TPP12より悪い、TPP11

鈴木宣弘(東京大学教授)

米国抜きのTPP11の発効は、日米2国間でTPP以上の対日要求に応えることとセットなので、「TPP11+米国へのTPP12以上の譲歩=TPP12以上の日本への打撃」となる。

「自由貿易」への反省の時代に入った

なぜ米国民にTPPが否定されたのか。「もうかるのはグローバル企業の経営陣だけで、賃金は下がり、失業が増え、国家主権が侵害され、食の安全が脅かされる」との米国民のTPP反対の声は大統領選前の世論調査で約8割に達している。トランプ氏に限らず大統領候補全員がTPPを否定せざるを得なくなった事実は重い。
「トランプ氏の保護主義と闘わなくてはならない」という日本での評価は間違いである。米国民によるTPPの否定は「自由貿易」への反省の時代に入ったことを意味する。
米国内のグローバル企業とその献金で生きる政治家は、米国民の声とは反対に、今でも命や環境を犠牲にしても企業利益が最大限に追求できるTPP型ルールをアジア太平洋地域に広げたいという思いが変わらない。そういう米国のTPP推進勢力に対して、日本が「TPPの灯を消さない」努力を続けているところを見せることも重要な米国へのメッセージなのである。
国家戦略特区に象徴される規制改革はルールを破って特定企業に便宜供与する国家私物化であり、TPP型協定に象徴される自由貿易は国境を越えたグローバル企業への便宜供与で世界の私物化である。米国共和党のハッチ議員が製薬会社から2年ほどで5億円の献金をもらって、患者さんが死んでもよいからジェネリック医薬品が作れないように新薬のデータ保護期間を20年に延ばせ、と主張したのがTPPの本質を象徴している。
TPP破棄で一番怒ったのは米国農業団体だった。裏返せば、日本政府の影響は軽微との説明は意図的で、日本農業はやはり多大な影響を受ける合意内容だったということが米国の評価からわかってしまう。せっかく日本から、コメ(従来の輸入枠も含めて毎年50万トンの米国産米の輸入を保証)も、牛肉も、豚肉も、乳製品も、「おいしい」成果を引き出し、米国政府機関の試算でも、4千億円(コメ輸出23%増、牛肉923億円、乳製品587億円、豚肉231億円など)の対日輸出増を見込んでいたのだから当然である。
しかし、これまた感心するのは、米国農業団体の切り替えの早さである。すぐさま積極思考に切り替えて、TPPも不十分だったのだから、2国間で「TPPプラス」をやってもらおうと意気込み始めた。それに応じて「第一の標的が日本」だと米国通商代表が議会の公聴会で誓約した。

両面から米国への忠誠をアピール

日本はTPPプラスの米国からの要求を見越している。そもそも、米国の離脱後にTPPを強行批准したのが、トランプ大統領へのTPPプラスの国益差し出しの意思表示だ。トランプ大統領の来日時にも日米FTAへの強い意思表示があった。すでに日本は米国からのSBS米を1万トン台から6万トンまで増加させ、TPPでの約束水準をほぼ満たす対応をしている。情けない話だが、米国にはTPP以上を差し出す準備はできているから、日米FTAと当面のTPP11は矛盾しない。いずれも米国への従属アピールだ。(注:SBS=「売買同時契約」は、輸入業者と国内の買い手である実需者がペアで国の入札に参加する形式で、77万トンのミニマム・アクセス米のうち10万トンの枠が設定されている)
TPP11交渉で「米国に迫られていやいや認めた項目なので本当は外したい」という凍結要求が各国から80項目も出た。このこと自体、TPPがいかに問題が多いかの証明とも言える。ならば米国離脱で削除すればいいのに、米国の復帰待ちで最終的には22項目を凍結し、否定したい項目なのに米国が戻れば復活させるとは、どこまで米国に配慮しなくてはならないのか、理解に苦しむ。しかも、日本だけが「外したい項目は一つもなし」という徹底した米国追従ぶりである。

米国にひたすら追従して、はしごを外される哀れな日本

ISDS(投資家対国家紛争解決)条項は、米国とそれにむやみに追従する日本の2国がTPPで強く推進した。しかし、タバコの健康被害を抑制しようとしてフィリップモリスから訴えられたオーストラリアを筆頭に他国は反対だった。日欧EPAでは、EUはISDSを「死んだもの」(マルムストローム欧州委員)とさえ言った。
何と、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉で、「震源地」の米国がISDSを否定する事態となった。連邦裁判所でなく国際法廷が裁くのは「国家主権の侵害」との声が大きくなり、17年9月には中小企業の社長100人が連名でISDS条項削除を求める手紙を出し、最高裁首席判事のジョン・ロバーツ氏も同条項に懸念を表明した。
こうした中、トランプ政権はISDSを否定する方向に舵を切った。NAFTAで米国は「選択制」を提案した。訴訟に際して、国際法廷に委ねるISDSを使うか、国内法廷で裁くかは、各国が選択できることにし、米国は国内法廷で裁く(ISDSは使わない)と宣言したのである。
この期に及んで、「死に体」のISDSに日本だけがいつまで固執するのだろうか。米国に追従してISDSを必要不可欠と言い続けた日本だけがはしごを外され、孤立するという哀れな事態となった。
自身でしっかり考えず、むやみに米国に追従してはしごを外される哀れな国から早く卒業すべきである。日本の対米外交は「対日年次改革要望書」や米国在日商工会議所の意見書などに着々と応えていくだけだから(その執行機関が規制改革推進会議である)、次に何が起こるかは予見できる。トランプ政権へのTPP合意への上乗せ譲歩リストも作成済みである。米国の対日要求リストには食品の安全基準に関する項目がずらずら並んでいるから、それらを順次差し出していくのが、米国に対する格好の対応策になる。
農林水産業をないがしろにし、輸入食料がさらに増え、自給率が下がることの命、環境、地域、国土維持のリスクを考慮すると、このようなTPPプラスの自由化ドミノと規制緩和を続ければ、国民を守れない極めて危険な事態を招くことになる。

食料は「武器」

米国では、食料は「武器」と認識されている。米国は多い年には穀物3品目だけで1兆円に及ぶ実質的輸出補助金を使って輸出振興している。食料自給率100%は当たり前、いかにそれ以上増産して、日本人を筆頭に世界の人々の「胃袋をつかんで」牛耳るかである。そのための戦略的支援にお金をふんだんにかけても、軍事的武器より安上がりなのだ。まさに「食料を握ることが日本を支配する安上がりな手段」だという認識である。
また、日本の農家の所得のうち補助金の占める割合は3割程度(漁家では15%程度)なのに対して、EUの農業所得に占める補助金の割合は英仏が90%前後、スイスではほぼ100%と、日本は先進国で最も低い。「所得のほとんどが税金でまかなわれているのが産業といえるか」と思われるかもしれないが、欧州では幾度の戦争を経て国境防衛と食糧難とに苦労した経験がある。だから、命を守り、環境を守り、国土・国境を守っている産業を国民みんなで支えるのは当たり前なのである。それが当たり前でないのが日本である。
イタリアの水田の話が象徴的である。水田にはオタマジャクシが棲める生物多様性、ダムの代わりに貯水できる洪水防止機能、水をろ過してくれる機能、こうした機能に国民はお世話になっているが、それをコメの値段に反映させているか。十分反映できていないのなら、ただ乗りしてはいけない。自分たちがお金を集めて別途払おうじゃないか、という感覚が税金からの直接支払いの根拠になっている。
根拠をしっかりと積み上げ、予算化し、国民の理解を得ている。個別具体的に、農業の果たす多面的機能の項目ごとに支払われる直接支払額が決められているから、消費者も自分たちの応分の対価の支払いが納得でき、直接支払いもバラマキとは言われないし、農家もしっかりそれを認識し、誇りをもって生産に臨める。このようなシステムは日本にない。
さらに、米国では、農家にとって必要な最低限の所得・価格は必ず確保されるように、その水準を明示して、下回ったら政策を発動するから安心して作ってください、というシステムを完備している。これが食料を守るということだ。農業政策を意図的に農家保護政策に矮小化して批判するのは間違っている。農業政策は国民の命を守る真の安全保障政策である。こうした本質的議論なくして食と農と地域の持続的発展はない。

農林水産業は国民の命、国土、国境を守っている

日本の農林水産業が過保護だから自給率が下がった、耕作放棄が増えた、高齢化が進んだ、というのは間違いである。過保護なら、もっと所得が増えて生産が増えているはずだ。逆に、米国は競争力があるから輸出国になっているのではない。コストは高くても、自給は当たり前、いかに増産して世界をコントロールするか、という徹底した食料戦略で輸出国になっている。
欧米は国境を守る農林水産業に所得の100%近くを税金で支えるような徹底的な戦略的支援をして守っているのに、わが国はどうなってしまうのか。「民間活力の最大限の活用」だ、「企業参入」だと言っているうちに、気付いたら、安全性の懸念が大きい輸入農水産物にいっそう依存して国民の健康がむしばまれ、日本の資源・環境、地域社会、そして、日本国民の主権が実質的に奪われていくという取り返しのつかない事態に突き進んでよいのか。農林水産業は国土・国境を守っているという感覚は世界では当たり前なのに、わが国では、そういう認識が欠如している。
こうした点の改善も含め、「食を外国に握られることは国民の命を握られ、国の独立を失うことである」ことを常に念頭に置いて、安全保障確立戦略の中心を担う恒久的な農林水産業政策を国家戦略として再構築すべきである。
(本稿は、筆者が5月17日、衆議院内閣委員会で参考人質疑の際に提出した資料が基になっている。[原文全文:鈴木宣弘先生 5月17日TPP参考人資料]

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