故 翁長雄志沖縄県知事を追悼する・丹羽宇一郎

翁長さんへの追悼の思いを込めて

知ってほしい『チムグリサ』の思い

丹羽宇一郎 元伊藤忠商事社長・元中国大使

 翁長さんの思いには、共感するところがあるし、特に沖縄や県民の方々に対して、本土の方がたは本当に考えてきたかという思いがある。翁長さんが死の直前までやってこられたことの意味というのは、もう少し、日本人全体が沖縄について知ってほしいということではないか。そういう意味で、沖縄戦や集中する米軍基地の問題など、沖縄の悲劇というものをこの機会に多くの日本人の皆さんに知ってもらいたいと思う。それが翁長さんへの追悼心と思う。
 そこで、紹介したいのは『一九四五年 チムグリサ沖縄』(秋田魁新報社)という本である。これを読むと沖縄の人びとの気持ちが痛いほど分かる。この本を読んで、私は何年ぶりかに怒りで身の震える思いに包まれた。怒りの次には涙が止まらなくなった。
 あの沖縄戦の体験者による「真実の声」というものをほとんどの人が忘れようとしているか、知らない。特に若い人びとは知らないし、知ろうともしない。
 しかも、若い人の間では、「どう反対しても全ては政府の思い通りに決まるだろう」という諦めの気持ちが強いのではないか。辺野古の問題でも政府の方針を変えられないと思っている人も多い。こうした考え方は沖縄の基地問題だけではない。やはり、若い人たちには沖縄の抱えている実態や沖縄の人びとの「真実の声」をもっと知ってもらいたい。これが翁長さんがもっとも願っていたことだと思う。この思いは「辺野古をどうする」という以上に強かったのではないか。
 先の沖縄戦も、そして、こんにちの集中する米軍基地の問題も、いわば沖縄が本土の身代わりになっているから今のような状況が生まれている。その気持ちを今の日本人は理解すべきだと思うし、そういう気持ちを酌むということが、翁長さんへの追悼になるのではないだろうか。
 この沖縄の「真実の声」をどうやって、日本人が知ることができるかと言うと、先ほど言った『一九四五年 チムグリサ沖縄』を読むことで理解できる。「チムグリサ」というのは「ああ、哀れだなあ」と相手の立場に立って嘆くという意味。沖縄戦の体験者の気持ちをあらわした本だ。私はこの本を読んで本当に怒りとか無念とかなどの気持ちを強く持った。これは私のような立場でも改めて沖縄県民はいかに戦争を耐え抜いてきたかということを強く感じることができた。翁長さんの御霊のため、あるいは追悼文として、とくに本土の若者へ訴えたいし、ぜひ考えてほしい。
 沖縄戦では県民の20%が犠牲になったが、この数字は5人に1人が亡くなったということだ。だから、沖縄の人びとは「国は国民を守らなかった」という思いをもっている。県民は国に最大限の協力をしたにもかかわらずだ。
 それを考えると戦争というのは、「国民が国を守っても、国は国民を守らない」ということです。沖縄県民は自分で自らを守るしかなかった。
 これからの日本も戦争から日本人自身が自らを守らなくてはいけない。国は守ってくれない。このことを若い人をはじめ自覚できていない。これではまた新たな悲劇を生むんではないか。これは沖縄だけの問題ではなくて、日本が過去の歴史というものを学ぶべきだということにつながる。先ほど述べた、この「チムグリサ」というものを若い人に知ってほしい。私はこれが翁長さんの本当の気持ちだ、悲痛な叫びだ。ぜひ、翁長さんの後の知事もそういう気持ちを沖縄県民と共有して、戦争に近づかないということを考えてほしい。
 しかし、「戦争に近づかない」ためには沖縄県民の努力だけでは難しい。「声なき声」は賛成となってしまう。どこかでおかしいと思っていてもそれを表に出さなければ賛成となってしまうのだ。例えばメディアに自分の思いというのを投書することも大事だ。これは誰にでもできる。自分の思いを声に出して、ハガキにペンを走らせ、投函する。数多くの投書は新聞社も無視できない。翁長さんへの追悼であれ、沖縄に対する思いであれ、投書する。だから、私はじっとしていては何も変わらない。翁長さんと共に「一歩前に足を出そう」とお願いしたい。

※『一九四五年 チムグリサ沖縄』(大城貞俊著、秋田魁新報社刊)。同書は、著者が長年にわたって取材してきた、沖縄の戦争体験者の「聞き書き」をもとにつくられた短編小説集。

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