自立した日本外交・安全保障へ向けて(上)

英 正道(はなぶさ・まさみち)

 1933年東京生まれ。58年に外務省入省、経済協力局長、外務報道官、ニューヨーク総領事、駐イタリア大使を務めた。

本論は、英正道氏が最近グッドタイム出版から刊行した『回想の外交官生活』のエピローグ「自立した日本外交・安全保障に向けて」のほぼ全文である。編集部は、本論の執筆時(昨年末)からさらに国際情勢の緊迫度が急速に進んだので加筆修正を筆者に要請したが、秋まで余裕がないとのことであった。そこで元のままの論文を筆者了解のもとに掲載する。日本の安全保障政策をめぐる議論に重要な一石を投じていると確信する。編集部

 国際社会の激変はまだまだ終わることなく続いている。残念ながら日本の国力も相対的に低下している。しかし変化し続ける一つの社会として、すでに日本が世界の中で最も素晴らしい国の一つになっていることも事実である。日本が国際場裏でどのような地位を占め、どのような役割を果たせるかという問題については、これからの日本人が取り組む必要がある。私は楽観主義的な性格もあり、舵取りを間違わねば日本は大丈夫と思っている。
 2017年1月、アメリカにトランプ大統領が誕生した日に合わせて、私は『トランプ登場で激変する世界―自立した日本外交と安全保障戦略』を上梓した。私はこの著書の「はしがき」で「筆者は、外交は基本的に妥協の技術であり、相手を倒したり、寄り切ることでは問題は解決しない。基本的な国益が守れるなら適当に妥協しなければ〈良い循環〉は開けない。日米関係は最重要であるが、米国の利益第一主義を前に、日本にはずるずると米国依存をいっそう進める以外の選択肢はないのか、既成概念に囚われず、自由な眼で観察して意見を出すべきである」という趣旨を述べた(【編集部注】本誌2017年7月号にインタビューで要旨掲載。その中で氏は、日米同盟論のA案に対して、自立した日本のB案の重要性、野党はそれなしに対抗できないことを展開した)。

1 永遠の日米同盟論には盲点がある

 明治開国後日本は英国との同盟で興り、ドイツとの同盟で滅びた。敗戦後から21世紀の今日まで、旧敵国であった米国との同盟が日本外交の基軸とされている。いくつかの国が核兵器を開発した結果、非核国は強力な核大国の庇護なしには、自国の安全は守れないと考えられている。ほとんどの日本人はあきらめに似た気持ちで、日米同盟堅持政策を支持している。私はこの考えには、少なくとも3つの盲点があると思う。
 第1は、資本と技術のグローバルな展開から、国家レベルで考えた場合、中国その他多くの新興国が急速に経済力を拡大していて、21世紀の進行とともに米国の卓越した優越性はいつか失われることは明らかである。特に巨大な人口を持つ中国やインドが経済力をつける結果生じる購買力は、これら諸国が市場を開放する政策をとれば、軍事力や金融力と並ぶパワーの源泉となる。他方軍事的な卓越性を保ち、要塞化した米国にとり、他国を守る理由が乏しくなることもあり得る。国際関係には「永遠の敵も、永遠の味方もない」という鉄則を忘れてはならない。
 第2は、核戦略は理論家や将軍、さらには産軍複合体が練り上げているが、現実政治においては実際に核兵器を使用する敷居は、核の恐怖の増大とともに高くなってきている。核超大国米国のオバマ前大統領が「核なき世界」を唱えたのは、夢想家の晩年の気の迷いと取るべきでなく、この考えには現実的な議論を行わなければならない十分の理由があると考えるべきである。日本への軍事攻撃を抑止する上で必要とされる「核の傘」の意味合いも、サイバー戦争、宇宙戦争等の未来の戦争の手段の変化の中で変化することも計算に入れねばならない。 
 第3は最も重要なことであるが、同盟の反対が即対立と考えるべきでないことである。世界には同盟政策によらずして調和的な対外関係を維持しているスウェーデン、インド等の国がある。地政学的に日本が絶対に、同盟政策でなくては国家の安全が保障されないのかどうか、真剣な検討をする価値があると思う。 
 これらの盲点を念頭に置いた場合、私は、日本は米国との友好関係は維持しつつも、暫時自前の限られた抑止力を強化することにより、日米安保は名存実亡化させ、究極的には非同盟の立場を取ることが適当と考えるに至っている。以下にその理由を述べるが、私は長いスパンで考えると、米中関係の推移いかんでは、日本を含む北東アジア地域を非核の緩衝地域とすることには、米中両国とも異論なく、むしろ歓迎することも十分あり得ると考えている。

2 ポスト・トランプ世界

 トランプ大統領が登場して2年が経過した。その間の世界の変化には驚くべきものがある。2018年6月、トランプ・キムの米国・朝鮮両国のトップがシンガポールで会談し、朝鮮半島の非核化について合意した。ニクソン大統領時代からオバマ大統領時代まで半世紀近く続いた中国との相互依存の協力関係から、米国は中国を競争者と見なす対立の時代に入った。米国は世界政策の中で中東の比重を減らし、イスラエルとの関係重視をその中東政策の根本に据え、エルサレムに大使館を移した。経済面ではTPPに参加せず、戦後の多角的な自由な通商貿易政策を放棄した。地球温暖化防止のためのパリ協定からも離脱した。米国内政において、ヒト、モノ、カネが自由に国境を越えるという意味でのグローバリズムは「米国第一」政策に取って代わられた。中間選挙で共和党は下院で民主党に敗れて、「ねじれ議会」となったので、トランプ大統領がどこまで強引な国内政策をとれるか分からなくなったから、さらに外交に比重がかかっていくことが予想される。 
 従来の発想からは支離滅裂に見えるトランプ外交であるが、私は、トランプ政策は日本がこれからの世界を生き抜く上で参考とすべき「新思考」を示していると思う。既成概念に拘泥しないで、自国の利益を求めて過去の経緯やしがらみを思い切って打ち破るというトランプ氏の発想には目を覚まされた。今後もトランプ流は続くであろう。彼がいつまで米国大統領であるかは分からない。彼の政策がどこに着地できるかも定かでない。しかしトランプ大統領が開いた「パンドラの箱」は、閉めれば元に収まるものではないことは明らかである。
 合理主義者として世界が安心感を持っていたマティス国防長官の反対すら押し切ってトランプ大統領が進めたシリア派遣の米軍の削減に象徴されるように、トランプ外交の基本には、巻き込まれることを避けたいとする孤立主義が色濃く、同盟国の自立化への期待が感じられる。他方米国内には、米ソ冷戦に匹敵する、中国の脅威意識の浸透が顕著である。米国の対外政策で中国との覇権争いが最大の関心事になると予想される。
 
 米国がグローバリズムを放棄し、習近平総書記が「中国の特色ある社会主義」を標榜する世界では、かつての資本主義対共産主義というイデオロギーに基づく対立は意味を持たないであろう。同盟政策が続くとすれば、利益を共有する国同士の相互主義に基づくものになるであろう。第2次大戦後の米国主導の経済・貿易体制は米国自身が意味を見いださなくなっているので、ポスト・トランプの米国指導者がその再建を図るかどうかは疑わしい。金融面でのドルの支配力は続くと考えられ、いかに中国が強大な経済大国となろうが、ドルが人民元に取って代わられることはないと思う。しかし米国の経済力の相対的な低下の趨勢の中では、主要通貨間の協力による制度改革が進むだろう。
 指導する極がなくなった世界は、竜虎相搏つ無政府状態にならないという保証はないが、私は人類はそこまで愚かではなく、対立を巧妙に回避する意思が働くと思う。このような世界は、今よりも国家が責任を持って行動する、より民主主義的なものとなる可能性もある。そうだとすればトランプ大統領が、教師としてないしは反面教師として、世界に残すことは大きいと言える。米中の新冷戦とも言える覇権争いは続き、いずれにせよ世界に対立の火種が消えることはないであろう。しかし資源、マーケット、技術を軍事的ないし他の手段で支配することを求める覇権主義的国家には必ず、対抗勢力が結成されるというのも、歴史の教えるところである。

米中関係の帰趨と日本

 米国と中国の関係がどうなるかが、日本にとり決定的に重要である。日本の自主防衛を論じる際には、どうしても米中関係の帰趨についての予想をする必要がある。かつて岡崎久彦氏が考察した(注)、米中関係の5つの可能性を再考してみたい。
 (注)岡崎久彦著『二十一世紀をいかに生き抜くか』PHP研究所 2012年
 第1の、「1990年代の日本のように中国は自然に行き詰まり、脅威でなくなる」という仮説は、そもそも日本が行き詰まったのは「自然に」ではなく構造協議等の米国の敵対的圧力に晒された結果であり、中国については次の第2の仮説が意味を持つ。
 第2の、「1980年代後半のソ連のように、米国と力比べをして、息切れして競争を断念」という仮説は、いまだに妥当する。
 第3の、「1930年代の日本のように、中国は国内の強硬派を抑えられずに、米国と衝突してすべてを失う」という仮説については、私は国内事情や国際情勢を冷厳に理論的に検討する知的な理論家集団を有する共産党独裁体制の下では、まず起こらないと考える。
 第4の、「中国の拡張政策が続き、脅威を感じた周辺諸国と長い冷戦が続く」という仮説は、米中冷戦を意味するならあり得ることであろう。
 第5の、「19世紀末の米英関係のように、米国が東アジア・西太平洋における中国の覇権を認めて、軍事力を引きあげる」という仮説は、まさに中国が米国に期待していることと言えよう。
 最後の仮説のように米中関係が進んで、米中が折り合って両国でインド・太平洋世界を仕切るようになったら、日本は万事休すである。しかし私はその可能性は乏しいと思う。中国は天安門事件以降、「愛国主義」と「近代化路線」をひた走ってきたが、その間米国は中国が経済発展を遂げるにつれて、民主化を含め欧米的な穏健化を遂げるとの期待で、あえて対抗するどころか、むしろこれを支援してきた。私は米国における米中関係の基本認識の背景にはキッシンジャーの考えが色濃く反映していると思ってきた。キッシンジャーは「日本は軍事大国化の野心を持ち、米国から離れて独自に行動するから、中国と提携して抑えなければ危険である」という日本人から見ると誤った考えを抱いていた。
 この回想(『回想の外交官生活』)の中で述べたように、私自身も80年代末の駐ニューヨーク総領事時代に何回か彼と意見を交換した際、彼が日本の核武装の可能性を固く信じていることに驚いた。こういう日本観が米国に根強くあったために、米国朝野に中国の経済発展と軍事力強化に懸念を抱き、脅威と認識することはなかったといってよい。しかも鄧小平氏は「韜光養晦」を掲げ、野心を隠して力を蓄える戦略を取った。
 2015年に、ニクソン政権以降30年にわたりCIA等の政府機関で、中国と密接な関係の樹立のために働いてきたマイケル・ピルズベリーは、『China 2049』の中で、中国が世界覇権の樹立のために密かに100年のマラソンを走ってきたことに愕然としたと述べた。17年の共産党大会で習近平総書記は、中国は21世紀半ばまでに世界最高レベルの経済的、軍事的強国となり国際的影響力を発揮することを公然と強調した。18年3月の全国人民代表大会で、彼は「共産党の指導が中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴である」と述べ、同時に共産党は最高指導者の任期は10年とする不文律を破って、習近平総書記への継続的な権力付与の方針を打ち出した。中国は習長期体制の下で、強国中国建設のための産業政策である「中国製造2025」や影響力拡大の方途としての「一帯一路」政策を推し進める姿勢を強めた。
 このような中国の姿勢に、10年代に入り「キッシンジャーの呪縛」が解けた米国内に対中国不信感が急速に高まってきた。米中の指導者や知識層の中で「ツキディデスの罠」が論じられるようになった。つまり新興勢力中国とこれに不安を持つ米国が衝突する可能性があるという懸念である。17年末に発表された米国の「国家安全保障戦略」は、中国を競争相手として脅威であると認めて「公平、相互主義および主権の尊重に基づく関係」を強く求めることを明らかにした。極め付きとも言えるのは、18年10月のペンス副大統領のハドソン研究所での演説で、彼は高関税、通貨操作、強制的な技術移転、知的財産の窃盗、国内産業への補助金等々の長い具体的なカタログを詳述して中国を糾弾した。
 トランプ大統領は中国の対米貿易黒字削減を要求して関税率の引き上げに踏み切るとともに、かつて日本に対して求めたような構造的、制度的な改善の協議に入っている。中国は断固として「中国の核心的な利益」は譲らないとしているが、当面中国は対立回避に向けて対米関係の調整を行うと見る識者が多い。私もそう考えている。
 米中両国が軍事的に衝突することは、アジア諸国にとり良いことは少しもない。当面「経済冷戦」状況で推移することは避け難いとしても、その間に日本はじめ関係国は長期的なアジア・太平洋の平和の維持に向けての長期戦略を考えるのが賢明と思う。

米中拮抗の中に日本の生きる余地

 米国の軍事力をA、日本のそれをBとし中国をCとした時、米国が太平洋で日本と共同で中国に対抗するA+B=Cという軍事戦略を描くとは思えない。米国は世界国家で他国の挑戦を許さぬ強大な軍事力を持ち、同盟を必要としないで自国の利益を守るという発想になるからである。最近の宇宙軍の創設の決定はこのことを物語っている。やはりA≧Cの基本の中でBをどう扱うかを考えるはずである。米中拮抗の中にBが力を発揮する余地が生まれる。
 米中拮抗の到着点はなんらかの「太平洋二分論」になるであろう。私はその際に、米中が直接接点を持つよりも、米中間に何らかの緩衝地域が存在する方が二分論をいっそう安定化させると考える。特にヨーロッパのように地続きでなく広大な太平洋を挟むから、米国も中国もこの考えに自己の利益を見いだす可能性は少なからずあると考える。かなり大きいBはキャスティング・ボートともバランス・オブ・パワーのバランサーともなり得る。日本が米中のいずれからも独立していればいるほどBの及ぼす影響力は強くなるであろう。私はこういう基本的な認識の中で、日本の自立した外交、安全保障戦略を考えている。

(次号に続く)