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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年7月号

高知講演要旨
「拉致」だけではわからない朝鮮

大学教員  前田 康博


 六月二日、高知市で、前田康博さんの講演会を行い百八十名の参加がありました。演題は「前進した六者協議・孤立する日本―拉致だけではわからない朝鮮―」です。  リアルタイムで進む六者協議の横で、日本の政府とマスメディアは、北朝鮮バッシングばかりを報道する今日の情勢です。朝鮮問題に詳しい前田康博さんの講演は、まさに、時宜にかなったものでした(講演要旨別掲)。  会場で取ったアンケートは、「来てよかった、感動した」、「この講演に来なかったら一生知らなかった情報と考え方が勉強できた」、「日朝関係にアメリカが入ってくるとは思っていなかった」、「正しい情報といろいろなことを知らなければ、主権者として正しく行動することもできないとあらためて思った」、「もっと朝鮮のことを知りたいと思った」、「非常によくわかった、目からうろこが落ちた」等々どれも講演会に来たことを喜んでくれる内容で、主催者としてうれしく思いました。
 拉致問題ばかりがこれでもかこれでもかと流される中で、これがすべてだろうか、このままで日本と朝鮮半島の関係はよいのだろうかと、市民は心のどこかでひっかかるものを持ち続けているのだと思いました。やはり市民は、正しい知識と情報を求めているのだと痛感しました。そして、このような講演会や学習会が、各地でひらかれる必要性があるとあらためて感じたことでした。以下は、講演の要旨です。(高知・松尾)



 主権在民の国家か

 新聞記者を退職した後、現在は東京の女子大学で教えています。十八〜二十二歳の女性とタメ口で付き合っています。異星人かと錯覚するくらい日本語が通じないことがあります。「戦後は…」と話すと、「先生、いつの戦争の後ですか」と聞いてきます。「太平洋戦争の後だ」と言えば、「その後もたくさん戦争があったジャン」。こんな調子です。
 そういう人たちも含めて、一億三千万人が日本に住んでいます。同じ世界観を共有しているかと問われると、自信を持ってそうだとは言えません。このまま少子化が進めば、数十年後には一億人を切り、三千万人の外国人を受け入れなければ今の生活水準は維持できないと言われています。いま二十代の人が六〜七十歳になる頃には、別の文化と言葉を持つ三千万人が日本に定住しており、その人たちも日本人ということになります。私たちの想像を超える世界ですが、明らかにその方向に進んでいます。
 日本人の世界観は多様化し、国民共通の目標がない時代に入っています。
 新聞やテレビは低次元の感情をあおり、国民をよりよい方向へ導こうというマスメディアは極端に減りました。理性よりも感情、偏狭なナショナリズム、戦前に回帰したような国家観で、国民を引きずっていく新聞やテレビの論調がとみに増えています。
 健全な言論、権力を監視する世論があってこそ、まともな社会になってゆくのです。一番大事なことは民衆が権力を持つことです。政治や外交を考える時、誰がやるのか、誰が責任をとるのか、それを常に問わなければなりません。多くの日本人は安倍首相とその内閣、国会議員に、すべて政治・外交を委ねていると誤解し、自分たちが「政治の主体」だという認識を持っていません。
 先日、私は二クラスのうちの一つに、選挙はわれわれが主権者としての意思を示す唯一の時だと教えました。そのクラスの学生は大半が投票に行きました。主権者を強調して教えなかった別のクラスの学生はほとんど棄権しました。
 市川房枝さんら先覚者の必死の努力で、日本の女性は参政権を獲得しました。その権利を放棄して、政治に関わりをもたない幽霊主権者がたくさんいます。若い人は自分が主権者であるという教育を受けていません。

 国民のための外交と言えるか

 日本の政治や外交は誰のために行われているのか。国民のため、国益のためと言いますが、現実は疑わしいかぎりです。
 大臣になると、燕尾服を着て天皇の前に行き、認証してもらいます。燕尾服を着ているのは天皇のためです。国民の前で記者会見するときは天皇に認証されたと報告します。各国に派遣されている大使も天皇が認証する認証官です。だから、「大使閣下」と言わないと怒る大使がたくさんいます。彼らは天皇の名代としてその国に派遣されているのです。天皇誕生日には必ず、その国の大臣や各国の大使を集めて盛大なパーティーを行います。彼らの多くは国民のために外交しているという感覚がゼロです。戦後の名宰相といわれる吉田茂首相も署名に「臣 茂」と書きました。「天皇の臣下である茂」という意味です。
 太平洋戦争が起きたころ、アジア地域で欧米諸国が独立国家として認めていたのは日本とタイ(シャム)だけでした。他はすべて欧米列強か日本の植民地でした。日本も欧米諸国やロシアしか国家として相手にしませんでした。いまだにそんな植民地時代の世界観から抜け出せない政治指導者が少なくありません。アフリカやアジアの国を対等な独立国家とは思わず、あそこはどこの国の植民地、ここは日本の植民地だった、という外交官もいます。
 日本の大使が国連で、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼びました。朝鮮の大使がカンカンに怒って日本を「ジャップ」と言い返しました。朝鮮にとって「北朝鮮」は蔑称だからです。双方が「北朝鮮」、「ジャップ」とやりあったので、各国の大使がへきえきしてまあまあと押さえました。日本では首相以下、「北朝鮮」で統一しています。新聞テレビも数年前から、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と書かず、「北朝鮮」とのみ書くように申し合わせました。邪魔くさいからではなく、言外に嫌悪感を匂わせたいという偏狭なナショナリズムの後遺症でしょう。
 韓国では北部朝鮮を「北韓」と呼んでいます。以前は「北傀」と呼んでいましたが、「東亜日報」の記者がベトナム戦争のさなかに、「もう同胞の住む北部を侮蔑するのはやめよう」と言い、「北韓」と呼ぶことを提案しました。
 当時、東亜日報は猛烈な抗議の嵐に見舞われ、「北韓」が定着するまで長い時間が掛かりました。
 国家や民族にはそれぞれメンツがありますが、相手を見下す言葉や、ゼロサム・ゲームでは、外交は成り立ちません。双方が利害得失を分け合い、関係を改善するのが外交です。

 南北間に国境はない
 あるのは軍事境界線

 六者協議を六か国協議と書いている新聞がありますが、英語ではシックス・パーティー・トークスです。中国語では六方会議、韓国では六者協議と書きます。「六か国」と書かず、「六者」と書くのは、朝鮮半島が一つの国だからです。朝鮮半島に二つの国家があると考えるのは誤解です。朝鮮半島には一つの国家と一つの民族、二つの政府と二つの体制があるのです。
 日本は幸い、一九四五年にいくつかの部分に分断される悲劇を免れました。日本占領にあたって、北海道、東日本、西日本、四国、九州に分ける分割占領統治計画がありました。日本は当時の東西ドイツのように、静岡県の天竜川あたりを境に、東日本共和国と西日本共和国、東京政府と大阪政府になっていた可能性もあったわけです。朝鮮半島ではそれが現実になり、二つの政府ができました。どちらの政府も、支配は南あるいは北の半分にしか及んでいませんが、将来は朝鮮半島全土に支配を及ぼすと考えていました。朝鮮の金日成は、高麗民主連邦共和国という構想を打ち出しました。連邦という形で再統一しようという構想です。ドイツが手本ですが、ドイツと朝鮮半島は大きな相違点があります。ドイツは二つの国家に分かれた後、再び合併したのですが、朝鮮半島の場合は一つの国に二つの政府ができたのです。
 三八度線は一九四五年、日本の敗戦直前に米国が日本軍の武装解除のためソ連に提案したものであり、現在にいたる軍事境界線は五三年に米軍と朝鮮人民軍の代表が休戦協定を結んだときのものです。
 ある著名な民放のキャスターが、東京のスタジオから軍事境界線にいるレポーターに「どうですか、南北を隔てる国境は緊張していますか」と呼びかけたことがあります。さすがに現場のレポーターは「緊張のみなぎる南北を隔てる軍事境界線に立ちますと…」と、「国境」と思い込んでいるキャスターの間違いをやんわりと訂正していました。
 もし日本が天竜川で東西に分断されていたらと考えてみたらわかることです。私は長年、東京で暮らしていますが、生まれは大阪で、母親や妹弟親戚はほとんど関西に住んでいます。天竜川を超えて母親に会いに行きたくても行けないとしたらと考えるだけで身の毛がよだちます。朝鮮半島では南北に離ればなれになっている悲惨な離散家族が一千万人もいます。彼らにとっては、「統一」こそ悲願です。ところが日本の中には、朝鮮半島は分断しておくに限る、彼らが統一すれば日本の将来が危うくなる、と考える人たちがいます。分断されていることがどれほどつらいことか、家族と会いたいという願いがどれほど強いものか、それが理解できるのであれば、私たちは統一を妨げず、支援すべきだと思います。
 そもそも三八度線というのは、一義的には朝鮮半島を植民地にした日本に責任があります。三八度線は、南下したソ連軍と沖縄から駆けつけた米軍が日本軍を武装解除する時の役割分担で引いた線です。米国はいっさい当時の朝鮮人指導者にも相談せず、一方的に引いたものです。日本軍の武装解除後はまったく不要な線でした。しかし米軍は占領した三八度線以南で、三年間軍政を行い、米軍監視の下に南半分のみの選挙を強行、米国に亡命していた反日運動家、李承晩を連れてきて、初代大統領にすえ、一九四八年八月十五日に大韓民国を作りました。これに対抗して、北部では金日成をリーダーとする人民委員会が九月九日、朝鮮民主主義人民共和国を作りました。こうして朝鮮半島に二つの政府ができたのです。

 朝鮮戦争は内戦

 その二年後に両政府による内戦が起こりました。朝鮮戦争です。明治の戊辰戦争にしても、同じ国内の武装集団がぶつかりあうのは内戦です。アメリカの南北戦争も同じことで、南軍が北に攻め上ろうが、北軍が南へ攻めていこうが、侵略ではなく内戦です。イギリスも介入しませんでした。しかし朝鮮半島では、米国がこれを「北の侵略」と決めつけ、米軍を一気に投入しました。後に中国も北に義勇軍を送り、国際戦争に発展したのです。
 朝鮮戦争は米ソの代理戦争です。アメリカはソ連を封じ込め、アジア・太平洋戦争で手に入れた太平洋というアメリカにとっての内海を守るため、日本を反共の防波堤にしました。これが崩れないように、さらに韓国という防波堤を二重に張りめぐらしました。米軍が朝鮮半島の内戦に介入したのは、米国の国益のため、この二つの防波堤を守るためでした。朝鮮半島はその犠牲になったわけです。
 朝鮮戦争は膠着状態となり、一九五三年、一時的な休戦線を軍事境界線にして休戦協定が結ばれました。この休戦協定を恒久的な平和条約にするべきなのに、アメリカは現在に至るまで平和条約締結を拒否してきました。日本は敗戦から六年後に変則ながら講和条約を結ぶことができましたが、朝鮮では休戦に入ったままで、半世紀を経てなお戦争は終わっていません。
 モスクワに攻め入ったナポレオンやヒトラーの例に見られるように、遠征軍の引き揚げは、遠征軍の敗北です。だから米軍が朝鮮半島を離れることは、アメリカの敗北ということになります。アメリカはその戦略からも、南北を統一させる気はありません。それに追随する日本の政府や保守勢力が朝鮮半島の統一を支援する政策をとるはずもありません。朝鮮半島を分断しておくことがアメリカの利益であり、日本の利益だと考えているわけです。ですから日本の民衆が真の主権者であるのなら、朝鮮半島の分断が本当に日本国民のためなのかを考えなければなりません。朝鮮半島の統一を全面的に支援する政府を樹立する必要があります。

 日韓国交正常化と朴独裁政権

 日本は一九一〇年以来、三十六年間、朝鮮半島を植民地支配しました。日本の敗北時に朝鮮半島と友好関係が結べませんでしたが、サンフランシスコ講和条約締結を経て、日韓国交正常化交渉が始まりました。日本と韓国を反共の防波堤にしたいアメリカが、日本と韓国を握手させようとしたのです。しかし韓国には反日の李承晩がおり、日本にはアジア蔑視、朝鮮嫌い≠フ吉田茂がいたため手を握ることはできませんでした。
 六一年、韓国で朴正煕が軍事クーデターを起こしました。彼は日本陸軍士官学校出身で高木正雄と呼ばれ、岸信介などの活躍した満州国で日本陸軍の将校をしていた人物です。
 朴正煕は韓国民に不人気で、韓国経済も極度の不振に陥ったため、日本に助けを求めにきました。これに応えたのが、岸信介ら満州人脈です。岸信介のほか椎名悦三郎、川島正次郎、大野伴睦など自民党中枢らは「高木君、心配するな。われわれが協力しよう」と都心の料亭で歓待しました。その四年後の一九六五年、日韓基本条約は成立し、国交が正常化しました。
 強制連行や従軍慰安婦など重要な問題はすべて先送りし、竹島(独島)問題の決着もつけず、有償無償合わせてわずか五億ドルの対韓援助で妥協した朴政権は、韓国民から見れば売国奴的な′R事独裁政権でした。
 朴政権は徹底的に韓国民衆を弾圧し、七三年には政敵の金大中氏を東京のホテルから拉致しました。金大中氏は大阪湾で海に沈められる前にアメリカの介入で助けられました。その翌年、朴正煕は陸英修夫人を在日韓国人の青年に撃ち殺され、自らも部下の金載圭・韓国中央情報部長に射殺されるという非業の死を遂げました。長女の朴槿恵は野党ハンナラ党の代表となり、今年十二月の大統領選挙に出馬する予定です。

 理性的な交渉による問題解決

 このように拉致や誘拐や殺人などは日本国内でも、韓国側でも行われていました。だからと言って拉致が許されていいわけはありません。無辜の民が海岸を歩いていて拉致されたのは、沖縄の少女が米兵に暴行されたのと同様に痛ましいかぎりです。まして何十年も異郷の地に幽閉されるなど、現代にあってはならないことでしょう。韓国の漁民が北にとらわれ、朝鮮の漁民が南にとらわれているケースもあります。
 朝鮮の山々では今でも朝鮮戦争で死んだ米兵の遺骨が出てきます。朝鮮側はそれを丹念に拾い集め、軍事境界線上の板門店でアメリカの家族や議員たちに返還しています。いずれも痛ましい悲劇ですが、国家暴力の醜悪な愚行は理性的で地道な交渉でしか解決できません。いくら憎くても冷静に交渉する以外にないのです。そんな悲劇が二度と起きないような国家関係を作っていくことが、政治の役割であり、外交の使命です。
 日本政府は、拉致問題の解決なくして日朝国交正常化はないと言っています。しかし拉致問題の解決を日朝交渉の入り口にすえてしまうと、交渉には入れません。死んだ人を生かして戻せと言ってみたところでどうにもなりません。謝罪や弔慰金をもって償うほかはなく、これとて何年も掛かるでしょう。交渉しながら出口までのプロセスをたどり、外交上の諸懸案とともに拉致問題も交渉して解決する以外にありません。
 従軍慰安婦の問題がくすぶっています。十五、六歳で日本兵の性奴隷と呼ばれる状況に置かれた女性たちが、死んでいきつつあります。
 安倍首相は国家や軍による強制性はなかったと、彼女たちが自分から進んで従軍慰安婦になったかのごとく言っています。中国や東南アジアの戦場に連れて行かれ、死んでいった人たちはこれでは浮かばれません。その無念さは拉致被害者の無念さと同じだと思います。
 小泉前首相は訪朝して、戦前の植民地支配の謝罪や償いを表明し、朝鮮の金正日氏も拉致問題を認め、国家の指導者として謝罪し、再発防止と責任者の処罰を表明しました。それらを踏まえて日朝平壌宣言が出されました。したがってその宣言にそって、拉致問題も戦前の植民地支配の問題と合わせて並行的に交渉すべきです。朝鮮側とともに実現可能な最善の解決方法を探ることが、ひいては永遠の平和という日本の国益につながるわけです。それで、拉致された人や従軍慰安婦にされた人の傷はいやすことはできないにしても、互いに国家権力の犯した犯罪を償うべきです。憎悪の感情を煽り、他国を侮蔑しても、問題は解決しないのです。各国注視の場での低劣な侮辱や罵り合いで、植民地の清算や拉致問題の解決は一歩も前進しません。

 朝鮮戦争の休戦協定を
 平和協定に変える

 「北朝鮮の核開発をめぐる六か国会談」と、日本の新聞記者が書いているのは間違いです。北の核開発だけでなく南の核問題も含む朝鮮半島の非核化、および在韓米軍の存在を話し合うのが六者協議です。韓国の人たちは、朝鮮半島の分断をここまで固定化したのはアメリカであり、在韓米軍は即時自国へ帰るべきだと主張しています。三万七千余もの米軍が朝鮮半島にいる大義名分は何もないのです。米朝二者が話し合い、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に代えれば万事済むことです。しかしアメリカは朝鮮に面と向かって「それでは引き揚げます」といえない。前述のように遠征軍としての敗北宣言となるからです。だから中国やロシアや日本を入れ、六者で朝鮮半島の非核化を話し合う形にすり替えたわけです。
 平壌の金正日氏はとにかく朝鮮戦争を終結させたいのです。二千三百万人ていどの小国が、超大国と五十年以上も交戦国の関係にあるため、人民の貴重な財産を不毛の軍事力に投入せざるを得ず、農工業を起こす資金も枯渇してしまいました。主穀も満足に配給できず、銃を持つ青年の腕も痩せこけてしまいました。
 巨大なマンモス象に対して、ハリネズミが全身の針を逆立てているような状況です。朝鮮の人民は餓死しています。平壌政府の目的はただ一つ、朝鮮戦争の終結であり、米国との関係改善です。戦争さえ終結すれば、外国からの援助がなくても生きていけるでしょう。政府が悪い、独裁者が悪いというのなら、その人民が倒せばいい。朝鮮の民衆がどう生きていくかは、自分たちで選べばよいことです。
 日本は米朝双方が休戦協定を平和協定に代えて、戦争を一日も早く終結させるよう促し、無駄な軍事力の対立状況を止めなければいけないのです。
 朝鮮半島の平和が実現すれば、日本はイージス艦もパトリオット・ミサイルもいらない。ましてミサイル防衛計画(MD)などに税金を使うこともない。横須賀に危険な核空母をおく必要もなくなるのです。世界第二位の軍事費を減らしてゆくだけで、破綻した年金制度は回復するでしょう。敵国がない状況をつくるほうが、日本の平和と安全を守る早道です。国民の真剣な投票行動によってそれを目指す政府を誕生させねばならない。このままではそんな平和志向の政府は生まれない。市民すべてが日本政府の朝鮮政策、アジア政策に関心を持ち、声を挙げてゆくべき時でしょう。
  (文責・編集部)