中国共産党第20回全国代表大会 ■ これからの日本と中国

中国の改革開放は終わるのか?

東京大学教授 丸川 知雄

習近平の全面勝利に
終わった党大会

 2022年10月に開催された中国共産党の第20回大会およびその直後の中央委員会総会は習近平の全面的勝利となった。共産党のトップ7人である中央政治局常務委員のうち5人は「習近平派」とされる人々で固められ、「共青団派」に属するとされる李克強と汪洋は続投も可能な年齢だったのに、自発的に退任させられた。また、「共青団派」のホープだった胡春華は政治局委員からヒラの中央委員に降格となった。


 また、党大会の習近平の演説原稿のなかでは前任の胡錦濤時代のことを厳しく批判していた。胡時代は党の専制支配に対する信念が不十分であったため、中央の指導力が弱く、腐敗の蔓延を招いたというのだ。テレビで報じられたように大会では胡錦濤が退席させられるという一幕があった。習近平演説のなかで胡批判に関わる部分は読み上げられなかったので、それが原因で退席劇が起きたとは考えにくいが、胡錦濤らの「共青団派」が大会とその後の人事で冷遇されたことは明らかである。
 習近平派の全面勝利によって中国の政治や経済はこれからどのような方向に進むのであろうか。
 日本のマスコミの論調では、今後習近平体制のもとで、中国の外交はますます強硬なものとなり、台湾に対する武力行使もありうるとの見方がもっぱらである。ただ、外交は相手があるものなので、中国の強硬化は必ずしも内発的なものではない。
 アメリカや日本が中国への警戒心を高めて軍備を増強し、台湾問題を巡って中国が嫌がる行動をとれば中国は強硬化するだろう。米中関係と日中関係は、外交関係の険悪化が双方の軍備増強をもたらし、ますます険悪化するという悪循環にはまりつつある。日本の自公政権は中国の強硬化を奇貨として専守防衛の原則をかなぐり捨て、軍備増強に走ろうとしている。この軍備増強と関係悪化の悪循環を何としても食い止めなくてはならない。
 一方、中国の内政について、今回の党大会によって「中国の改革開放政策は終わった」と断言する人もいる。なかには、党大会での習近平演説のなかに改革開放への言及がなかったと主張する人さえいる。実際には習近平演説のなかで「改革」も「開放」も何度も登場するので、言及がないというのは事実誤認である。一方、「改革開放政策は終わった」、つまり、スローガンとしては存在しても実質的には進展しなくなる可能性は私も習近平演説を読みながら感じたところである。「改革」とは、現在の制度を変えたり、今国有である企業を民営化したりするということであるし、「開放」は現存する輸入制限を撤廃したり、外国資本に新たな分野を開放したりすることである。単に改革開放を続けますというのではなく、何を改革するのか、何を開放するのかが明示されなければ進展は見込めない。習近平の演説には今後の改革開放の具体的内容に関する言及がなかったのである。

習近平の治世10年における改革の進展

 では独裁色を強めた習近平指導部は中国をこれからどのような方向へ導くのであろうか。習近平は12年秋の党大会後に総書記に選出されたが、彼の1期目の12~17年はかなり改革開放に前向きな一面があった。とりわけ、13年11月の中国共産党中央委員会での「改革の全面的深化に関する決議」は改革推進への期待を高めるものであった。この決議では国有企業改革の方策として「混合所有制」を導入する方針を明らかにした。これは国有企業に民間資本も取り込むことを意味している。中央政府直属の国有投資会社である中信公司の株の10%ずつを日本の伊藤忠商事とタイのCPグループに譲渡したのがその典型例である。
 また、国有企業の一部を「国有資本運営会社」に改組していくという方針も示された。国有企業が国家の安全と国民経済の命脈に関わる重要産業を担っていくという方針は従来通りであるが、ただ、決議のなかではこれら重要産業に国有企業が「より多く投資する」という表現が使われている。つまり、今後は国有電力会社とか国有鉄道会社という形で重要産業を支配しなくてもいいのだ、国有企業は国から預かった資金を運用する投資ファンドに改組し、そのファンドが民間の電力会社や鉄道会社などインフラを担う民間会社に投資して支援すればいいのだ、と言っているようにも読める。このように13年の決議は経済全体の大幅な民営化への道を開く可能性をもっていた。
 ただ、他方で決議のなかには、国有企業を強化し、その民営化を許さないような表現もあった。すなわち、「二つの『ブレることなく』(両個毫不動揺)」とも呼ばれる次の表現である。「ブレることなく公有制経済を強固にし、発展させ、公有制を主体とする方針を堅持し、国有経済の主導的役割を発揮させ、国有経済の活力、支配力、影響力を不断に強める。ブレることなく非公有制経済の発展を奨励、支援、誘導し、非公有経済の活力と創造力を刺激する」
 まさに両論併記であるが、その後の政策の展開もまさに国有企業の強化と民間企業の発展とを同時に追求した。前者に関しては、南北の鉄道車両メーカーを統合して中国中車という独占企業をつくったり、民間鉄鋼メーカーの台頭によって競争力を失っている大手国有鉄鋼メーカーを6社も次々と合併して宝武集団をつくったり、発電大手の国電集団と石炭大手の神華集団を合併して国家能源投資集団をつくるといった動きがあった。民間企業や外国企業の大型合併や独占的行為に対しては独占禁止法が厳しく運用されているのに、国有企業同士の結合による独占企業の形成に対しては全く制約がないようである。
 他方で民間企業もこの10年間に飛躍的に発展した。ネット小売業から出発したアリババはスマートフォン(スマホ)を用いた決済サービスを展開して中国のキャッシュレス化を推進した。パソコン上のSNSから出発したテンセントは、スマホのSNSでも圧倒的シェアを占め、それをプラットフォームとして決済サービス、ゲーム、シェアリングなどさまざまな事業を展開している。国民のほとんどがスマホを保有する時代にあっては、アリババとテンセントは重要なインフラを握る存在となった。
 民間企業の動きとしてもう一つ重要なことは、14年に李克強総理が「大衆創業、万衆創新」のスローガンを打ち出して以来、各地の地方政府による創業支援の動きが活発化したことである。創業を目指す人々にオフィススペースを提供し、金融や創業の支援も行う「衆創空間」と呼ばれる施設が各地につくられた。各地にユニークなベンチャー企業が次々と現れ、中国はアメリカに次いでユニコーン(未上場だが企業価値が10億ドルを上回る企業)が多い国になった。

国有企業重視・民間企業統制への転換

 ただ、19年あたりから風向きが変わってきた。アメリカによる中国からの広範な輸入に対する関税の上乗せやファーウェイなどのハイテク企業に対する技術封鎖といった攻撃が激しく展開されるなかで、中国の指導部がアメリカの圧力に対抗するには国有企業の力が必要だという見方に傾いてきたのである。19年10月に開催された中国共産党の中央委員会総会での決議では「国有企業の競争力、イノベーション力、支配力、影響力、リスク対応力を高め、国有資本を大きく強くする」としている。国有企業の支配力や影響力を高めるという方針は従来通りであるが、さらにイノベーション力とリスク対応力も求められることになった。指導部の中で国有企業を使って重要な技術を国産化すべきだという意見が強まったことを暗示している。
 翌20年秋からは、これまで放任されていた民間企業の活動に対して規制を強化する動きが目立ってきた。まず、20年11月に、香港と上海での株式上場を目前にしていたアリババの金融子会社、アント・フィナンシャルの上場が無期限に延期される事件が起きた。さらに21年4月にはアリババがネットショップへの出店に関して独占的地位を乱用したとして3000億円もの罰金を科された。7月にはネット配車大手の滴滴出行がニューヨーク株式市場に株を上場したとたんに国家安全上の懸念があるとして、配車アプリの配布を禁じられた。結局、滴滴には1600億円の罰金が科され、ニューヨークでの上場も取り消しとなった。8月には、義務教育段階の子供たちの学習負担と教育費の負担を軽減するのだとして、民間企業による学習塾の運営が禁止された。
 これらの規制にはそれぞれ別々の理由があるが、有力な民間企業に対してこうも立て続けに規制が導入されたのは、やはり国全体として民間企業への統制を強めていこうという意志が働いているのではないかとの疑いが生じた。
 実際、そうした疑いを裏付けるように、21年12月の中央経済工作会議(毎年12月に開かれる、指導部が翌年の経済政策について話し合う会議)の決定の中に次のような一文があった。「資本には積極的な作用は果たさせなければならないが、同時にその消極的作用を有効にコントロールすべきである。資本に対して有効な監督をし、資本の野蛮な成長を防止しなければならない」。ここでいう「資本」とは民間企業を指しており、それらが社会の中で大きな力を持っている現状を「野蛮な成長」だと批判しているのである。
 こうして習近平の10年の治世の間に、国有企業と民間企業をどちらも発展させるとしていた方針が、最後は、国有企業を強くし、民間企業を統制する方針に変化した。今回の常務委員の人事の変化と併せて考えると、習近平派は国有企業重視、民間企業への統制強化の立場に立っていると推測できる。22年10月の党大会での習近平演説もそうした見方を裏付けるものであった。13年以降の改革を象徴する「大衆創業、万衆創新」や「国有資本運営会社」といった言葉には一切言及がなく、「混合所有制」についても党建設という文脈で1回出てくるのみである。習演説のなかで特に強調されていたのは「安全」である。国民の安全、経済の安全、食糧・エネルギーの安全、食品や薬品の安全だけでなく、「科学技術、文化、社会の安全」や「イデオロギーの安全」を高めるとも言っている。ということは、今後党中央の意向に沿わない文化や社会的行為や思想が、国家の安全を脅かすという名目のもとで取り締まられる可能性がある。

中道への回帰

 ところが、22年12月になって風向きが大きく変わった。第一に、20年初め以来中国の市民に大きな不自由を強いてきた「ゼロコロナ政策」が大転換された。これまでコロナ感染が広がったら大変なことになるとして市民の移動の自由が大きく制約されたのが、一転してコロナは感染しても症状は軽いとして移動の自由が認められたのである。
 第二に、22年12月に開催された中央経済工作会議において、1年前とは大きく異なる内容の決議が行われた。そのなかで、「われわれが二つの『ブレることなく』をやめるのではないかと一部で言われているが、それは違う」として、制度と法律の両面において国有企業と民間企業の平等な待遇を実現するのだ、と強調している。また、政策と世論の両面で民間企業の発展を促進する、プラットフォーム企業が発展をリードし、就業を生み出し、国際競争のなかで力を発揮するよう支援するのだとも言っている。
 資本(民間企業)に対して監督を強化していくのだ、と言っていた1年前の中央経済工作会議とは様変わりである。ここでいうプラットフォーム企業とはアリババやテンセントのような企業を指しているが、前年は、「資本の野蛮な成長」を防止するのだと言っていたのに対して、今回はプラットフォーム企業の役割を高く評価しており、ゼロコロナ政策の転換と同じぐらいの豹変ぶりである。さらに、党大会の習近平演説では言及されていなかった「大衆創業、万衆創新」にも言及し、それをさらに発展させるとしている。
 19年以降、国有企業重視・民間企業統制に傾斜していた習近平が、18年までの両論併記の習近平に戻った感がある。特に「大衆創業、万衆創新」は李克強総理がたびたび演説で取り上げていたことから「李克強印」の政策だと思われてきたが、李克強が常務委員から退いたこのタイミングで再び強調されたのはなぜだろうか。
 一つの理由として、22年の経済実績がかなり悪く、経済政策における手詰まり感が出てきたことが挙げられる。22年1~9月は、春先に上海市を2カ月間ロックダウンしたことなどが響いて、GDP成長率が前年同期比3%増にとどまり、22年全体でも3%程度と予測されている。5%以上とみられる中国の潜在成長率を大幅に下回っており、特に不動産市場の崩壊は経済全体をさらに突き落としかねないので、経済を早く正常な成長軌道に戻す必要がある。だが、財政投資の拡大による刺激を行うのは、地方政府が大きな債務を抱えている現状では難しい。そこでここ数年抑えられてきた民間企業の活力を解放しようということになったのである。
 もう一つの理由として中国共産党の「政治の季節」が習近平派の勝利で終わったことが挙げられる。19年以降、習近平は共青団派を追い落とすために、対外的には強硬外交、国内の民間企業に関しては圧迫という極端な路線を意図的に採ったように思われる。党内の異分子をふるい落とすために極端な路線を採るという手法は毛沢東がたびたび用いたものであり、習近平もその手法を踏襲したのである。党大会で政治闘争に完全勝利したため、極端な路線を修正することが可能になり、「李克強印」の政策を復活させる余裕さえ見せているのではないだろうか。
 中央経済工作会議の決議ではTPP11とデジタル経済パートナーシップ協定への加入も推進していくとも述べている。中国がこれらに加入するには、国有企業のさらなる改革やデジタル分野での市場開放が不可避である。つまり、加入に前向きであるということは改革開放の推進にも前向きであることを意味している。ただ、残念ながら日本ではこうした中国の変化のサインに注目する人はほとんどいない。