沖縄から始まる新日本の創造~ジャパンからジパングへの道~

2016-shinroRogo

<シリーズ・日本の進路を考える>
世界の政治も経済も危機は深まり、わが国を亡国に導く対米従属の安倍政権による軍事大国化の道に代わる、危機打開の進路が切実に求められている。
本誌では、各方面の識者の方々に「日本の進路」について語ってもらい、随時掲載する。(編集部)

日本大学総合科学研究所 教授 露木 順一

はじめに20151122シンポ露木1

 慶応大学教授で経済学者の金子勝が現在の日本は停滞局面から衰退局面に入ったと分析している(注)。安倍政治による異次元の金融緩和はいわば麻酔薬であり眠りから覚めた後の惨憺たる有様も描写している。格差により溝が深まりとりわけ若者が排除される社会である。
 アベノミクスの失敗はもはや明らかだ。株価を吊り上げ円安を導き大企業や富裕層をより豊かにすればその果実は社会全体に滴り落ちるという大前提で政策を続けてきた。しかし今年に入って株価の下落は予想を大きく超え、政策への信頼は揺らいだ。
 安倍政権の存続の道は安全保障上の危機感を煽り、求心力を高めるほかに道は無い。安倍総理が宿願として来た憲法改正の方向性とも一致する。なりふり構わず走ると見た方が良いだろう。
 いよいよ日本国の進路が本格的に問われる。ピンチは最大のチャンスである。もう一つの日本の進路を国民に提示する絶好の機会である。

注:金子勝、児玉龍彦『日本病 長期衰退のダイナミクス』岩波新書 2016年1月

時代認識

 今をどのような時代と捉えるのかによって現代の危機に対する処方箋は変って来る。
 私は、明治維新以来のいわゆる近代と総称される時代の日本の国づくりが限界にきたことに現代の危機の源泉があると見る。現代の危機は構造的で本質的な問題だと思うからである。
 近代はヨーロッパから持ち込まれた。国民国家と資本主義、科学技術を引っ提げ世界を制覇した。しかしコンピューターに象徴される科学技術の発達は資本主義を変容させグローバルな金融資本主義を生みだした。国家の壁をやすやすと越えバーチャルな空間の中でマネーが行きかい実体経済とは無縁の経済が成立している。国民国家ではもはや対処できない。
 国家同士の強固な連携で課題に立ち向かうべきではあるが、国家のエゴは消えない。それどころか近代の最終的な覇者アメリカの国勢の陰りと対抗する中国の躍進という新たな局面に直面し反目が深まっている。また、国連を中心とする集団的安全保障もまだ未成熟である。テロの横行も国際的なガバナンスの脆弱化の間隙をついた現象だと見ることが出来る。現代は、国民国家はもはや幻想となりつつあるのに過去の幻影にすがりながら国際社会が成り立っている超不安定状況に陥っていると言える。
 こうした時代認識を前提として処方箋を描こうとするのであるのならば少なくとも近代の発祥の原点にまでさかのぼって問題点をえぐり出し解決策を見い出して行かなくてはならない。日本こそ近代の病から脱し新たな次の時代を切り拓く地として最適な場所である。
 日本の近代は1886年の明治維新という画期が明確である。ヨーロッパに学び、急ピッチで近代化を成し遂げ世界の列強にのし上がり世界大戦でアメリカに叩きのめされた。敗戦後は苦境から蘇り経済で世界を席巻し「ジャパンアズナンバーワン」との一時期を謳歌した。
 しかし、バブルの崩壊から長期の停滞に陥り現在は金子勝が指摘する衰退へと局面が移った。遅れて近代の仲間入りをした日本は、二転三転のダイナミックな歴史を体験した。体験が劇的であることは、問題点を明確に認識し易く逆に根本的な対処方針を導きやすい。

処方箋

 明治新政府の国づくりの根幹を為すのは、「脱亜入欧」「文明開化」路線である。文明とは西洋文明のことであった。これは敗戦後も一貫して続く。ヨーロッパからアメリカに導き手が変わった。続いて「富国強兵」路線である。国が富むことと軍事大国はイコールと考えた。敗戦で全面的に捨て去られたかと思われるが徐々に息を吹き返している。そして「中央集権」体制の確立である。天皇を中心とする中央集権国家の樹立により効率的かつ迅速に維新政策の断行を目指した。天皇を中心にという一点は敗戦で除かれたがその他は一貫している。続いて「殖産興業」路線である。国家として産業を興し世界経済に参入しようとした。内容は変貌を遂げているが基本とする考え方は無傷のままである。最後に「四民平等」路線である。士農工商の階級を無くし国民を誕生させた。戦後はこれに男女同権が加わった。
 明治以前、江戸時代を否定して近代を追い求めた行き詰っているのであるから打開する手掛かりは江戸時代にある。江戸時代の外交路線は鎖国である。しかし、長崎の出島を通じて中国はもとよりヨーロッパ情勢も詳細に取り入れていた。現代において鎖国路線を取ることは不可能である。しかし江戸時代のように諸外国と友好関係を保つ方向性は大いに参考となる。アメリカへの全面追随路線を改めて全方位外交路線への修正である。江戸時代、仮想敵国は存在しない。
 特定の国を敵視しない態度の堅持、平和主義路線は現代においてこそ学ぶ点である。後の「小日本主義」の源流は江戸時代の外交にあると私は考える。平和が保ててこそ経済は繁栄するという大原則を忘れてはならない。
 東京中心の中央集権体制とは天皇の権威と政治権力を一体化させるものであった。戦後平和憲法により象徴天皇制になったとはいえ権威と権力の拠点は、ともに東京にある。江戸時代に学ぶのであれば権威と権力は分離することが望ましい。要は遷都である。天皇陛下は京都に御帰りになられ日本文化の守り手としての役割を果たして欲しい。国と地方のあり方を考える際に江戸時代の幕藩体制は過去の遺物ではなくむしろ地方分権を考える際の貴重な学ぶべき遺産である。
 経済政策も江戸時代の資源循環型、地産地消型の産業の振興は参考になる。伊勢参りに代表される観光新興も同様である。基本的人権の尊重を徹底する上で江戸時代の社会が持っていた互助の知恵を加味することは時代錯誤ではない。
 私は新たな日本を創造する哲学を「温故知新」としたい。歴史から新たなものを見い出す思考態度である。具体の実践目標を「開かれた江戸時代」としたい。近代の前の時代、江戸時代に集積された様々な理念や諸制度を再発見し現代の知見で活用することによって未来を切り拓こうとする考え方である。鎖国ではなく世界に開かれた江戸時代の再現を目指す。

「開かれた江戸時代」のフロンティア、沖縄

 沖縄こそが新時代の日本を創造する最前線である。沖縄で新しい日本の姿を具現化できれば世界をリードする国家へと生まれ変わる。
 安倍政治は、アメリカ一辺倒の外交姿勢で軍事力に頼るという時代錯誤を犯し、沖縄に新たな基地を建設しようとしている。近代という時代の行き着く果てに突進しているアメリカに追随して未来は拓けない。袋小路に入り立ち往生するのは自明である。旧態然たる発想によって蹂躙されようとしている沖縄で反転攻勢を仕掛け、新たな路線を実践することは新時代の日本を創ることに直結する。
 沖縄をアメリカ盲従の呪縛から解き放ち軍事的な緊張を緩和し平和の島とするが何より大切である。在日米軍基地の無い沖縄こそが経済の繁栄は平和があってこそであることを実証することである。
 琉球王国は明治政府によって解体され沖縄県として明治新政府への従属を強いられた。この歴史を反転させて沖縄を自治州としかつての琉球王国に準じる体制を特区として樹立することが出来れば沖縄は蘇る。
 尖閣諸島問題も事実上の琉球王国が所有することになれば誰も異論は挟めない。中国も許容せざるを得ない。尖閣諸島は琉球王国の生活圏の中にあったことは明らかである。
 沖縄を琉球国王が高らかに宣言したように万国津梁(ばんこくしんりょう 世界のかけ橋という意味)の島として日本、アメリカ、中国、その他関係する国々全ては認め非武装中立のシンボルの島とすることが出来れば平和憲法を体現するのは沖縄となる。そこにユネスコその他国際機関を誘致し沖縄に武力攻撃することは、国際正義に反するとの国際世論が直ちに湧きおこる平和の砦を築くべきである。在日米軍基地の島が世界の平和を創造する島となるのである。
 オセロゲームと同じように一気に情勢は反転する。武力の島が平和の島へと変わる反転の一石は世界へと波及する。全ては、辺野古へ新たな軍事基地を作らせないという一点に集約される。そこから新しい時代が始まる。そして琉球王国の復活へとつなげかつての繁栄を取り戻すことが目標となる。沖縄の新たな歩みはアメリカ追従以外の道はないとの思い込みに風穴を開け日本の未来の扉を拓くことにつながる。

おわりに

 イノベーションとは新結合だと喝破したのは、ケインズと並ぶ大経済学者のシュンペーター(オーストリア生まれ 1883-1950)である。
 過去と現在とを新結合することでイノベーションを起こせる。地域のイノベーションである。過去の遺跡や街並みを再生し今に活かすことが大切である。再生には現代のテクノロジーを駆使すれば良い。建物として復元が不可能ならば三次元のCGとして再生すれば良い。
 過去を蘇らすことでDNAに埋もれていた日本人の文化遺伝子がうごめき出す。本来の日本人のあり方が復活する。日本人は自然にあふれた国土を巧みに活かし豊かな国を創り上げてきた平和の民である。まじめにこつこつと取り組みことを好む職人気質の民である。そして困難に直面している人たちがいれば自らを顧みることなく身を呈して助けるサムライとなでしこの民である。
 日本人が本来の良さを取り戻した時日本は再び黄金の国ジパングとして世界を照らすであろう。その黄金とはお金ではない。目に見えないスピリットのことである。世界は日本人を救世主として尊敬することであろう。日本国憲法前文を読み返そう。「われらは平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。」
 まずは沖縄の場で憲法を現実のものとし新たなる歩みの第一歩を示そうではないか。

露木順一さん 元神奈川県開成町長、現在は日本大学総合科学研究所教授

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