知事選も那覇市長選も歴史的圧勝

沖縄県民の怒り爆発

「オール沖縄」の結束強まる

照屋義実さん(玉城デニー知事選対顧問、城間幹子那覇市長選対本部長)に聞く
聞き手は山内末子沖縄県議会議員

 沖縄県民は歴史的な前進を遂げつつある。9月30日投開票された県知事選挙で故翁長雄志知事の後継候補で「オール沖縄」陣営が支持した玉城デニー候補が圧勝した。前回の故翁長氏の得票を上回る39万6632票で過去最多の支持を得た。一騎打ちを演じた対立候補に約8万もの差をつけたまさに「大勝」である。
 対立の自民党推薦の佐喜真淳候補は、前回「自主投票」の公明党の推薦と前回は候補者を擁立した「維新の会」の推薦で、いわゆる基礎票では上回っていた。また、菅官房長官や小泉衆議院議員らを相次ぎ投入、二階幹事長を経由しての企業・団体への締め付けなど、組織を生かした選挙戦を繰り広げた。政策的には、名護市辺野古への基地建設に言及せず「争点隠し」を行いつつ、「携帯電話料金の4割引き下げ」「玉城候補に隠し子」などの卑劣なデマ宣伝で支持をかすめ取ろうとした。こうした与党の欺瞞的な選挙戦術は、ことごとく県民の反発を買った。
 玉城デニー県政の誕生は、安倍政権に対する沖縄県民の怒りと不信の爆発である。
 続いた豊見城市長選でも「オール沖縄」推薦の市長を当選させ、さらに10月21日投開票された那覇市長選では翁長雄志市長の後を継いでいた城間幹子市長の再選を闘い取った。自民党は知事選と同じ構図で候補者を擁立したが、城間市長はダブルスコアに近い圧勝だった。沖縄県民は、新基地建設の賛否を問う県民投票を実現するための闘いを進めている。

 全国は、沖縄のアイデンティティのもとに「オール沖縄」の結束を強め歴史的な前進を遂げつつある県民の闘いに大いに激励された。われわれは米軍を撤退させ平和で自主的な日本をめざして共に奮闘する決意を新たにしている。

 那覇市長選投開票日の10月21日、玉城デニー知事選対顧問で奮闘され、さらに城間幹子那覇市長選対本部長も務められるなど一連の闘いの先頭におられた照屋義実さん(沖縄県政策参与、沖縄県商工会連合会前会長、沖縄県建設業協会元会長、株式会社照正組会長)にお話を伺った。聞き手は、知事選と同日の県議補選で県議会復帰を遂げた山内末子沖縄県議会議員(広範な国民連合全国世話人)。

山内末子 照屋義実さん、今日城間市長の再選を勝ち取った那覇市長選の選対部長として大変忙しいところ本当にありがとうございます。まずは城間幹子さんの勝利、おめでとうございます。さかのぼって今回の県知事選挙は選対本部顧問として玉城デニーさんの勝利に向けて尽力していただきました。本当にありがとうございました。
 振り返って、その時の選挙のことと、感想をちょっと、まずお聞かせください。

照屋義実 最初に私に要請があったのは8月の下旬で、今度の市長選は選対部長を引き受けてくれと市長選挙が先だった。じゃちょっと考えさせてと、返事をしたのが26、27日、お盆(旧暦)が終わって2日後、その返事した午後にデニー選対の方が見えて顧問にと。でも行ってみたら代行みたいで、本部長が来ないものだからいつも僕がコメントしなければならないということで代行みたいなものをさせられたのかなと思っています。
 デニー人気にあやかって、翁長氏の遺志を継ぐと、大義名分を堂々と広く県民の皆さんに知らしめようと確認した。3日前の調整会議で実は、危機認識を皆で共有して、ここに座っている傘下の皆さんに呼びかけを強めようという話をしたぐらい非常に切迫感がありました。蓋を開けると大差がついた、大勝利で大変良かったと思います。
 ただ、休む暇もなく市長選挙に移ったわけです。

翁長雄志という類いまれな政治家。信念を貫き命を燃やし尽くして県民のために生命を懸けた

照屋 知事選は候補者が決まるまでいろいろありましたがデニーさんが急転直下で決まったところから歯車がかみ合って順調に回りだしてきたわけですよね。これは何と言っても翁長雄志さんが残した、人を見る目というか、これがあって急転直下、決まったわけです。城間幹子さんにしても10年前に認めて、教育委員会(教育長)に引き上げた。改めて、翁長雄志さんという人の政治家としての人を見る目というものを大変感じますね。デニーさんは、われわれは全く思いつかなかったけれども知事職を継ぐにはぴったりの人だった、と認識を新たにしました。
 そこで県議会議員の皆さんも、あるいは市議の皆さんも一致して支持が決まったということが勝利の要因でなかったのか。最初は、調整会議もどうなっていくのかなという思いもありました。しかし、やっていく中できちっとやっていることがだんだん見えてきて、信頼してよいという感じがしましたね。
 改めて「オール沖縄」の選挙の進め方、あり方、本土の皆さんには見習ってほしい、そういう体制の組み方、あるいは選挙戦の陣形の組み方、いろいろ政党・団体を含めて一緒に机並べやるわけですよ。これは本土の皆さんが見たらびっくりするのじゃないか。
 翁長雄志という類いまれな政治家、プロとして信念を貫く、命を燃やし尽くして県民のために生命を懸けたということに対する県民の思いというのは県知事選の結果を見るまでもないことです。県民葬にあれだけの方が、あふれるくらいに見えて、本当に敬愛される尊敬される知事だったなと思います。
 私自身のオスプレイの時からのお付き合いが、そういうふうな何と言っていいか敬愛し尊敬をしてきました。その前は建設協会が支部長として2年間お付き合いしています。陳情して膝詰めで談判しましたが、われわれ業界をしっかり受け止めていただけた。
 オスプレイの時は一緒に対政府交渉したり、集会したり、東京に行ったりしています。印象深いのは東京で2013年1月28日、建白書を首相に手渡した経過です。その時、安倍首相が出てくるか出てこないかなかなか分からない、前の日の晩まで分かっていない。返事がない時に、これだけそろって建白書を持ってきてそれを渡すためだからぜひ会わせてくれと自民党の派閥全部に頼って要請した。そしたら次の日の朝、返事が来ました。しかし、その前から翁長さんは知っていた。ああ、やはりさすがだなと思って、どこを押せば何が出るか分かっていた。そういうことがあって、総理が出てこられて建白書を出すということになった。

翁長さんへの感謝の念と、残したものを引き継ぎたいという県民の思いは強い

照屋 だからそういうふうな交わりを経て、県知事に就任された後に衆議院選挙があって、その時私にもご指名があって出てくれと。私が出るかということが新聞に出されて、全く条件が整っていないので受けられないと。
 それから副知事の話の時にも、熟慮した結果ですが、やはり受けられないとお断りした。2月終わりに要請があったのですが、まだ商工会連合会の会長もしているし、それが終わってからなら考えてもいいと、返事ができる状況になったら声をかけてくださいとお断りした。ということで8月8日(翁長雄志氏命日)になったわけです。だから、僕としては2回もお断りしたままで不義理をしてしまったかなという思いがあって、今回はデニーさんのことには即答したような気がしますね。
 城間さんについても、翁長さんが残したものを私としても引き継ぎたいという思いがあったから、そういう思いで引き受けました。
 だから、デニーさんが当選した時は本当にうれしかった。城間市長の当選で翁長雄志知事との約束を果たしたことになる。そこからまた新しい状況が始まるかなという気がします。

沖縄の誇りある豊かさというウチナーンチュの誇りを取り戻してくれた翁長さん

山内 翁長知事がいつも言っていた、沖縄の誇りある豊かさというウチナーンチュの誇り、私たちからちょっとなくなっていたものを、翁長知事が本当に政府に対しても毅然と対応する、そうした態度を見ながら県民は改めて沖縄の誇りを取り戻したという思いを私もしています。多分、皆さんも一緒で、今回も急逝してその中でデニーさんが候補者となって、という時にやはり、皆さんたちが玉城デニーさんですけれども、やはり翁長知事のあの悔しさを共有し、知事への感謝を共有したですよね。
 私は知事が亡くなってしぼんだ顔を見ながら、感謝とともに自分たちが何もできなかったということを謝罪しながら、やはり県民に勇気ですとか、誇りですとか力強さ、もう一回皆で頑張ろうという思いを翁長さんが私たちに与えてくれた。
 玉城デニーさんに託されたというのは、そういうところもあって。確かにご本人は衆議院の沖縄3区でしかやっていなかったし、それからいろんな意味で政治的にも決断だったと思う。本当はもっと時間があればと思ったのですが、あれだけの超短期の決戦で、あれだけの大きな圧力、何が何でもマイナスのことしかなかった中で勝てたのは、やはり県民の底力、翁長さんに対する感謝と悔しさをこの一票に託したということだと思う。
 だから玉城デニーさんがこれからの4年間、何をどう残すかというのはとても大きな課題だと思うんですけれども、そういう意味で照屋さんは、これが初めてですよね。ここまで選挙に関わったというのは。
照屋 そうそう。
山内 これからの沖縄、玉城デニー県政と沖縄の未来について一番望むことを一つと、あと経済人として関わっていますよね。そういう意味での関わり方についても、経済人としての思いというか、それをひっくるめてもう一度ちょっとお願いします。

県政の1丁目1番地は辺野古には基地を絶対造らせないということ

照屋 翁長雄志知事が「誇りある豊かさ」ということを掲げて1期目に出ましたよね、4年前に。僕はいつだったか沖縄タイムス社さんの「沖縄を語る」というシリーズでこう言ったんですよ。わが愛する沖縄よ、姿も美し豊かで、これが沖縄県民のすべての人の思いですという話をしたんです。そうしたら「商工愛郷」という見出しがついて記事となった。だから誇りや豊かさというふうな知事のイメージングというか沖縄に対する思い、これは相通じるものがあって、そこで私と波長が合っていたのじゃないかなという気がするんですよ。
 先祖代々からわれわれがずっと沖縄人、ウチナーンチュとしてその誇るべき自然の恵み、あるいは人間として生き方を含めて、そういうたくさんのものを引き継いできて、その美しきものすべて引き継いで子や孫に引き渡す。しかも身も心も美しくなって、沖縄の自然そのもの。だから裏のメッセージとしては辺野古は壊していけないということが、この四字熟語には込められていますよ。そういう話をしたんです。だから辺野古の自然を破壊して新しい基地を造るということには県民を挙げて反対していかなければならないと思っています。われわれの県政の1丁目1番地として、辺野古には基地を絶対造らせないということで県民の心を一つにしたわけですから、これは今後ともデニーさんが引き継いで、子や孫にしっかり胸を張ってわれわれはこうしてきたんだということが言える。そういう状況をつくっていくのがデニーさんの仕事だと思う。

官邸の圧力で声を上げられなくなって転換を余儀なくされた沖縄自民党でも、本音は変わらず「オール沖縄」の民意は崩れない

照屋 経済人としては、経済界というのはどうしてもやはり難しい。オスプレイ反対の時にまとまったのは、あれは自民党が一緒だったから経済団体も一緒に賛成した、ということです。
 それでも渋々で、反対するためにいろいろ難癖つけていましたよ。最終的には押し切って一緒になったんで経済界としてはやりやすかった。ですが、2012年の9・9県民大会の時は株式会社りゅうせきの太田守明会長とかいろんな方が私のところに来て、頑張れと言って激励してくれました。あれが本当の声だと思うんだよね。
 ところが2013年の8月頃から不穏な空気が自民党内にあって、沖縄自民党の幹部に相当なプレッシャー、圧力がかかった。あの時はいろんな人から私のところに「実は」と相談というか話があった。相当な圧力だったようで、私はここまで一緒にやってきたのだからと激励したつもりで帰したんだけど。
 それから間もなくして11月に入って5名の国会議員が転換させられ、さらし首にされ、沖縄の自民党が変わった。あの頃が経済界についても転換点、声が上げられなくなった。本音はオスプレイ反対と私のところに来て言うが、これが本音と僕は思っている。だから今はこういう状況になっているけれども、サイレントマジョリティというか多くの経済人が声を上げられないけれど、照屋さん頑張ってねという声は、この前の知事選挙中の新都心の総決起大会のあの時もわざわざ来てそう言ってくれる人がいました。名前は出せないけれども、反対だと、頑張ってねと。
 だからこういう人たちがたくさんいるということを考えれば、自民党は抜けたけれどもオール沖縄としてつくられた民意は決して壊れていない。それは今回の知事選挙でも示されたし、今日の那覇市長選でも示された。その点に確信をもっています。
 経済界はどちらかというと日和見だから、事大主義だから、自分の経済的なところを考えるから。まあそれはそれとして、そうした配慮を示しながら、やっていけばいいんじゃないか。
 最終的にはオスプレイ配備反対と決起大会をやったときのような状態が再度招来されれば、またそういう状況をつくれるのじゃないかと思っています。

翁長知事は亡くなる前に言っていた。「沖縄の皆さんが一つになれば強くなれる」

山内 辺野古の新基地建設については、自民党も経済界も初めは反対だったが、ここまでくるとほとんどが「まあしょうがないじゃないの」となったんですけれども、それでも県民の7割がどんな世論調査をしても反対だと。ですけれども今おっしゃっておられた暮らしがあるし、経済のことを考えて、国との関係をいろいろ考えると選挙ではどうしても自民党となる。首長選挙など、それには私も出ましたが、そういう雰囲気の中で敗北してきた。そんな流れがあったのですが、それでも県民の思いというものが今回の大差になったのは、やはり根底にあるのはずっと政府に翻弄され続けてきた沖縄を変えたい、そんな状況から何とか脱却したいという気持ちが絶対あると私も思うんです。
 それを選挙でも表していくには、これからももっともっといろんな意味で皆が一つにならなければいけない。翁長知事が亡くなる前に言っていた「沖縄の皆さんが一つになれば強くなれる」ということを、さらにデニーさんを支えながら、私たちも議会人として頑張るつもりでいるんですけれども、照屋さんは政策参与として行政側でもあります。そういう意味で、個人的にも最後にまた一つ沖縄のこれからの将来像について、デニー知事に対して期待することを一言お聞かせください。

デニーさんはウチナーの最大公約数の感情を表している
全国・中央の政治に発信する、米国にも働きかける玉城県政を

照屋 デニーさんは、自立・共生・多様性というキャッチフレーズを掲げてきたわけです。デニーさん自身の出自にちなんで、それが出てきたわけですが、本当に時代にかなっていた。翁長知事は戦後沖縄の厳しい時代を生きてきた。その彼がデニーさんは戦後沖縄を代弁しているといみじくもそう言ったように、デニーさんの個人的な体験の中に多様性があり、共生もあったし自立もあった。すべての沖縄県民が抱えて歩いてきたものを、背負ってきたわけですよね。だから、今回の選挙でデニーさんの演説を聴いてウチナーの最大公約数の感情だということを私だけでなく県民が等しく理解して、それでわーっと押し上げてきたというところがあると思います。その特性を十分に生かしきった県知事、翁長さんとは違うキャラクターですから。また、それを生かす支え方をしていかなければならないと思うんですよ。
 翁長知事は長年の政治キャリアで引っ張ってきたというカリスマ性があったですけれども、デニーさんにはまだそれだけのカリスマ性はない。しかし、元気はありますし、キャラクター性もあるし、それを力強く支える体制をつくる必要がある。あるいは彼自身の経歴を生かした、日本の政界、国会の中で頑張ってきたわけですから、そのへんの人脈を駆使しながら沖縄県知事として国政に影響力を発揮できるようにする必要がある。翁長知事との差はここですよね。国会議員としての経験があると、これは強いですから、これを生かすような県政をする。皆でバックアップする。バックアップするそのための仕組みをちゃんとつくると、こういうことが必要じゃないかなと思いますね。
 アメリカはお父さんの母国ですから、そういう面で好意的な見方が広がっています。この条件を生かしていく。そういう意味では本当にいい方が選ばれたなと、われわれもその一員としてキチンとしていかなければいけない。
 政策参与として私が担当しているのは中小企業振興です。その面でももっと頑張りたいと思います。辺野古の問題は担当ではないのですが、私は自分自身の使命感でやっている面もありますので。
 3月末までが任期ですから、自由民主党沖縄県連がもう一度、沖縄自民党になる日のために頑張りたい。
山内 本当にありがとうございました。大変お忙しい中、市長選も大勝利を収めて、私たちも本当にスクラムを組んで、これからがまた勝負だと思っていますので、選挙で勝つだけが勝負でなくて、これからですので、これから本当に本気で皆でよろしくお願いします。

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