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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年7月号

「戦後レジームからの脱却」を考える


  『日本の進路』編集部に、一読者M・F生から表記の小論がよせられた。本人の希望で、匿名のまま紹介する。文中の「石橋湛山」は、戦前、列強がアジアを争奪する中で、「朝鮮・台湾・樺太を棄てろ」と論陣をはった人物。戦後、自民党総裁選で岸信介を破り、首相に就任した。岩波文庫『石橋湛山評論集』の「一切を棄つるの覚悟」、「大日本主義の幻想」をあわせて読まれるようおすすめする。(編集部)


 安倍政権は、発足以来くりかえし「戦後レジームからの脱却」をめざす、と公言している。その具体的内容は必ずしも明らかでないが、どうやら、明治、大正から昭和の一九四五年八月の敗戦降伏に至った戦前・戦中の「大日本帝国」に回帰しようとしている、との印象を禁じえない。
 このまま、この方向に進むならば、日本は、再び、かつてのような国際的孤立に陥る公算が大きい。「レジーム・チェンジ」を求められているのが、果たして「戦後日本」なのであろうか? この問題を考えたい。

(1)
 安倍内閣は、憲法改正を政治日程に乗せているが、これは、慎重の上にも慎重を期するものでなければならない。一九四六年公布の日本国憲法は、サンフランシスコ平和条約とともに、戦後の日本が国際社会への復帰を許される前提条件であり、国際公約でもあったといってよい。この現行憲法は、国内で、民主主義を確立するとともに、国際的には、アジアで再び武力による覇権を追求して侵略戦争を始めないよう、周辺の近隣国の安全を保障する「レジーム」でもあった。また、憲法に盛られている不戦と主権在民の理念は、普遍的で、時代を超えた価値を示したものである。
 これらを充分に念頭におかず、わずか六十年で「新しい時代」にそぐわなくなったとして、憲法を含む「戦後レジームを、原点にさかのぼって、大胆に見直す」(安倍首相の一月二十六日国会における「所信表明演説」)という考え方は、戦後における米国の対日政策の基本的価値観を否定する、と解しうるものであり、米国としては、容易には受け入れがたいと見られている(四月二十二日付「朝日」所載、ジェラルド・カーチス。ならびに、五月十二日付「朝日」所載、上杉隆)。このような安倍政権の考え方は、米国にとどまらず、広く国際社会の懸念と警戒を招くおそれが大きい。

(2)
 さらに、米国の立場から見れば、そもそも日米の「安保体制」は、占領につづく米軍駐留により、日本を政治的にいわば管理してきた「ビンのフタ」であり、この基本的立場は変更されていない、と考えられる(それ故にこそ、特に一九九〇年代より、諸般の理由により、「安保体制」の強化が進められ、いまやほとんど抵抗なく「同盟関係」と呼ばれるに至っているにもかかわらず、今日まで、中国その他もさして憂慮していないのであろう)。
 しかるところ、日本側では、台湾海峡と北朝鮮問題などの「アジアの不安定要因」をことさらに強調し、対米協力を表看板に利用しつつ、軍事力を強化し、日本自身の政治的地位の向上を期する考え方が、台頭してきていることは否めない。安倍内閣は、最近、外交・防衛の「2プラス2協議」を、オーストラリアとの間にまで拡大した。
 このような軍事力強化と平行して、日本国内では、先の戦争は間違いではなかったとして、過去の歴史の教訓から謙虚に学ぶことを、非愛国的なりとして、排する考え方が強まってきている。

(3)
 このような日本の動きは、中国、韓国および東南アジア諸国のみならず、すでに米国においても、強い不信を招いていることは、前記の米側の反応のほか、「従軍慰安婦問題」でも明らかにされている。日本政府の公式謝罪を求める本件決議案は、米連邦議会下院外交委員会で賛成三十九、反対二の賛成多数で採択された。人的構成からみても右翼的性格が強く、近隣国と摩擦を生じている安倍政権と米国自身のアジア政策とをリンクさせてよいか否かにつき、米国では懸念が高まっているとの報道もある(四月三十日付「ニューヨーク・タイムズ」)。
 他方、米中両国間の各般にわたる戦略的協力は、両国経済の不可分の連携を背景として、今後とも具体的に発展する可能性が大きい。すでに、米国は、六者協議を含め、北東アジアの政治問題につき、中国を主たる相談相手としている観がある。現に、米中、南北朝鮮の四者協議が「朝鮮半島の平和体制」構築のため進められているとの報道もみられることに注目したい。
 日本は、今後、諸外国の不信を解くよう、よほどの努力をしない限り、アジア最大の不安定要因とみなされるおそれさえある。日中関係でも、温家宝首相の訪日で強調された「政治的信頼」の醸成も、いわんや「戦略的互恵」の具体化もおぼつかない。安倍首相が、日本の最大の貿易相手国が中国であるという現実を軽視して、いわば「政経分離」で、政治的には(外交上「自由と繁栄の弧」を掲げるなどして)中国に対抗しようとするのであれば、はなはだしい自己矛盾である。靖国神社問題以来、冷却したままの韓国との関係も、基本的に改善されないであろう。

(4)
 わが国としては、国際情勢の流動化を冷静に認識することが必要であり、自国の客観的位置づけを見誤ってはならない。特に、アジアでは、中国と韓国の国力増進が著しく、国際的地位を著しく高めており、日本の相対的比重は低下した(二〇〇五年十二月九日付「日経」所載、木村・神戸大学教授の論評参照)。 ASEANも、さらに、ITで躍進したインドも発展しており、世界の重心がアジアに移行してきた、と形容されているほどである。これは、日本としても喜ぶべき情勢である。
 しかし、わが国では、明治・大正から昭和・平成とつづいた、アジアでのかつての先進的地位による優越感が、遺憾ながら依然として根強い。それ故に、アジア地域の共存共栄に参加するという意識も未だ不充分である。すでに大正年代に、「大日本主義」を捨てるよう主張した石橋湛山の見識が想起される。
 米国は、イラク戦争での大失敗で、その政治的権威は、第二次大戦以来、最低と言ってよいほどにまで低落した。明年の選挙で、民主党大統領の政権となっても、その権威の回復は容易ではなかろう。ロシアは、急速に復興し、国際政治の重要なプレーヤーになっている。一九九〇年代から進んできた世界の「多極化」は、数年前予想されていたよりも、はるかに急速に進んでおり、国際情勢は、今後、一層流動化し、米国の影響によるのでなく、世界各地域それぞれの動向により左右されるであろう。もし、日本が、アジア地域で孤立すれば、世界でも孤立する。これは、過去の歴史の教訓でもある。

(5)
 今後のわが国は、客観情勢を冷静に分析把握しつつ、いささかでも諸外国の不信を招かないよう、戦後日本の民主主義と平和主義を堅持すべきであろう。日本の「戦後レジーム」を基本的に変更してはならない。その必要もない。対外的には、国際政治の複雑困難な諸問題に、敢えて発言権を持とうとすること(例えば、安保常任理事国の地位を得ようと努力すること)は、具体的国益につながらない。むしろ、わが国は、その特殊性を活用して、経済・社会面に専心し、環境・省エネ・社会福祉などの分野で、地味な貢献に徹することが賢明であろう。