「広範な国民連合」とは

広範な国民連合とは?

 正式な名称は「自主・平和・民主のための広範な国民連合」です。
 一言で言えば、広範な国民各層の人々が政党や団体の違いをこえて大同につき、世論と国民運動を盛り上げることによって、自主的で平和で民主的な日本を実現しようとする組織です。
 しかし、これだけでは抽象的でわかりにくいと思いますので、結成にいたる経過、広範な国民連合の基本的な考え方を示している「憲章」、「めざす進路」、「規約」をぜひお読みください。
 「憲章」は、広範な国民連合がどんな力、どんな政治の方向、どんな運動で、どんな組織として政治を変えようとするのかを簡潔に述べています。
 「めざす進路」は、広範な国民連合がめざす日本の進路、内外政治のあり方について簡潔に述べています。
 また、結成にいたる経過でふれている「広範な国民の連合の呼びかけ」、「全国討論集会における問題提起」は、広範な国民連合をもっとリアルに知っていただくのに役立つと思います。

結成にいたる経過

 1989年暮れ、マルタ会談で米ソ首脳が冷戦の終結を宣言しました。
 時代の変化を感じた人々が、1990年7月、日本の進路を模索して懇談の場をもちました。
 その直後の1990年8月、アメリカはイラクがクウェートに侵攻したのを契機に大軍を湾岸に派遣し、湾岸危機が始まりました。そして1991年1月、アメリカはついに戦端を開き、湾岸戦争に突入しました。日本政府はアメリカの顔色ばかりうかがい、平和的解決に何の努力もせず、アメリカがカネを出せと言えば莫大な戦費をみつぎ、ヒトを出せと言えば自衛隊派遣に奔走しました。
 「日本がアメリカの顔色ばかりうかがい、自主性のない道を歩みつづければ、日本はどうなるのか」。「国内でも国際社会でも、自主的で、平和で、民主的な方向へ進路をきりかえなければ、日本の前途はない」。
 懇談会の参加者は1990年10月、「自主的な平和外交を求め、自衛隊の海外派兵に反対する」アピールを発表しました。このアピールがきっかけとなって、日本の進路を憂える人々のつながりが広がり、同年11月、翌年1月に、海外派兵に反対し自主平和外交を求める集会・デモを行いました。
 問われているのは、自衛隊の海外派兵にとどまらず、日本の進路、日本の内外政治のあり方でした。政党や団体の違いをこえて広がった懇談会の参加者は、さらに討論を積み重ねました。
 その成果をふまえて、1991年7月、「広範な国民の連合の呼びかけ」が発せられ、同年11月、呼びかけに賛同した人々によって「広範な国民の連合をめざす全国討論集会」が開かれました。
 討論集会の後、賛同人の人々は各地で懇談会を開き、全国討論集会の問題提起にそって話し合いました。そして1992年11月、再び「広範な国民の連合をめざす全国討論集会」が開かれ、「自主・平和・民主のための広範な国民連合準備会」が発足しました。
 以後1年の歳月を費やして準備が進み、1993年11月、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」が結成されました。