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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2003年4月号

外国人学校の国立大学入学資格問題

政府の民族教育への差別は許されない

京都大学教授  水野直樹


 文部科学省が外国人学校の中で欧米系のインターナショナルスクール出身者のみに国立大学の受験資格を認める方針を打ち出した。朝鮮学校、韓国学校、中華学校などアジア系民族学校には認めないという公然たる民族差別である。この問題を取り組んでおられる水野直樹氏に経過や背景などについてお話を伺った(文責編集部)。

 今回の方針の背景にはアジアに対する差別、偏見があると思います。文部科学省(文科省)はこれまでも、アジア諸国の出身者、とくに日本が植民地支配をした朝鮮・台湾出身者が民族教育をすることに対して抑圧的で人権侵害的な政策を行ってきました。

 民族教育への差別抑圧

 朝鮮人学校に対する日本政府の扱いを振り返ってみましょう。戦前の日本による植民地支配の時期、日本政府は認めていませんでしたが、日本では朝鮮の人たちによる自主的な民族教育が行われていました。ところが一九三〇年代半ば頃から朝鮮人も日本人であるとして、朝鮮人の子どもを日本の学校に就学させ皇国臣民化の教育を進めました。これで民族教育機関はいったんなくなりました。
 日本の敗戦直後、在日の人たちは各地に国語(朝鮮語)講習所をつくり、民族教育を始めました。それが朝鮮人学校になり、一九四七年頃には全国に五百くらい学校がありました。ところが、一九四八年初め、自主的に運営される朝鮮人学校に対して、日本の教育制度に組み込んで規制を強化する、従わなければ閉鎖するという方針が出されました。この抑圧政策に対して、各地で反対運動が起こりました。有名なのが阪神教育闘争です。
 翌年四九年の世界的な冷戦の深まり、さらに朝鮮戦争という中で、GHQや日本政府は在日朝鮮人のもっとも有力な団体であった在日本朝鮮人連盟に対して、団体等規正令(後の破壊活動防止法)を適用して解散命令を出します。同時に朝鮮人連盟が運営していた学校にも閉鎖命令を出しました。朝鮮人学校のほぼ半数が閉鎖され、土地や建物が没収されるところもありました。それでも残った朝鮮人学校もありましたが、東京では朝鮮人学校は閉鎖して都立朝鮮人学校に、京都では朝鮮人の子供たちを学級ごと日本の学校に組み込みました。
 ところが、一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効したとたん、日本政府は「朝鮮人は日本国籍を喪失した」「朝鮮人の子供たちに対する教育義務はなくなった」と一方的に宣言しました。都立朝鮮人学校は閉鎖、各地に存在していた日本の学校の朝鮮人クラスも廃止しました。
 五〇年代に在日の人たちによって朝鮮学校が再建されました。「各種学校」として認可されるところも生まれていましたが、日韓条約が結ばれた後の六五年十二月、文部省次官は各都道府県に「朝鮮人学校を正規の学校(一条校)はもちろん、各種学校としても認めるべきではない」という通達を出しました。その上で、「外国人学校法案」を国会に上程して、外国人学校の認可権を都道府県から文部大臣に移し、教育内容などで規制を加えようとしました。文部大臣による改善命令や閉鎖権限を含むものでした。この法案は六〇年代後半に何度か上程されましたが反対運動で成立しませんでした。
 文部省の方針は「各種学校としても認めるべきではない」でしたが、現実には朝鮮学校は各都道府県によって「各種学校」として認可されました。以降、文部省は「各種学校」をたてにして公的助成や大学受験資格を否定し続けてきました。

高まる差別是正の声

 国立大学の受験資格が大きな問題になったのは九〇年代のことです。朝鮮学校などを卒業して日本の大学で勉強したいという人たちが増えてきたことがひとつの理由です。国立大学は一切認めませんでしたが、公立・私立大学では受験を認める大学が増え、現在では半数以上の公私立大学が認めています。
 朝鮮学校を出て国立大学を受験するには二つのハードルがありました。「各種学校」では大検も受けられない。そこで、朝鮮学校の高級部に通いながら大検資格を得るために日本の定時制高校に在籍する。日本の定時制高校と大検というハードルを乗りこえて合格した朝鮮学校出身の京都大学の学生たちが、同じ苦労を後輩たちにさせたくないと活動を始めたのが九〇年代の初めです。そういう提起を受けて、日本の市民、大学教員も活動を始めました。日本弁護士連合会が九八年二月に「重大な人権侵害」として首相や文部大臣に勧告書を提出しました。また、国連子どもの権利委員会、人種差別撤廃委員会なども差別是正を要請してきました。
 一方、インターナショナルスクールについても九〇年代から問題になっていました。経済の国際化が進み、欧米企業から日本に派遣される人たちが増えました。欧米系の外国人学校を卒業しても国立大学には受験できないため、ドイツ大使が日本政府に抗議した結果、九八年頃にドイツ人学校卒業者には受験資格が認められるということがありました。同様にアメリカの財界や日本の経済界からも要望が出ていました。昨年三月の閣議決定を受けて、二〇〇三年三月末までに文科省が一定の措置をとることになりました。こうして検討された方針が、インターナショナルスクールのみに認めるというものだったわけです。


 日本社会が問われている

 今回の文科省の方針を二月下旬に知りました。この問題は国立大学の教職員である自分たちが解決すべき問題だという認識で、三月二日に「民族学校出身者の受験資格を求める国立大学教職員の声明」を発表しました。三月二十五日現在で千四百人をこえる賛同を得ています。
 いま大学を取りまく状況は大きく変わりつつあります。一年後には国立大学が法人化します。法人化して自主的にやれというのが文科省の方針なのに、誰に受験資格があるかの決定に縛りをかけることに反対する意見も強くあります。また、文科省は大学の国際化を促進すると言いながら、今回のような方針は矛盾だという声も強くあります。
 賛同した方々の意見には、「明治以来のアジア蔑視の思想が変わっていない」「植民地支配をしたアジア系の民族学校への明らかな差別であり許せない」等々の意見が多く寄せられています。さらに、最近の北朝鮮情勢に対する政治判断もあると思います。昨年夏頃まで文科省は、アジア系の外国人学校も含めて受験資格を認める方針であったと伝えられています。ところが、昨年九月の小泉訪朝以降、拉致問題が表面化してから変化したと見られます。アジア系、とくに朝鮮学校については処遇を改善すべきでないという意見が強くなったと伝えられています。
 文科省の方針は、国際化やアジアとの共生に逆行するものです。日本国内だけでなく、韓国や台湾などでも日本政府に抗議する動きが出ています。反対の声が強かったため、三月二八日になって文科省は各大学が入試要項を決める夏まで最終結論を先送りすることを発表しました。
 引き続き、アジア系の外国人学校やブラジル人学校も含めて、日本の高校と大きく変わらない教育をしている学校については、国立大学受験資格を認めるよう求めていきたいと思いますし、各大学で自主的に認めるような声を上げていくことが必要だと思います。
 日本がアジア蔑視の思想を改めてアジアの人たちと共生していけるのかどうか、日本人と日本社会が問われている非常に重要な問題だと思っています。   (文責編集部)

【外国人学校】日本国内の外国人学校は約百二十校。インターナショナル系が二十校、朝鮮学校が九十校、韓国や中華学校が十校。うち大学受験に関係する高校レベルの学校数は文科省の発表で四十校(欧米系が二十三校、朝鮮学校などアジア系が十七校)。これ以外にブラジル人学校等あるが文科省は実態を掴んでいない。

【学校】学校教育法で、「一条校」「専修学校」「各種学校」に分けられている。認可は都道府県が行う。