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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2008年7月号
築地市場の移転問題とは
市場を考える会は築地市場の仲卸業者200社あまりでつくる団体です。築地問題とは、東京都が2001年12月に「第7次東京都卸売市場整備計画」で築地市場を豊洲に移転するという決定をしたことです。移転の理由は市場の老朽化などですが、移転問題が起こる以前の1991年に豊洲、晴海一帯の東京湾岸総合開発計画「豊・晴計画」が策定されています。築地の移転問題は豊・晴に隣接する築地市場を開発の波にさらそうというものです。
築地の整備計画、移転計画は長い歴史があります。すでに1982年に再整備のため大田区(当時は大井市場といった)への移転案が浮上しました。 このときは水産卸業の大手7社も反対し、移転反対総決起集会を築地市場近くの築地本願寺でやりました。大田区の側でも野鳥の会の人たちが、環境問題から市場に反対する動きがありました。水産業者で大田市場への移転を希望する業者は少なく、大田市場は神田青果市場(秋葉原駅前)を統合し青果中心に1989年に開場しました。
東京都は1990年に 「築地市場再整備基本設計」を策定し、1993年には大々的に市場再整備の起工式が行われたのです。総工費は約3000億円で、資金は東京都の特別会計1000億円と神田市場売却による2000億円を原資にしていました。1997年には本格工事に必要ないくつかの駐車場と、荷揚げのための「構台」も400億円近くかけて完成していました。しかし、1998年に工事は突然ストップしました。真相は今も分かりません。表向きは営業しながら工事をしたので、長期間の日数をつかってしまったということになっていまが、本心は市場会計を使いきってまったからです。
注:生鮮卸売市場には産地から商品を買い付けて、市場でセリにかける荷受(単に卸ともいいます)と、卸からセリで買取り、小売店に卸す仲卸があります。
移転へ向けたクローズなうごき
1997年、当時の中央市場場長(東京都の局長クラス)が数人を連れて日暮里で密かに会合を行ったという記録があります。工事はそのあと中止となりました。場長は同年十一月に仲卸の意向調査をしなさいといってきました。築地市場を構成している業界団体は6団体ありまして、当時の場長は6団体のうち1団体でも移転に反対だったら豊洲には行かない。と言明しました。しかし、そのとき移転予定になっている豊洲地区の土壌汚染問題は言われていなかったのです。しかし、東京ガスは自社で98年の7月に調査をしていて8月には土壌汚染の程度が分かっていました。
1998年12月時点で各団体は態度表明しました。東京卸協同組合(仲卸)と買出人団体(魚屋など小売店)は築地での再整備を主張。卸売業者協会(水産卸)、売買参加者組合(卸と直接売買できる業者、おもに大手スーパー)、青果連合事業協会(青果部門の卸、仲卸業者)、関連事業者等協議会(市場内にある各種の店)の4団体は豊洲移転で意思統一しました。
東京ガスは2001年1月に工場跡地が基準値をはるかに超える汚染状況である調査結果を公表しました。そして東京ガスと当時の濱渦副知事は東京都が東京ガスから土地を購入し、ここに新市場を建設することを基本的に合意しました。
2002年に民主党の鈴木寛参議院議員が「なぜ移転するのか」と議会で取り上げました。私は鈴木議員と知り合いであったため、その話を聞かせてもらいました。そのとき初めて市場関係者数人が移転予定地の汚染問題について知ることになりました。
考える会は「なぜ?」と
思う有志で
市場を考える会を作った動機は、築地市場移転問題はクローズな(分からない)部分が多すぎる。何か変だなという人々が集まって、こんなことで私たちの関心事でもあり、願い出もある「食の安全」が保てるのか。という気持ちでつくりました。最初は5人で集まり、20人になったときに「市場を考える会」として発足しました。2006年5月24日のことです。移転問題で困難を抱えるのは零細なお店が多いですが、代表の山崎さんは何店舗もお店を持つ大手ですよ。自分のことだけでやる運動ではないです。「築地市場を考える会」ではなく、「市場を考える会」としたのも、私たちは築地市場さえ守れればいいと思わないからです。
問題を広げるきっかけになったのは、汚染土壌の上につくられた三菱マテリアル施工のマンション問題(大阪府)を追求していた「日本環境学会」の畑明郎氏と知り合ったことからでした。畑氏は豊洲の汚染問題を知ると「ファミリーパーク(三菱マテリアル)」どころじゃない。といって協力してくれるようになり、昨年は豊洲の土壌汚染問題でシンポジウムを開催しました。東京都との交渉では土対法を盾にとられ「法律で除外されている」と私たちの主張を受け入れてくれません。東京都が豊洲地区の再調査(今年)のために設置した「専門家会議」の座長は、畑氏が三菱マテリアル問題で行政側と対立していたときに行政側の専門家として登用されていた人と同じです(平田健正和歌山大学教授)。東京都は専門家会議のメンバーを東京から1人も選ばず、多くは関西方面の人を選任しています。日常的に我々との接触を避けようということなのでしょうか。
石原都知事が選挙のときに都民に約束して実施された再調査でしたが、これによって更にひどい汚染状態であることがわかりました(発ガン物質ベンゼンが基準値の4万3千倍)。しかし、それでも表面(50センチまで)を調査しただけで断面図というものは一切ないのです。
食文化の問題として
漁食文化はこれまでにもかわって来ました。昔の子供はもっと魚を食べたものでした。食の不安があると食文化に影響が出ます。被爆マグロを覚えていますか。第五福竜丸がビキニ岩礁で被爆し、築地に被爆したマグロが入荷したわけです。このことがきっかけとなってマグロが売れなくなりました。そこで考えたのが「魚肉ソーセージ」です。生ではなくソーセージにして売れないマグロを捌いたわけです。
子供が切れる原因は化学添加物にあると思います。1997年、国が許可している添加物は英国で25種、フランス36種、ドイツ42種、米国が133種、これに対して日本は348種類の化学添加物を認めています。
仲卸のような中間ブローカーは必要かと聞かれることがあります。スーパーに客は騙されていませんか。魚の相場・評価を決める人が仲立ちをしなかったら、価格は大手水産業者の言いなりになる他ありません。大手の水産業者が「これだけの経費がかかっているのだから、これ以下の値段には出来ない」と(品質には関係なく)言われたら、消費者はそれに従わざるを得ない。仲卸がいるので(品質を踏まえた、公正な)相場を決めることが出来るわけです。私たち仲卸の仕事は3つです。一つは評価機能(魚の評価をして値段を決める)、二つ目が分荷機能(荷分け)、三つ目に衛生、情報、金融(出荷者に短期間にて支払い)という多面的な機能をもっているわけですよ。
土壌汚染対策法の改正に
影響を与える4回目のデモ
2003年に土壌汚染対策法(土対法)が施行されました。土対法では売却に当たって土地所有者などに汚染調査や除去を義務付けています。しかし、この法律には「附則3条」を導入し、法律施行以前に施設が廃止され、更地の状態になっていれば適用されない、という但し書きがついています。東京ガスは1988年には操業を停止していました。この法律は東京都と環境省が共同してでつくったのですが、先を見越して附則3条をつくったとも思えます。法適用を受けたケースとしては、港区には東京ガスの工場が明治44年から昭和8年まで操業していた土地があって、港区はここに小学校をつくろうとしました。しかし、この土地には設備(建物)が残されていたため、土対法の適用を受け、調査の結果汚染されていることが分かり「2年間何も処置してはならない(自然回復を待つ)」という規定があるので、港区は用地買収をやめました。豊洲の東京ガス工場跡地が土対法の適用を受ければ、土壌汚染区域となり2年間は土を掘り返すことも出来ないですから、事実上移転できません。2年後に再調査してまた、土壌汚染が認められればもう2年手をつけることが出来ないのです。
土対法の改正案(附則3条を削除)は参議院を通りました。しかし、与党が多数派の衆議院をどう突破するかが焦点です。食の完全・安心は私利私党の問題ではなく、今回のデモはその審議に影響を与えるという大きな意味を持っているのではないでしょうか。これまで3回のデモは市場が休みの水曜日にやっていました。参加者はいずれも1500人ぐらいでした。今回は都民の皆さんに合わせ土曜日としました。とくに食の問題ですから、魚を食べて元気に育ってもらいたいお子さんにも参加してもらいたいですね。7月12日の当日はどんな団体でも政党でも参加してください。これまでを大きく上回る1万人を目指しています。
人が交通事故で死んでから信号機をつけても仕方がないのと同じで、危険なのを承知で私たちが市場を移転したら「なぜそのときに、黙っていた」と一生いわれるでしょう。 (文責編集部)