務代理が松山幸弘(千葉商科大学大学院政策研究科客員教授)であり、あとは当該自治体の市議会議長、副市長、財政課長、企画課長、それに当該病院長、事務部長等である。
 この報告では冒頭「地方財政健全化法の施行により今後は地方自治体に自己責任が一層求められる」として「公立病院改革ガイドラインに沿って『経営効率化』、『再編ネットワーク化』『経営形態の見直し』をキーワードに自治体病院に抜本的な経営改革を平成21年度3月末までに改革プランを提出する必要がある」とその目的が述べられている。そして「旭中央病院は事業収益、患者数、病床利用率、平均在院日数、いずれにおいても診療実績は全国のトップクラス」、「経常収支面では創立以来55年間黒字を計上しており『自治体病院の模範』との評価を得ている」と認めながら、今後とも健全経営を堅持するためには「民間的経営手法の徹底的追求と実践」が求められるとして、望ましい経営形態のあり方は指定管理者制度を導入した「公設民営化」だと結論付けている。その具体化のためのワーキンググループを作るよう促している。そしてそこで手本として米国の地域医療ネットワークIHNを取り入れた日本版IHNを構築する必要があると主張しているのである。「検討委員会」とは名ばかりで、まず「公設民営化」の結論ありきなのである。
 今年4月、富山県氷見市民病院が公設民営化され、金沢医科大学を指定管理者とする「金沢医科大学氷見市民病院」となった。旭病院の検討委員会委員長の樋口幸一氏は、その公設民営化を強引に推し進めた氷見市民病院改革委員会に、「公立病院改革ガイドライン」作りに関与したと自認する長隆(公認会計士)氏とともに関わった4人の一人である。長隆氏は講演などで行く先々、自ら手がけた氷見市民病院の公設民営化を成功例として吹聴しているが、地元の古門市議は違うと断言する。元病院の労組3役は再雇用せず、不当労働行為的差別や医師不足は解決しておらず、名義貸しと疑われる状況があるという。実際は決して「全てがハッピー」(2008年8月12日豊川市民病院改革プラン会議での長隆議長発言)という状態にはほど遠い。
 松山幸弘氏が最近出した本「医療改革と統合ヘルスケアネットワーク」には「医療改革の起爆剤として期待されているのが日本版IHN(統合ヘルスケアネットワーク)。本書は、この日本版IHNを創造し、医療サービス分野で日本が最先端の国際競争力を獲得するための具体的方法を提示する」というキャッチコピーが書かれている。「国際競争力を獲得する」とは一体誰の立場に立つのか。患者や地域住民感情とは馴染まない価値観である。この間、公立病院改革ガイドラインの具体化として、公立病院には軒並み「○○改革検討委員会」が作られているが、そこに派遣される「学識者(あるいは有識者と呼ぶ場合もある)」は間違いなくアメリカ型医療を高く評価する学者や公認会計士などであり、コンサルタント会社とも結びついている。彼らは総務省のアドバイザーとして、改革検討委員会の座長、議長という立場で改革案をとりまとめ市長に提言するのである。グローバル競争を展開する巨大製薬会社や医療保険会社のための、財界があくなき利益追求を行い国際競争にうち勝つためのIHN化ではないか、「改革政治」の具体化ではないかと危惧する。
 アメリカで作成された映画「ジョンQ」あるいは「シッコ」は、アメリカ型の医療保険社会がいかに低所得者を無権利状態に放置しているかを描き、非人間性・不正義を告発し、儲け第一主義の医療に警鐘を鳴らしている。

リコール運動に勝利し公的医療を守る一大運動を

 いま「公立病院改革ガイドライン」を錦の御旗にして全国的に進められようとしているのは、公的医療機関そのものの解体である。地域住民、市民本位の医療には欠かせない公的医療機関の存続とそのための世論つくりが今こそ求められている。
 23日の決起集会に友人と一緒に和田町からバスに乗ってかけつけたという60歳代の主婦渡辺さんは「私も主人が銚子市立総合病院に今年はじめにお世話になっていた。公立病院は市民にとってどうしても必要なもので、今までこんな運動に参加したことはなかったが、今回は受認者になって5枚署名用紙を預かっている。私たちは必死の思いです。普通おとなしい人達も今回は立ち上がると思います」と署名開始日を待っている。
 加瀬庫蔵市議(「市民の会」事務局長)は「リコールは勝利すると確信しています。銚子市民は医者を大事にし公的医療を望んでいますということをこの闘いを通じて全国に発信したい」と決意を新たにしている。
 いよいよ岡野市長リコール請求署名は11月22日からスタートする。

 激励先
「何とかしよう銚子市政」市民の会事務所
〒288-0801  千葉県銚子市唐子町25-17
 電話:0479-25-1515 FAX:0479-25-1516
 メール:nantokasiyou@gmail.com
「何とかしよう銚子市政」市民の会共有サイト
http://sites.google.com/site/nantokashiyou/

*注 市長リコール
 市長を有権者の請求によって解職する手続き。1力月間で有権者の3分の1以上、銚子市の現在の有権者は6万841人(2008年9月2日現在)だから約2万280人以上の署名が必要になる。この署名を実際に集めることが出来るのは請求代表者の委任を受けた有権者で、受認者とよばれる。市選挙管理委員会が集められた署名数を有効と認めれば、請求から60日以内に住民投票が行なわれる。有効投票総数の過半数が賛成すれば市長は失職する。