日本の国のかたち/防衛・安全保障の在り方

米軍・「核の傘」に依存しない安全保障・防衛の対抗軸をめざす

NPO国際地政学研究所 理事 林 吉永

1 ニコラス・スパイクマンの筋書き

 英国国会議員であり、オックスフォード大の初代地理学院長を務めたハルフォード・マッキンダー(1861~1947)は、英国の海洋覇権を脅かす「ユーラシア大陸のピボットに位置する『ハートランド』のパワー・ポリティックスが、『クレッセント(ユーラシア大陸外縁三日月地帯)』に進出する脅威」に警鐘を鳴らした(『民主主義の理想と現実』1918年)。
 米国の地政学者スパイクマン(1893~1943)は、マッキンダーの示唆を発展させ、「America’s Strategy in World Politics: the United States and the Balance of Power」(1940年)において米国の「西進戦略」推進に必要な原則を謳った。
 米国の西進戦略が本格的に始動したのは、1949年の「NATO加盟」からである。この年は、米議会上院議員アーサー・ヴァンデンバーグ外交委員長が2年間かけ、「米国民が自らの血を流してNATO諸国防衛に加わる覚悟」、すなわち「孤立主義と決別」し、「集団的自衛権行使を容認」するコンセンサス、「ヴァンデンバーグ決議」を形成した年であった。

 スパイクマンは、ユーラシア大陸にアクセスする地域のリムランド(マッキンダーの「クレッセント」を言い換えた)諸国を対象に、米国主導の集団安全保障体制に組み込む「同盟国の要件」を次のようにまとめている。

  1. 組織に参加する諸国家はそれぞれが侵略から身を守る十分な軍事力を保有している
  2. 他国の安全が脅威を受ければ責任を持って参戦する義務(約束)を果たす意思がある
  3. 他国が自分たちを守ってくれるという紙上の約束に頼る「他人任せ」の国ではない
  4. 大国が小国の保護まで約束するのは大国独自の国益の計算と勝算に基づく
  5. 最終的には自己防衛できる強さを確保できている

 米国は、対日戦争に勝利して「西進戦略」最大の障害であった日本を、「米国にとって都合のいい」リムランド・コントロールの前進基地とした。スパイクマンの地政戦略は、次のように具現されている。

  1. リムランド主要国と同盟する(二国間同盟)
  2. 米国の大陸進入ルート妨害国の出現を抑止する(封じ込め)
  3. リムランド主要国間の対米同盟出現と支配を抑止する(中・露牽制)
  4. 太平洋の「機動する脅威の出現」を認めた上で、優位な軍事体制を整備する
  5. 地勢上の距離/障害と無関係に軍事力を機動投入できる態勢を維持する(急速機動展開)
  6. シーパワーとランドパワーの摩擦・衝突を米国が制圧、包囲し均衡を形成する
  7. 米国の国益にとってリムランド独自の統一を阻止できる国家との協力体制を構築する
  8. 危険な孤立主義(モンロー主義)と決別する

 米国は、1823年の「モンロー宣言(孤立主義)」から、1949年、「集団的自衛権行使」の体制に転換以降、スパイクマン理論を実践してきた。日本は、そうした米国の同盟国の一つであった。
 マッキンダーの警告を、スパイクマンは、米国のための地政学に置換した。日本は、この米国とどのように付き合っていけばよいのか。ここに、日米関係に関わる柳澤協二氏の寄稿「失われた専守防衛の時代精神と同盟の抑止力」(本誌8月号)にコメントを試みる。

2「同盟」に代わる「有志連合」

―米国にとって都合のいい日本―

 国際地政学研究所柳澤協二理事長は、冷戦終焉が新たな集団安全保障のコンセプトを生み出したと言う。米国のそれは、中国を意識する大国の「自分の勢力圏を囲い込む」、「自国の利益をどのように最大化するか」という考えである。スパイクマンの言う「同盟」は、新たな性格に変わりつつある。今や、「同盟そのものは、自己目的ではなく、ある目的達成のための同盟・友好国との『有志連合』の発想である」と言うのだ。
 柳澤(以下敬称略)は、さらに「任務が同盟を決めるのであって、同盟が任務を決めるのではない」とし、米国の場合、「パックス・アメリカーナを、同盟・友好国などの協力を引き出して維持しようとするスタイル」に変わった、「パトロン(米国)がクライアント(同盟国)に何でもしてやる」ではなく、「有志連合」だから、米国の「志」と合わなければ「甘えてくるな!」というわけだ。だから「日米安保廃棄」発言も出る。これは、これまでの「伝統的」同盟の構造変化でもあると柳澤は指摘する。
 これにより、日米同盟の新たな文脈は、日本の立ち位置が、「米国にとって、米国に歯向かわない、米国を邪魔しない無害国家であり、米軍の前進拠点を提供する都合のいい国」に加えて、「米国のために血を流して貢献する都合のいい日本」への変身が求められている。
 だからといって「一緒に戦う」というのは早計である。柳澤は、「抑止理論」において、「新たな米国流同盟コンセプトに向けて『日本の防衛・安全保障政策構造改革に進む』のはいかがなものか」と問う。日本が、「日米共同して戦うという同盟モデルは抑止力である」とするのは、「専守防衛との乖離」である。「抑止力は、相手に報復の脅威を与えるから成り立つ」のであって、これと日本が一体化すれば、相手には、米国だけではなく、日本に対しても、脅威のみならず挑発と映る。
 「抑止」の概念は、「相手に侵略を思いとどまらせる脅威を与える」ことだから、軍事的合理性からも、「専守防衛と抑止は、相反し両立しない」と柳澤は言う。ここで重要なファクターは「専守防衛」である。「本来の専守防衛は、相手に脅威を与えない」ところに真の意味があったのだから、今、「専守防衛は崩れている」と柳澤は指摘している。
 「日本の防衛・安全保障政策」は、2014年7月に閣議決定された「集団的自衛権行使の容認」によって「専守防衛」のレジームから転じた。
 「専守防衛」の自衛権行使は、「①わが国に対する急迫不正の侵害があること、②これを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の三要件を満たすときに発動されるとしていた。
 そして、「集団的自衛権行使の容認」では、先の三要件の①に、「わが国に対する武力攻撃が発生したこと、又はわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」と、傍線部分が新要件として加わった。
 この変化は、これまでの対米優等生から、さらに、「米国にとって、より都合のいい日本」であることを「宣言」したことになる。さらに日本の防衛・安全保障政策転換は、日米同盟の片務性に不満を抱いてきた米国民に対し、日本が、スパイクマンの「同盟国の要件」イコール「ヴァンデンバーグ決議」にかなう「本来の同盟国」となったことを印象付けた。
 しかし、これは、スパイクマンの言う「米国にとって都合のいい」コンセプトであって、「日本にとって都合のいい『米国が日本を助けてくれる』保証」は見えない。

3 専守防衛―日本にとって都合のいい日米同盟

 「専守防衛」は、「守勢の個別的自衛権行使」である。「自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利であり、自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利である」とされている。
 1956年2月29日、衆議院内閣委員会で当時の船田中防衛庁長官が鳩山一郎首相(当時)に代わり、これを明確な「わが国の防衛・安全保障政策」上の意思として確認した。
 「わが国に対し急迫不正の侵害が行われ、侵害の手段として誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが、憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられない。攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは自衛の範囲内に含まれ、可能であるというべき」
 しかし、この「軍事的合理性から先制攻撃を許容し、策源地攻撃を是とする」思考は、専守防衛を超える。柳澤の言からは、「先制攻撃を否定しない作戦企図」は、明らかに専守防衛と異なる軍事大国の戦略的発想になる。米国との共同戦闘が「抑止戦略」の柱となる考えは、「抑止は、力による脅威の抑制である」から、「抑止も戦争同様、力による意思の強制」であって「専守防衛」と乖離する。
 中国が日米共同に対抗して「軍備の増強」を図る。そして日本も、ますます日米共同の循環に陥り、米国と共に戦う環境の一体化が進む。こうして「トゥキディデスの罠」にはまった日本は、「安全保障のディレンマ―軍拡のスパイラル―」に陥っていく。だから、「米国流とは別に、日本流の守り方を考えなければならない」とする柳澤の論旨は納得できる。
 柳澤の示唆を筆者なりに考えたい。その一つは、日本の防衛・安全保障の在り方として「新たな専守防衛」の提案であり、次が「日本にとって都合のいい米国との付き合い方」を「スパイクマン理論の日本版」として考えることである。
 柳澤は、単に批判を進めるのではなく、多数の評論が見失っている最も基本的な、「どのような日本であったらいいのか、国のかたち」を問い、「防衛・安全保障の在り方」に具体的な言及を行っている。柳澤は、米国の戦争に「巻き込まれる」あるいは「米国に見捨てられる」蓋然性をゼロとしないが故に、「日本の大国化」を錯覚とし、「弱者の防衛・安全保障」という文脈において「身の守り方」を考えている。
 柳澤は、「そもそも専守防衛は、弱者の戦略であって、相手を打倒するとか、殲滅するとかを目標にする勝利を求めない。徹底した抵抗によって相手が疲弊するのを待つ。したがって、専守防衛は、相手が妥協する程度の戦争目的でなければ成り立たない」と言う。しかし、筆者は、この「相手が妥協する程度の戦争目的」について、さらに説明を要すると考える。
 東西世界対峙は、大国間の「絶対戦争」が「地球規模の破滅」を意味することから、冷戦の様相を呈した。今日の戦争においても、大国間の、「相手を殲滅する」までの戦争は蓋然性が低い。しかし、弱者に対しては違う。軍事大国米国が行った弱者相手の戦争は、弱者を徹底して踏みにじる流儀であった。しかし、ベトナムでは、相手の徹底した非対称戦闘によって、勝利を収めたとは言い難い結果を招いた。それは、弱者の抵抗が極めて執拗に、米国の戦意を上回ったからである。すなわち、弱者の抵抗する意思と覚悟が強固であったことに、大国を引き下がらせる「弱者の専守防衛」の成功要因がある。
 「専守防衛」、「日米共同抑止」いずれも、その成否は、ハードパワーにも増して、日本が有事にどれほど戦う意思を見せるか、覚悟があるのかのソフトパワーを加えた総合力に左右される。
 他方で、抑止の場合は、「戦争になったら勝てる」ことが前提だから、日本には、米国の後ろ盾が必至である。日本にとって都合のいい日米一体化は、米軍の応援が日本の要求を吞んでくれることだ。
 柳澤は、関連して、「尖閣」と「台湾」のケーススタディーを紹介しているが、米国が無人島の争奪戦に、米軍人の血を流してまで乗り出すとも考えられないし、「台湾」事案に対する日米共同は、中国を刺激し、対日敵視は避けられないから、日米共同によって「巻き込まれ」は確実である。戦闘の拡大は、日本列島から台湾にかけて中国の強力な戦争推進現象を喚起する。それは、日米共同という抑止が最悪事態を招く危惧を生む。
 柳澤の「日本の選択」は、「同盟の深化、有志連合という体制下の専守防衛」となる。柳澤の論考を筆者流に換言すれば、日本が「専守防衛」を軸として、「中立」に近い「日米同盟(有志連合)」を継続し、かつ、米中衝突を回避する「バッファーの役割」を演ずるという筋立てである。それは、新たな「中立のかたち」となるだろう。
 その参考として、1999年、「NATO50年の功罪」と冠し、ベルギー主催の国際軍事史学会における「中立国の防衛・安全保障政策」発表時の、オーストリア報告を紹介したい。
 オーストリアは、東西陣営と直接に国境を接して位置し、地政学上、極めて厳しい立場で中立を貫いた。脅威は東側勢力の侵攻だった。また、オーストリアは、平時、NATO軍の駐留など、西側に対して軍事的便宜供与は行っていない。
 オーストリアは、侵略に対して、「専守防衛・徹底抗戦」を国是とし、国民の覚悟、コンセンサスを形成、オーストリアの「専守防衛戦」を、西側が黙って見過ごさない環境を醸成していた。オーストリアが東側に組み込まれたら、西側の国益・安全保障・秩序維持にどれほどのマイナスが生じるか。オーストリアは、NATOに対して「助てくれ」ではなく、「オーストリアの危機に西側が無関心で済ませない国家関係」を構築する努力を怠らなかった。
 オーストリアとNATOおよび西側諸国との「集団的自衛権行使の協定」はない。しかし、東側の武力侵攻時、西側が進んで「オーストリア防衛」に駆けつけてくる確信が育っていた。
 このオーストリアの「専守防衛・徹底抗戦」は、「助っ人が絶対来る」という確信を育てることと並行して、「攻めてこさせない」環境を構築した成功例であろう。どのような脅威と対峙しても、日本を攻める相手に甚大な出血を強いる体制を「日本全国民の覚悟」において構築していれば、「専守防衛」で「防衛・安全保障」に万全を期せると考える。

むすび

 本誌の同じ号の英正道氏の論考については、ご自身が「日本人は観念主義的な平和主義から、合理的な平和主義に変わらなければいけない」とご指摘されていることに共感を覚える。英氏が、この「合理的平和主義」に具体的な示唆を放たれたとき、改めて学びたいと考えている。
 柳澤氏は、私が所属するNPO国際地政学研究所理事長であり、日ごろ慧眼に接しているところであるが、月刊「日本の進路」323号における論考に接し、一層の議論の深化を進めるきっかけをいただいたことに感謝し、所見としたい。

はやし よしなが 1942年神奈川県生まれ。航空自衛隊・空将補、第7航空団司令、航空自衛隊幹部候補生学校長。除隊後、防衛省防衛研究所戦史部長。

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