トランプ政権から浮かび上がる日本の現状と課題

第15回全国地方議員交流研修会in東北 記念講演

自立した日本と地方創生のために

舟山康江氏(参議院議員)

 皆さま、こんにちは。
 西日本豪雨災害でいまだに行方不明の方、また避難されている方、本当にご苦労が多いのではないかと思っています。心からお見舞い申し上げます。
 こうした大変なご苦労がある中での「赤坂自民亭」の話。百歩譲っても、やはり災害があったときにいかに被害に遭われた方々の立場に立って、心を寄せていくのかが問われています。あの一連の騒動というのは、安倍政権の姿勢の表れだと思います。
 一方で国会が閉幕しました。その中で評判の悪い法案が次々と成立しました。そしてそれぞれの法案に対しての国民の評価は著しく低いわけです。カジノ法案についても、「働き方改革」にしても、そして参議院の選挙制度改革にしても、「これがいい」と思う方は与党支持者も含めて非常に少ないわけです。その一方で、政党支持率では、相も変わらず自民党の支持がいちばん多い状況です。内閣支持率も一時期、大きく下がりましたが、また若干持ち直しています。
 こういう状況に対して、私たちは何をしていけばいいのか、どういう論点提起をしていったらいいのか。ここを本当にしっかりと考えていかなければいけません。

 民主党政権は3年弱続きましたが、「失敗だった」というイメージでとらえられています。確かに問題も多かったと思いますが、一定の論点提起もできたと思うのです。
 私はちょうど政権交代のさなか、当初、農林水産大臣政務官を図らずも拝命して、約1年間、農業に関するさまざまな改革に着手させていただきました。その大きな一つの柱としては、いわゆる「品目横断的経営安定対策」という規模拡大だけを志向する農業政策から、「農業者戸別所得補償制度」という形で、規模や、専業・兼業に関わらず、販売農家すべてに販売価格が生産費を恒常的に下回っている作物について差額交付するという仕組みに替えたことです。
 コメ、麦、大豆などの「土地利用型農業」というのはどうしても、地代や労賃、そして、機械代、肥料代価格が安い国と競争しても、なかなか太刀打ちできません。こうした「土地利用型農業」については、アメリカやヨーロッパも、単なる市場価格だけではやっていけないということで、さまざまな直接支払い政策を駆使しながら支えています。農業をいわゆる安全保障の要として位置づけているというのが世界の潮流です。農業でも「独り勝ち」を応援する「規模拡大」「競争力強化」などばかりを強調しているこれまでの農政に一石を投じたつもりではありました。とは言え、残念ながら短命で終わったあの政権の中で、私は当事者でしたので、その判断は皆さまにゆだねたいと思います。
 「コンクリートから人へ」という表現が誤解を生んだ面もあったかもしれませんが、公共投資をバンバン行う時代から、やはり、人が暮らしやすくするような政策に投資を振り向けていくことに視点を置いたこと自体は間違いではなかったと思います。
 沖縄における基地問題についても、大きな一石を投じたと思っています。沖縄にだけ一方的に基地を押し付けているような状況について、「県外移設」をめざし、この問題を皆で考えていこうということでした。また、あまりに不平等な日米地位協定の見直しにもっと踏み込むべきではないかという論点提起もしましたが、当時野党であった自民党、そしてマスコミから非難を浴びました。過去を振り返ってみると、やはりアメリカの「虎の尾を踏んだ」人はすべて、何らかの形で失脚させられたと言われています。
 なんとなく一般の国民の中にも「自民党もダメだけど、野党が政権を握ってもうまくいかない」というような不信感がある。そうした中で、安倍政権がこれだけ問題の多い政権運営をして、問題が多い法律をバンバン成立させても、結局は自民党を支持するような状況が続いています。
 今日いただいたテーマが今のトランプ政権の評価と、それから浮かび上がるこれからの日本のめざすべき方向性と若干、リンクしていくと思い、そのへんのお話を私なりにさせていただきました。

「パックス・アメリカーナ」の終焉告げるトランプ政権の登場

 ちょっと常識が通じないというか、今までとは非常に違うタイプの大統領だと、皆さん思っていると思います。私も、「面白い人が出てきた」という印象でトランプ政権を見つめています。
 選挙戦の中で民主党候補クリントンさん、サンダースさん、そして共和党の候補トランプさん、すべての候補者が、「TPP離脱」を表明しました。ところが日本は、「とにかくTPPに入る」という一辺倒で進んできて今に至っています。
 案の定、アメリカはTPPから離脱しました。そして、おそらくトランプ政権が続く限り、いや、場合によってはトランプ政権から他の政権に代わったとしても、TPPに復帰するという可能性は低いのではないかと思っています。
 これはアメリカを取り巻く環境が大きく変わったということの表れなのではないでしょうか。これまでは、超大国アメリカが圧倒的な軍事力と経済力によって世界平和を維持するという「パックス・アメリカーナ」体制が続き、アメリカが「世界の警察官」を名乗って、世界をコントロールするような状況でした。
 しかし、今、アメリカはトランプ政権の下、「自国中心主義」を盛んに主張するようになりました。これは、ある意味当然です。やはり、国の指導者が第一に考えるべきことは、自国や国民の平和をどう守っていくのか、自国経済をどう立て直していくのか、ということです。
 ただ、一方で、「自分たちさえ良ければあとは構わない」という姿勢では今の国際社会は成り立ちません。当然、一国だけで生きていくわけにはゆかず、それぞれの国がいろいろな役割を果たしているわけです。
 しかしアメリカが、「世界の警察官」を放棄し「自国中心主義」を掲げ、「パックス・アメリカーナ」が終わりを迎えているということは明確です。
 
 これにはいろいろな背景があります。アメリカでは、自国経済の行き詰まりと、貧困と格差の拡大、労働者の不満が高まっていました。
 アメリカでは、「1%対99%」ということが言われ、ウォールストリートでは大規模なデモが行われました。労働者階級、一般市民は、「グローバル化によって、われわれはいいことがなかった」という運動をかなり強力に展開してきました。これが具体的に爆発しているのが、今の状況だと思っています。
 そういう意味ではトランプ大統領の主張というのは非常に分かりやすいです。果たして、「保護主義は悪い」と一概に言えるのか?という問題提起とも言えるでしょう。

アメリカに屈してきた日米関係

 一方、軍事・経済両面における、圧力による外交支配、「力には力」という傾向が見られますので、注意していかなければと思います。そして、そうした圧力を受ける側、日本の対応のあり方の問題も非常に大きいと思っています。
 例えば、今年3月、トランプ政権による鉄鋼・アルミニウムへの関税引き上げ問題が世間をにぎわせました。これにいち早く反応したのがEUです。「そんなことをやるんだったら、オレたちもその代わりの報復をするぞ」と言いだし、他の国もきわめて強い調子でトランプ政権の報復関税に対して異議を唱え、対抗策も辞さないという強い態度で臨みました。
 ところが日本は、「なんとか日本だけは外してください」というお願いベースです。やはり、外交関係では対等であるべきで、ケンカすることがいいわけではありませんが、言うべきことをきちんと言ってきたのか? 過去の貿易交渉などを見てみると、常にアメリカによる圧力に押し切られた、こんな歴史だったのではないかと思っています。
 1980年代末から90年代にかけて、日米貿易摩擦がずいぶんとクローズアップされました。日本車の輸出がアメリカに対して非常に多かった状況の中で、日本に対して農産物の輸入圧力が強められました。このときに日本の取った態度は、「別に悪いことをしているわけではない。何の問題もない」と主張したのではなくて、「輸出自主規制」という形で、自発的にアメリカに対する輸出を減らしました。
 やはり、過去の歴史を見ると、常にアメリカから強く出られると、結局そこで屈してしまう。これが日米関係の歴史であって、その関係がやはり、今も続いていて、これからもこうした面が、日米関係に暗い影を落としていくのではないかという大きな懸念があります。

日米同盟一辺倒から多元的外交へ

 今、改めてトランプ大統領の登場によって、何となく漠然と「グローバル化はいいことだ」「グローバル化こそが世界に富をもたらす」と思ってきた「常識」が崩れ始めています。それが大きな論点の一つではないのかなと思っています。
 そして、もう一つ、日本はこれまで日米同盟一辺倒でした。日本はアジアの一員でありながら、アジア諸国との関係は今、非常にギクシャクしたものになっています。隣国である中国、韓国との関係も決していいとは言えません。ロシアとの関係もそうです。しかし、地理的に言えば、日本はこの近隣諸国とどうしても向き合っていくしかありません。経済面でも中国を無視しては語れません。
 にもかかわらず、日本は日米同盟一辺倒の一方で、アジアとの関係を少し軽んじてきたのではないでしょうか。ここは反省をしなければいけないと思っていますし、それはとりもなおさず、もう少し、多元的な外交というものの必要性を感じています。
 しかし現実は日米同盟一辺倒という中で、諸国からは日本もアメリカと同様に見られているのではないかという危惧をもっています。とりわけ中東諸国からはそんな目で見られ始めているのではないでしょうか。
 そこはもう少し、立ち位置を変えて、多元的外交を繰り広げていかなくてはと思います。

「多様性」を認め合う世界の流れ

 「国際家族農業年」や、協同組合が世界無形遺産に認定されたことなどからも分かるように、最近のキーワードは、「多様性」だと思います。画一的な物事、価値観から、多様性を重んじるように変わったということでしょうか。今、議論されているRCEP(東アジア地域包括的経済連携)というのも、もともと多様性を重んじながら、アジアで一つの経済連携をつくっていこうというものです。別に「高いレベル」「関税をなくす」という形で、すべてルールを統一するのではなくて、多様な価値観を認めながら、アジアというエリアでお互いに共存関係をつくっていこうというのがもともとの狙いでした。
 しかし、ここにきて、日本から「TPPをモデルに高いレベルに」という話が出ています。行き過ぎたグローバリズムに対する反省が非常に強く出てきている中で、ISDS(投資家対国家の紛争解決)については、アメリカからでさえ見直そうという機運が生まれてきていますが、日本だけがその必要性を主張しています。
 農業についても、日本は、「規模を拡大して、競争力を上げていかなければ世界でやっていけない」と言っています。しかし、世界では、農業は多様性に満ち、地域社会を大事にして、小さい規模の農業こそが世界の飢餓を救うということが、国際的な報告書でも書かれています。EUは「共通農業政策」(CAP)をつくっていますが、多様性を重視し、農業は市場競争だけではうまくいかない側面があるので、社会全体で農業を支えていこうという仕組みです。このように世界では明確に「多様性」をキーワードにした理念を打ち出している中で、なぜか日本だけが周回遅れのグローバリズムとでも言うべき主張を続けています。

トランプ政権の登場を日本の立ち位置見直す機会に

 こうしたことを考えるだけでも、今の政治の基本的な考え方、基軸を変えていく必要があるのは明らかであり、そのために私はもっと多くの皆さんと力を合わせて、運動していかなくてはと思っているところです。
 近隣諸国との関係改善も重要なテーマです。ロシアとの関係で言えば、北方領土問題の解決は、今、戦後のなかでいちばん遠のいてしまったのではないでしょうか。ロシアとの関係改善はもちろん重要です。しかし、おそらく今、安倍総理とプーチン大統領との間で北方領土の返還交渉というのはまったく進んでいないのではないでしょうか。
 ロシア側は、あくまで自国の施政下で自国の法律に基づいて北方領土における共同経済活動をしていくということを明確に言っているわけです。そういう意味では、この共同経済活動を通じて、北方領土問題が解決するということにはなりません。それどころか、「返還しても米軍基地をつくられたら困るから、返還できない」とロシアから言われています。
 北朝鮮との関係ですが、確かに日本人拉致問題は非常に大きく重い問題です。でも、この拉致問題を解決するにあたって、「最大限の圧力」「経済制裁」だけで本当に解決するのかということは、これまでの結果を見れば、明らかではないでしょうか。アメリカも少し前までは「圧力一辺倒」でしたが、トランプ大統領は、「圧力」と言いながらもしっかりと北朝鮮と話し合いの場をもって進めようとしています。
 北朝鮮の核兵器、核施設の完全廃棄に向けて、「不可逆的かつ検証可能な」という条件が付されていますが、私は北朝鮮が核の廃棄に向かって動きを見せていることだけでも一歩前進だと思います。北朝鮮からすれば、アメリカなどからの圧力が強すぎて、この圧力から守るために軍備増強に走った側面も否定できないと思います。それでも、対話に路線を切り替えました。
 中国との関係もさほどいいとは思えません。
 中東との関係も今、かつてないほどに黄信号がともっていると言わざるを得ない状況だと思っています。
 私はまさに、トランプ大統領の登場によって、改めて日本の立ち位置をもう一度考え直して、アメリカとの付き合い方、そして、他の国との付き合い方を見直すよいきっかけを与えてもらっているのではないかと思っています。

日米同盟に代わる外交の基軸を

 沖縄をはじめ日本にはたくさんの米軍基地があります。その米軍基地がなぜつくられたかと言えば、先の大戦にさかのぼるわけですが、この米軍基地や日米安保の位置づけは現在までに、既に大きく変化していると思います。
 日本は敗戦国として米軍の占領下に置かれ、沖縄は1972年の本土返還までアメリカの支配下に置かれる経験をしました。また、その中で、日米地位協定ができて、これが固定化されてきました。
 この在日米軍の位置づけというのは、冷戦下においては、当時のソ連を中心とする東側陣営に対する、西側陣営による「防波堤」ということでした。しかし、ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が倒され、東西冷戦が終わる中で、日本にある米軍基地で西側陣営を守るという理屈はこの時点で既になくなったはずです。本来、東西冷戦が終わった90年代は、改めて在日米軍の位置づけとか、日米同盟のあり方というのを見直す大きなチャンスだったわけです。
 ところが、「西側陣営の防衛」という在日米軍の位置づけが、「アメリカにとっての世界戦略」に置き換えられてしまいました。当時は、アメリカが「世界の警察官」として世界中で活動するにあたっては、どうしても日本の基地が必要だったということです。
 現在、アメリカが「世界の警察官」としての役割を放棄しようとする中で、なぜ、日本が防衛力を強化していくのか、日米安保体制を守らなければいけないのかという「理屈」が、中国や北朝鮮の「脅威」です。ソ連に代わる仮想敵国をつくって、「日本を守るためには米軍基地が必要だ」ということが、今でも日本の安全保障の基軸になっています。
 改めて今、こうした日本の防衛のあり方でいいのか、考え直す必要があります。アメリカが言う「平和」とは、日本をはじめ世界各地に軍事拠点を置いて、力で対抗して、つくられる「平和」です。たぶん安倍総理はこれを「積極的平和主義」という言い方で補完しようとしているのではないかと思いますが、日本の平和を守るためにこうしたあり方でいいのか、アメリカの「核の傘」の下で守られていること自体をどう考えていくのか、改めてしっかり整理しないと、これからますますアメリカの思惑に左右されてしまいます。
 ドイツにも米軍が駐留していますが、日本のように駐留米軍に対して「思いやり予算」と称して、ここまで多額の金銭的・物質的援助をしている国はありません。加えて、在日米軍の一部グアム移転の費用まで面倒を見るといいます。グアム移転は、日本のためではありません。アメリカの安全保障政策の中で、沖縄よりグアムの方が適しているという理由だけです。
 こうした課題は、沖縄の問題ではなく本土に住む私たち、日本全体がしっかりと向き合っていかなければいけません。
 これからの日本の立ち位置というものを考えると、確かに日本は先の大戦で、アジア諸国にもいろいろ大変な被害をもたらしたけれど、戦後は平和憲法の中で、平和主義の国として歩んできました。しかし、安倍政権はこの平和憲法も変えようとしています。そして、むやみに敵を増やしている。これが今の日本の姿ではないかと思います。
 これからの日本の立ち位置を探る中で、どうやって世界各国と付き合っていくのかということを改めて、多くの皆さんと考えていかなくてはと思っています。そして、そのことを通じて、大きな基軸をしっかりと見つけていくということをやっていきたいと思います。

本当の「保守」とは何か

 さて、「オレは保守だから自民党」「日本の伝統を守りたいから保守なんだ」というようなことがよく言われています。が、果たして、「保守」とは一体何なのかということを改めて今、考えていかなくてはいけない、そんな時期にきていると思います。
 「保守」って一体何でしょうか。軍国主義を進めるのが「保守」なのか、「アメリカ万歳」を言うのが「保守」なのか。そして、「米軍基地反対」と言うと、「アイツは反日だ」と言われる。おかしいですよね。日本がアメリカの言いなりになることを支持することが「保守」と言うのは、非常にねじれていると思います。むしろ、「保守」を名乗るのであれば、日本のありように対して、外からあれこれ言われて、壊されようとしていることに対して、抵抗することこそが本当の保守ではないでしょうか。
 本当の意味での保守というのは、地域のことは地域で決める、農村、地域社会を守る、そして、日本らしさ、伝統をしっかりと受け継いでいく、これこそが本当の意味での保守ではないでしょうか。日本のありようについて外からとやかく言われて、「グローバルルールだ」と言って押し付けられて、それを受け入れる人が、なぜ「保守」を名乗るのかが分かりません。ある国の言うことはやみくもにすべて聞いて、ある国の言うことは全然聞かないというのは、「保守」でも何でもありません。
 若干、話はずれますが、「早期の英語教育が必要だ」と言われています。また、「道徳教育」の中で「愛国心」がやたら強調されています。しかし、日本で今必要な教育というのは、しっかりと日本語を大事にしながら、自分の地域からよく学ぶことです。
 また、「愛国心」は誰かに言われるようなものではなくて、自然にわき上がるものです。しかし、今の政府は「道徳教育の義務化」「点数化」「教科化」という中で、すべて上から「愛国心」を押し付けようとしています。これはまさに大きな間違いだと思います。

「森友・加計学園問題」「国家戦略特区」…中央集権政治の限界示す

 さて、日本が直面している課題ですが、まさに今、中央集権政治の限界が来ていると思います。特に国会は危機的ですね。「三権分立」と言いながら、まったく分立されていません。立法府が危機的状況に陥っています。
 一般的に政治の枠組みというのは「三権分立」ということで、行政、立法、司法と3つに分かれています。日本の場合は、議院内閣制ですから、立法府の第一党が行政を担うということはしょうがないです。ただ、お互い独立した機関ですから、与党であってもきちんと行政府にモノを言わなければいけません。
 戦後ずっと、ほぼ一貫して自民党政権が続いてきましたが、「自民党をぶっ壊す」と言って登場した小泉純一郎政権あたりから派閥が弱くなりました。小泉総理は、参議院での法案否決を理由に衆議院を解散するというとんでもない禁じ手を使って、郵政民営化に反対した議員を公認から外し、刺客を立てました。結局、総理のイエスマンだけが生き残るという流れが今も続いているわけです。
 その小泉さんですが、今でこそ「脱原発」で、なんとなく(野党からも)評価されつつありますが、考えてみたらとんでもないと思います。あのように郵政民営化を強引に押し通したこともそうですが、イラク戦争のときにも、国会で「戦闘地域か、非戦闘地域か」と聞かれ、「私に分かるわけないじゃないか」「今、自衛隊が行っているところが非戦闘地域だ」と開き直る答えをしました。このあたりから非常に日本の政治における立法府と行政府の緊張関係が溶けてしまったと思っています。
 本来は権力をもつ人は抑制的にその権力を使わなくてはいけませんが、安倍総理は権力者として、もう何でもできるというおごりをもってしまったと思います。だから、権力は憲法で縛ることが絶対必要です。憲法は国民の権利、義務を決めるとか、国民を制限するのではなくて、権力を縛るための装置です。

 また、安倍政権では、「政治主導」「官邸主導」とよく言われていますけど、悪い面があらゆるところで出ていると思っています。
 加計学園の問題というのもその一つです。「国家戦略特区」という手法を使って、「岩盤規制に穴を開けよう」ということで、本当にこれ以上獣医学部、獣医師が必要なのか、ここで参入規制を取っ払う必要があったのか十分検証もないままになぜか「加計学園ありき」で進んでいきました。
 確かに、古くなった、いらない規制というのもあるでしょう。そうしたものを不断に見直していくことは必要です。しかし、なぜ規制があるのか、社会的な理由があります。まったく裸の競争にさらされれば、大きなところが勝ってしまうので、育成過程の小さな企業を守るような規制があったり、参入規制で一定程度数を絞ったりしていく必要があるとか、理由があるわけです。何もかも全部規制を取っ払っていいというものではありません。
 しかし、安倍政権が進める、「国家戦略特区」というのは、あまりにも規制緩和の仕方が乱暴です。これは加計学園の案件以外でも同じです。
 例えば、あの有名な竹中平蔵さん、「国家戦略特区」の諮問会議のメンバーですが、今はパソナという人材派遣会社の会長をやっています。竹中さんが諮問会議に入って、外国人の家事労働者の受け入れを広げていこうという議論をした結果、それがOKになった。そして、この外国人労働者の受け入れ先になったのがパソナです。こういうのをマッチポンプと言います。自分で穴を開けて自分が通る。「国家戦略特区」はこんなことばっかりなんです。これはゆがんだ政治の温床になっていくと思います。
 「規制改革推進会議」もそうです。竹中さんが、ここにも顔を出しています。「規制改革推進会議」では例えば、株式会社が農業に参入できるとか、農地を買えるとか、いろいろな規制緩和を提言していますが、こうした各種会議が政権とタッグを組んで、「官邸主導」という形で何もかも決めてしまっているのです。この間提案され、成立したいろいろな法律はここから出発しているものが非常に多いのです。

 実は今、水道法の改正が議論され始めています。延長国会の中、衆院でバタバタと駆け込みで審議が始まりました。
 表向きの理由は、大阪北部地震で、老朽化した水道管が破裂して、道路が水浸しになるような被害があったことです。今、上下水道ともに非常に老朽化が進んでいて、そろそろ更新の時期を迎えています。しかし、水道を管理・運営する自治体は財政に余裕がありません。そこで、「民間の力を借りるべき」という主張が急激に持ち上がりました。それをいいことに、たった9時間ぐらいの審議で、あっという間に衆院で水道法の改正法案が通ってしまいました。今、私は参院の国民民主党会派の国会対策委員長を担っているので、与党から何度も「参議院で水道法の改正について早く審議をしたい」と申し入れがありましたが、私はかたくなに拒否をしています。
 まずは、現行の水道法の何が問題で、どういうことをクリアする必要があるのか、しっかりと検討しなくてはいけないと言っています。地震のような不測の事態を契機として、バタバタとやっていいものではありません。
 水道事業の民営化というのは外資も含めてです。この議論は、「国家戦略特区」でも出ていましたが、海外ではいろいろな国が水道事業の民営化を行いました。しかし、民営化した多くの国で今、大きな問題に直面しています。民間企業というのはよくも悪くも、一定程度の利益がなければ事業としてやっていけません。そういう中で、お金をかけて水道管を更新したり、新しい設備を入れたりする際に、かけたコストを回収するために、水道料金にそのコストを上乗せするというのは民間企業からすれば当たり前です。そこで、民営化した国々では水道料金が一挙に上がって、所得の低い方々が水道料金を支払うことができず、水が飲めない事態に直面して、社会の大混乱を招いているケースも出てきています。民営化によるこうしたリスクをおそれ、また公営に戻したという国もあります。
 やはり、こういった海外での事例など、リスクもきちんと考えた上で、水道のあり方について、議論しなければいけません。
 国会議員は曲がりなりにも選挙というハードルをクリアして仕事をしています。ところが、「規制改革推進会議」など各種会議のメンバーというのは、まったくの一民間人です。しかし、このメンバーの発言が「鶴の一声」となって、全部形になってしまうというのはまったくおかしな話です。

地方から「提言」発信を

 「地方の時代」とか「地方創生」とか盛んに言われているわりには、いまだに地方と国は上下の関係という位置づけになっています。中央省庁を見ると、「陳情に来ないあそこの町は生意気だ」という雰囲気を感じます。そういうゆがんだ政治というのは本当にやめるべきです。先ほどごあいさつされた渡邉兵吾・大江町長は、私の知る限り、一度も陳情に来られたことがありません。じゃあ、大江町が山形県内でいちばん遅れているかと言えば、決してそんなことはありません。特に今、全国的に農村部が人口減少にさらされている中で、大江町の人口は横ばいか、あるいは増えています。新規就農という形などで、移住する方が非常に増えていて、行政としても非常に面白いことをされています。「陳情をすればいい行政ができる」というのは大間違いだと思います。
 国が制度の大枠を決めるというのは間違いない事実です。私はそういった意味ではまったく国を無視しろと言うつもりはありませんが、地方も「陳情」ばかりではなくて、「提案」をしていくような関係を国とつくっていく必要があります。
 ぜひ、そんな地方自治体のあり方を地方議員の皆さまにもめざしていただきたいと思いますし、私たちもその思いを受け止めて、しっかりと動いていきたいと思います。

自民一強政治の中での野党の役割

 「野党の役割」について話してみたいと思います。今の大多数の与党と少数分裂の野党という状況は本当に問題だと思います。
 だけど、現実的に今、国会では与党が3分の2という圧倒的多数を占めています。野党は立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党、自由党、そして維新の会など、多くの党に分かれています。野党の数は多いですが、人数は足しても3分の1にも及びません。維新の会は野党とはいえ、与党寄りですから、それ以外の野党はさらに圧倒的少数です。その少数野党が何ができるかということを考えていかなくてはいけません。
 一つは、次の選挙で「あんな乱暴なことをやっている与党はけしからん」と、国民の審判を突きつけることです。
 しかし、次の選挙まで待てませんから、与党に対して、徹底抗戦はもちろんのこと、私も国民民主党参院会派の国対委員長として、とにかく徹底審議を求めました。しかし、残念ながら押し切られるときは押し切られます。そうした中、残念ながら通ってしまった法案に対して、附帯決議のような形で縛りをかけていくことが必要だと思います。「働き方改革一括」法案や、カジノなどのIR法案は成立しても、詳細は今後政令や省令などで決めていくという分野が非常に多いです。私は附帯決議を取るということに尽力をさせていただきましたが、もっと野党の足並みをそろえるような方向を模索することが、これからの大きな課題だと思います。

山形から始まった二つの流れ

 先ほど、置賜自給圏推進機構の代表理事である渡部さんが発言しましたが、私も実はこの機構の役員の一人です。「置賜自給圏」とは、別に、閉鎖的な鎖国社会をつくろうとかそういうものではなく、地域で作ったものは、できるだけその地域で消費をしていこうという発想に切り替えることで、地域でお金が循環するのではないかという考え方に基づいた活動です。
 地域の資源を見いだして、循環をさせていく。食べ物だってそうです。海外の安いものを買えば、お金は海外に流れていきます。確かに海外のものの方が安いかもしれません。例えば自分の地域で売っているものが150円、海外の安いものが100円だとして、海外の方が50円安いですが、地域で生きたお金にはなりません。150円は、ちょっと高いかなと思うけれど、でもその分、その地域の中でお金が落ちるわけで、それによって経済が循環します。まさに、グローバル化と逆の発想です。
 地域の資源を地域で回していくという自給圏的な発想をもっと各地で広げることによって、エネルギー、食料、こういったものをつくっていくというのが、これからの地域の生き方ではないのかなと思います。そして、それができるのは都会よりも、地方です。太陽の光は平等に降り注ぎます。山林や水田など、いろいろな資源は地方にいっぱいあります。それを生かすも殺すもそこに住んでいる人です。
 ヨーロッパ諸国の中では、経済規模は小さくても、日本より元気な国がいっぱいあります。それはエネルギーや食料を地域で循環させていこうという機運が生まれているからです。エネルギーについても、小さな規模の発電所を地域の人たちが出資して、協同組合をつくって運営しているところがいっぱいあります。
 こうしたことを通じて、人びとの参加意識も高まり、そこで雇用が生まれて、お金が回る……こうした流れを日本全国でつくっていくべきだと思います。

 そして、もう一つ、これも山形県でつい2カ月前に始まりました。「これからの地方の使命を考えるフォーラム」(通称「つばさの会」)です。先ほど言ったように今、国会では野党が小さく分かれていて、まとまりがつきません。
 自民党が今やっている政策はおかしいことばかりじゃないですか。この流れを変えていかなくてはいけないという思いの中で、いわゆる右とか左とか、保守、革新ではなくて、地方の声と、あるべき姿をまとめて、今の中央の政治への対抗軸にしていこうと、この「つばさの会」というものをつくりました。党派はまったく関係ありません。幸か不幸か、私は無所属ですので、幅広く皆さんに呼びかけて、いろいろな人に入ってもらって、それで地域の基軸というもの、あるべき姿を提言していくようなものをつくっていこうと思います。

いっそう重要な地方議会―中央の地方政策に一石投じよ

 地方議会の役割はますます大事だと思います。地方議会ができることは、いっぱいあります。二元代表制で首長も議員も、どちらも選挙で選ばれているわけですから、対立して当たり前、提言し合って当たり前。
 自治体によって、いろいろな問題を抱えていると思いますし、アイデアもあると思います。そういうアイデアを発信すれば、もしかしたら、その町の小さなアイデアが世の中を変えるような面白い発想につながるかもしれません。それがまた中央による画一的な地方政策に、一石を投じるようなことになっていくのではないでしょうか。
 本当に今、大きく価値観が転換している時代だと思います。その中で、地方がもっと強く自立していく上で、今日お越しの議員の皆さんが中心となることをぜひ期待して、話を終わりたいと思います。ありがとうございました。

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